第275話 ムカつく顔面の男
教室に入ると、リリはすでに教卓の前にいた。まだ学生名簿を開いている最中だ。俺とリオナはそそくさとそれぞれの席に着く。
「……」
「……」
リリと目が合った。直後にため息をつかれる。
本鈴のあとだからな。仕方がない。まあしかし間に合っただろ――う?
刺すような視線を感じる。じっと俺を注視しているやつがいる。リリではない。すでに名簿に視線を落とし、欠席者のチェックを始めている。
「……」
ゆっくりと振り返る。
教室の斜め左後方あたりで眉間に皺を寄せ、俺を凝視しているやつがいた。
なんだ、オウジンか。脅かしやがって。しかしあの分ではモニカの特攻は失敗したようだ。気の毒にな。
当のモニカはといえば、久しぶりの出席だ。窓から外を眺めている。前髪を切ったのだから、景色も黒板もよく見えそうだ。
俺の視線に気づくと、こっちを向いて微笑みながら小さく手を振った。こちらは機嫌がいい。なぜだ。よくわからんからとりあえず会釈だけ返した。
「む……?」
ふと気づけばヴォイドが珍しく席に座っていた。ケリィが臨時講師にやってきた日以来の出席だ。
ヴォイドは特待生で定期試験ではぶっちぎりで満点を取るため、教官連中も特に注意はしていなかったのだが、出席日数の関係だろうか。いや、騎士学校の内申点には確か出席日数は関係しない。あくまでも座学と剣術の結果のみだ。
そんなことを考えていると、やつは大あくびをして机に突っ伏した。
どうやら教室でも寝るつもりのようだ。
そうか。わかったぞ。寒いからだな。屋上は言うまでもなく、建物内とはいえ第三の寝床である修練場には暖房器具がない。それで仕方なく温かい教室へやってきたようだ。
「なにキョロキョロしてんのよ」
隣の席からセネカが身を乗り出して、耳元で囁いてきた。リリが一瞬だけ視線をこちらに向けたが、すぐに名簿に視線を戻す。点呼こそないが、羽根ペンでチェックを入れている。
まだ授業の時間ではないから、大目に見てくれるようだ。
「珍しいやつが来ていると思っただけだ」
「ヴォイド? モニカ?」
「どちらもだ」
「そういえば彼女を引っ張り出したの、あんたなんだって? どうやったのよ?」
「モニカのことなら引っ張ったのではない。背中を押しただけだ」
ちょっと勢いがつきすぎてオウジンにしわ寄せがいったかもしれんが、それは俺の知ったことではない。
「そ。それよりリオナに話って何だったの?」
「……おまえとリオナが昼食時にする話だ。内容を聞いたのだが教えてはもらえなかった」
何か疑わしそうな目をしている。
「ふーん。ま、いいけどさ。教えられることならこっそりあとで教えてあげる。だめって判断したらそう言うから、そのときは諦めて」
「そうか。助かる」
そこまで返したところで、唐突に名簿が頭の上に降ってきた。
「んぎぃっ!?」
鈍痛に顔をしかめる。
リリだ。右手に閉じた名簿を持っている。しかも縦にだ。
角じゃなかっただけマシかもしれんが、よもや師の頭を凶器で殴るとはな。このような凶暴な娘に育てた覚えはないのだが。
「いつまで話しているの。ただでさえ遅刻寸前だったのだから、授業くらいはまじめに受けなさいな」
「す、すまん」
なんで弟子に謝らにゃならんのだ……。
いつの間にか授業の時間に入っていたようだ。
しかしなぜ俺だけ。セネカの方がむしろ話しかけてきたではないか。と思いながら隣のセネカを横目で伺うと、彼女はちゃっかりすでに一限目の教科書を開き、ノートとペンの用意まで終えていた。
納得だ。なんだかんだ、セネカも成績優秀者だからな。俺と違って。
その日は休憩時間となるたびに教室から逃げた。オウジンが凄まじい形相で追ってくるからだ。窓から飛び出し中庭の植え込みを走り、人混みに飛び込む。主に女性の人混みが効果的だ。
この短い足だ。まともに走っては追いつかれるからな。
そうして振り切ったあとは、トイレを始めとした色々な場所に身を潜めて気配を殺し、徘徊するやつをやりすごす。
わははははっ、何だか楽しくなってきたぞっ。
まあ、その楽しみも、当然のように部活動の時間までなのだが。
「さっきからなんで逃げるんだっ!?」
修練場の扉に手を掛けた俺の背後から、オウジンの声がした。
俺は振り返らず、ニヒルにこたえる。
「ふっ、男なら剣で語れ。来い。今日も相手をしてやる」
いつも相手してもらっているのは俺なのだが。オウジンの方が強いからな。
襟首をつかまれ、持ち上げられた。
「待て。エレミア」
だめだった。どうやら誤魔化せなかったようだ。
俺は卑屈な笑みで恐る恐る振り返る。
「……すまん。モニカに何かされた……か?」
「……? お礼を言われただけだよ。助けたことをね」
「背中は?」
「背中? ああ、モニカさんの火傷痕のことか? それならとっくに知ってるが……」
「いつから!?」
オウジンが不思議そうな顔で言った。
「グールの追跡中だ。彼女は……その……引き摺られて制服が破れてしまっていて……。あは、あはは」
あはは、じゃない。このムッツリ野郎。ぶん殴ってやりたい。
そういえばそうだ。よくよく思い出せば、逃走中のモニカはヴォイドの制服を羽織っており、リオナやセネカの制服を紐代わりにしてヴォイドの背に括り付けられていた。
「じゃあなんで追ってきた!?」
「お礼を言おうとしただけだよ。彼女を部屋から出してくれたから」
そうか。オウジンはとっくに知っていたのか。モニカが自ら脱ぐまでもなく。さらにこの言い方では、やはり大した問題とは思っていないらしい。
だが気絶していたモニカはそれを知らなかった。だから拗れていたというわけだ。
阿呆らし……。
「昨日彼女が修練場に飛び込んできたときはさすがに驚いたよ。背中を見てほしいといって脱ごうとするから。休日で僕以外の誰も使ってなかったからいいようなものの」
「お? 結局見たのか?」
「まさか。火傷痕なら知ってると言っただけだ。そんなことでキミの尊厳は失われないと伝えた」
う~ん。半分ほど間違っているな。モニカが知りたかった部分は人間の尊厳ではなく、オウジン自身の気持ちなのだろうが。
朴念仁め。
その割にモニカは上機嫌に見えたが。
「それだけか?」
「あ、ああ。えっと……まあ、その。もし誰かがキミの傷を嗤ったら、責任をとる……と言った」
「嗤ったやつを斬る?」
ポンコツ状態のオウジンが考えそうなことだ。
だがやつはようやく俺を地面に下ろし、指先で頬を掻きながらつぶやく。
「そう……ではなく……。ただ、僕にはどうしてもやるべきことがあって……生き死にさえわからない身だから……。そういう……あ~……、使命を果たしてもし再びガリアに渡ってこられたら、そのときはまたご飯を作ってほしい……とだけ……」
「ほう!」
ほう、ほう! ほほう! プロポーズとやらではないか!? 思ったより成長しているぞ、こいつ!
ああ、何やらこいつらの話を聞いていると、大胸筋が雑巾のように捻り絞られているかのような疼きを感じる。いかん、肋間神経痛かもしれん。
「それでどうなった?」
「え? それだけだけど……」
うん?
「待て、おまえ。それはまさか、いまと同じ関係性ということか?」
「そうだけど、変かな?」
なんだぁ、このヘタレ野郎……。ムカつく顔面しおってからに……。
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