第274話 元暗殺者は道化を演じる
雪が薄く積もった。
あれから降りっぱなしだ。寮の室内には炎晶石を砂の入った壺に収めたような暖房器具が配られたのだが、一歩廊下に出るだけで吐く息は白く凍る。
ブライズだった頃よりも、ずいぶんと寒さを実感するようになった。小さく痩せぎすな肉体では、燃やすものがあまりないのだろう。
教官フロアから学生フロアに降りると、本校舎へと移動しようとしていたセネカとばったり鉢合わせした。先日とは違い、今日は髪をひとつ結びにしている。どうやら下ろすのは休日限定のようだ。
俺は手を挙げる。
「よう」
「……おっす」
だからなんだ、その挨拶は。
なんか視線が合わない。苦虫を噛み潰したような表情になっている。しかしそもそも論として彼女の気持ちにこたえる気がない俺には、当然のようにかける言葉もない。
しばらくして、セネカが視線を上げた。そうして、ふと気づいたように言う。
「エレミア、あんたさ――」
「ん?」
「背、伸びたね」
言われてみればそうだ。入学時はクラスで俺を除いて一番小さいセネカでさえ、少し見上げなければ目線が合わなかった。だがいまは眼球を少し持ち上げるだけで同じ高さになる。ここまでくれば、もはや抜かすのは時間の問題だ。
俺は胸を張る。
「だろう? すぐに伸びるぞ。ここからはぐんぐん伸びる。明日には抜かすかもな」
「ふっ、そんな植物みたいに」
セネカがおかしそうに少し笑った。
何がおかしいんだ。俺はこんなにも本気なのに。最終的には、ベルナルドの頭を気軽に叩けるくらいまで高くなっている予定だ。
一度咳払いをしたセネカが、大きな目を細めて言った。
「そんなに焦らなくていいわよ。目線、合った方が嬉しいし。わたしはね」
「そうか? だが戦場での状況把握は馬上であってもまるで足らんくらいだ。高いに越したことはない」
今度は眉間に皺が寄った。
「あんたの価値基準って変……」
「おまえも指揮官を志すならば、もう少し伸ばした方がいいぞ」
「そんなこと言われても。もう伸びないんだから、しょうがないでしょ」
「気合いを入れてもか?」
セネカの目がまん丸に変化した。
なんて目で俺を見るんだ。仕方がない。アドバイスをくれてやろう。
「ミルクを飲むといい。うまいし栄養価も抜群だ。神など所詮は魔物の一種と思っているが、ミルクだけは神汁かもしれん。あとは気合いだな。己の可能性を信じろ」
俺はこんなにもまじめに話しているのに、セネカはなぜか半笑いでこたえた。
「気合いはわかんないけど、ミルクは結構飲んでるわよ。色々成長させたいから」
「そうか。ま、かといってマルドのように糞デカくなりすぎると、今度は怪物扱いされてしまうからな。人間、ほどほどが一番だ」
「説得力皆無ね。あとオルンカイム閣下をそんなふうに言ったら、騎士団の偉い人に叱られるわよ」
なぜか周囲を通りすぎていく女子学生らが、俺たちの会話を聞いてくすくすと笑っている。盗み聞きとは行儀の悪いやつらだ。
睨んでやるとそそくさと立ち去るのだが、その中に一名だけ、逆に血走った眼球を落とさんばかりに瞼をひん剥いて、こちらを睨み返す女がいた。
視線が合った瞬間、俺の喉がヒュっと音を鳴らした。
「おや、おやおやおやあ? 朝からずいぶんと仲のおよろしいことでぇ?」
リオナだ。わかる。わかるぞ。さすがに俺にだってわかる。
嫉妬だ。くだらん上に面倒臭い感情。とはいえ告白の話など、俺とセネカが口をつぐめばそれで済む。それだけでいつも通りの日常だ。
ところがセネカはリオナを振り返り、開口一番言った。
「おはよ、リオナ。ごめん。罪悪感抱えて接するのは嫌だから言うけど、昨日エレミアに告っちゃった」
言葉の意味を脳が理解するまで数秒。
目眩がした。止める暇すらない。
セネカの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
一方でリオナは――。
「あ、え……あ。……そ、そっか……。……あ~そ、なんだ……」
目が泳ぎまくっていた。先ほどまでの嫉妬の勢いはどこに消えたのやら。とてつもなく挙動不審になっている。なぜか血の気の失せた顔でだ。
「あ~……。え……と、……エルたんからの返事は……?」
「もらってないわよ。しなくていいって言ったから。そうよね?」
俺はうなずく。小さく何度も。
「そ……なんだ……。へえ……」
いつの間にか廊下にいた学生たちの姿が消えている。もうすぐ授業の開始時刻だ。そろそろ教室に向かわねば遅刻にされてしまう。
そう思い、ふたりに声をかけようとした瞬間、リオナがセネカにつぶやいた。
「ねえ、セネカは今日の昼食、どこでとるの?」
「自分の部屋に戻って食べるつもりだけど。いつも授業の復習しながらだから」
セネカが自室のドアを指さす。
さすがは成績上位者だ。
「あたしも一緒にいい?」
「もちろん。それよりそろそろ移動しないと」
「あ。そだね。行こ行こ」
そう言って走り出そうとしたリオナの腕を、俺は素早くつかんで止めた。
「セネカ、先に行ってろ。リオナに話がある」
「……うん」
少し言葉に詰まったような返事をして、セネカは階段を下って行く。その気配が十分に遠ざかってから、俺はリオナを見上げた。
「おまえ、セネカに何をするつもりだ?」
リオナが猫目を細め、唇の前に人差し指を立てる。
「へっへ。内緒の話だよっ」
唇の前の指が、今度は俺の頬をつついた。
「それとも、あたしがセネカを殺すとでも思った? だとしたら心外だなあ~。エルたんったら、全然あたしのこと信じてないんだからぁ。暗殺者は廃業だよぉ」
「そのようなことは考えていない。だが、以前にも似たようなことをしただろう」
リリにだ。
俺が風邪をひいて倒れていたときにリリの部屋を訪れたこいつは、何かをリリに話していた。
「あ~……。覚えてたんだぁ。てことは、リリちゃんはまだ内緒にしてくれてるってことだよね」
やはり内緒話か。
以前は進路相談だと誤魔化されたからな。
「一度だけ問い質したが、はぐらかされた」
「そっか。よかったぁ。女の子の秘密のお話だからさあ。あ、嘘じゃないよ。ただ、あんまり詮索されるのも恥ずかしいな~ってだけ」
わざと戯けているように見える。
「おまえ、何かまた妙なことに巻き込まれていたりはしないか?」
「ないよ? ほんと、個人的な秘密の話だから。知っておいてほしい人にだけ話すの。あ、これ女性限定ね? エルたんを仲間はずれにしてるわけじゃないからね? ね?」
ふいにリオナの表情が曇った。
「ただ、伝えておきたいと思う人が増えただけ。それだけ。内容は聞かないで。エルたんがセネカから聞き出すのは自由だけど、たぶんセネカもリリちゃんと一緒で話さないと思う。みんな優しいから」
「おまえがそこまで知られたくないことなら、変に探ったりはしない。だが、助けが必要ならちゃんと俺にも言え。別に男だ女だと意識する必要もない。――あ~……金銭面以外なら力になってやれる」
うちは王族だが小遣い制度だ。授業料と食費以外には大してもらっていない。
「じゃあ、あたしの悩める恋を叶えてく~ださいっ」
「それも無理だな。金と恋愛と勉学と料理は無理だ。助けられん」
「あたし関連ほぼ全滅じゃん」
く、不甲斐ない!
「――でも、あたしはいつでも待ってるからね」
少し間があった。
リオナが困ったように頬を指先で掻いて、目線を逸らして言う。
「お金はほんとに平気。バイト頑張ってるし、エルたん同盟でワンコから昼食代くらいはもらってるから。なぜか毎日現物もくれるけど。――さてはあいつ、あたしに気があるのかもっ!? え? え? そーなん? きゃ~~っ!」
それはない。ただただ、ヴォイドが聖人なだけだ。リオナは知らんままだが、あいつの心はすでにミリオラとともにあるからな。言えんが。
それよりもだ。
「同盟だと? おまえまさか、気配を消して俺のあとをつけ回してたりしてないだろうな?」
本気で尾行されたら、こいつを撒ける自信はない。それどころか尾行されていることに気づく自信さえない。
リオナが後ろ手を組んで身体を少しねじり、ニチャアと不気味に微笑む。
「……んふふ」
この寒気は冬の冷気のせいか、あるいは目の前の娘のせいか。猫に睨まれた鼠にでもなったような気分だ。
リオナがふと気づいたように、本校舎の方を指さした。
「あ、ヤバ! 遅刻する! ほら、リリちゃんに叱られるから早く行こ!」
「おわっ、まずい!」
いまリリの機嫌を損ねて、剣術を教えてもらえなくなるのは困る。今日の部活はかなり楽しみにしているのだから。
だが、同時に。
何だかうまく話題を逸らされ、誤魔化された気がする。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




