第272話 やたらと酸っぱいリンゴ
コミカライズ版『転ショタ』第2話がゼロサムオンライン様にて公開中です。
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俺たちは街路脇に備えつけられたベンチに移動する。
アテュラは山盛りフルーツのバスケットを片手で軽々と持ち、おとなしくついてきた。とりあえずベンチに座らせ、彼女を挟むように俺とセネカも腰を下ろす。
告白アテュラに目撃されてしまったセネカは、先ほど以来、何やらおとなしくなってしまった。だが俺とていまはセネカに構っていられる状況ではない。
アテュラには聞きたいことが山ほどある。
見たところ怪我などは負っていないようだが。
「アテュラ」
「はい」
「まずは礼を言う。言うまでもなく例のバケモノの件だ」
アテュラがこくりとうなずいた。
ダンジョン内では色素の薄いグレーの髪色に見えていたが、太陽の下では銀色に輝いて見える。肌は一切焼けておらず、瞳はまるで人形のようだ。だからこそ余計にドレスが映える。シュシュの店主が看板娘にしたがった理由もわかるというものだ。
「ジャガー神のことですね」
「ジャガ……?」
ブライズの顔面のことか?
「ジャガーは太古に滅んだネコ科の生物のことです」
「むろん知っている」
ベンチで足を組んでそっぽを向きながら、セネカがぼそりとつぶやいた。
「そこで格好つける意味がわかんないんだけど。まさかアテュラの前でいいとこ見せたいわけ?」
なんだよ、もう。
「おう。嘘だ。あと、そのような意図はない」
「エレミアのいいところでしたら、わざわざ見せていただかなくてもよく知っています。セネカ・マージス」
アテュラ……おまえ。ホムンクルスの分際でいいやつだな……。
なんかその向こう側からセネカが睨んできているが。
「それで、ジャガイモ猫がどうした?」
「ジャガー神です。正式名はテスカポリトカ。古文書にはそう記されていました。古代文明の貴族らはその強さに倣い、ジャガーの皮を被って戦士としての戦いに挑んだそうです」
「軍神か」
「はい」
道理で阿呆のように強いわけだ。
神格化されている魔物についてはいくつか覚えがある。狼のフェンリルや古竜なんかもそうだ。フェンリルは前世も含め未だ目にかかったことはないが、古竜を倒したときに俺は思ったんだ。
剣が通用するならば、神を呼ばれる存在もただの魔物にすぎん、と。
例えば古竜信仰など、いまの世でも珍しくはない。要するにテスカポリトカも、そういった類の魔物なのだろう。実際にグールどもには奉られていたからな。
「おまえに怪我はないのか?」
「はい。大きなものは」
なぜか恥ずかしそうに毛先を指先で巻いている。
「やつはどうなった?」
「生きています。いまのわたしでは勝てませんでした。あの日着ていたドレスが犠牲になりました」
「……今度弁償させてもらう」
「ではあなたが選んでください。エレミア」
なんでだ。面倒臭い。
しかしほぼ無傷であたりまえのように逃げ果せているあたり、謙遜でもしているのだろうか。正直なところ、第一印象では膂力・速度ともにほぼ互角かと踏んでいたが。
「あれにはわたしでは勝てません。ですがエレミアならいつか勝てるかもしれません」
「慰めのつもりか? くだらん。そこまで子供では――」
アテュラが唐突に俺の顔面の前で拳を握り締めた。
ひっ!? なんだなんだ、俺は殴られるのか!? 何か悪いことを言ったか!? 言っておくが一撃で血肉になって消し飛ぶぞ!?
「いえ。打撃ではテスカポリトカに致命傷を負わせられないのです」
「む?」
「おふたりを逃がし、一組のみなさまの気配が崖上から消えてから、地形を変えるつもりで全力で殴ってみたのです。生まれて初めて。拾った大きめの岩石もぶつけてみました」
お、おう……。地形が変わる……?
一組避難後まで待ったということは、あの崖が崩れる恐れがあったということか。となると思い起こされるのは、やはり前世の古竜戦だ。
「結果は無傷でした」
「おまえが全力で殴ってもか? 人間なら破裂するが……」
「はい。皮膚や筋肉が衝撃をすべて吸収しているかのような、重く柔らかな感触でした。仕方がないので数百歩分を吹っ飛ばして、その間に逃走しました」
もはや理解できん。人外の戦いだ。しかも得られた情報がこれでは、今後も到底勝てるとは思えん。
さて、どうしたものか。
「ですが、テスカポリトカには斬り傷がありました。あれはエレミアがつけたものではありませんか?」
「ほとんどオウジンだ。同じことは俺にもできるが、剣士としてのあいつは俺の少し先をいっている」
「そうでしたか。ただ、誰が斬ったかというより、殴打ではなく斬ることに特化できる剣士であることが重要なのです」
そういうことか。
打撃は通用しないが、斬撃ならば通る。
「たとえわたしの家の岩扉を持ち上げてぶつけても、テスカポリトカには傷ひとつ負わせることはできませんが、刃ならば両断はさほど難しくはないでしょう。もちろんあの動きについていけることが前提となりますが」
「おまえが剣を持てば倒せるということか?」
毛先を巻いていた指先が止まった。
「いいえ。わたしが剣を持ってもすぐに刃を折ってしまうだけでしょう。誰か師をつけ剣を教われば可能かもしれませんが、わたしはそれを望みません。……戦いは、あまり好きではありません……」
セネカが少し苦い表情をした。
ご両親のことを思い出したのだろう。やがて彼女は吐き捨てるように言った。
「命を脅かされても同じことが言える?」
アテュラがセネカの方を向く。
「はい。自身の死は厭いません。ただ、それよりも怖いことや強い願望があります。だからわたしは追っ手のホムンクルスたちを屠ったのです」
「それは具体的になによ?」
「ひとつは父の願いを失うこと。ネレイドはわたしに普通の人間として生きてほしいと願っていました。わたしは父を愛しています。だから父の生死にかかわらず、その願いを叶えたいと考えています」
一度小さなため息をついて、アテュラが俺へと視線を戻した。
「そしてもうひとつは、わたしが大切に想った人を傷つけられてしまうことです。これは父の願いとも関係しています。だからわたしはエレミアを傷つける存在から、あなたを守ると決めました」
やや険を含んでいたセネカの表情が、徐々に困惑へと移行していく。
「ちょ、ちょっと待って。それってつまり。……まさかあんたも、エレミアのことが好きなの?」
「おそらくそうではないかと思っています」
いや言い方がまるで他人事だなー。
「参考にした文献は恋愛小説です。〝諜報将校〟シリーズといって、読むと胸が締めつけられます」
よりにもよってそれか。諜報将校は実在の人物で、おまえの父やおまえ自身とも大いに関わりがあったのだが。しかし案外気づかんもんだな。
アテュラは再びセネカの方に首を向け、平然と続ける。
「わたしはアランカルドの一件以降、よくエレミアのことを考えるようになりました」
「アランカルド……? それって外征騎士のレエラ・アランカルド小隊長のことよね?」
まずい。教会でのカーツとの会話は国家機密だ。
セネカの頭なら、レエラからカーツにまで辿り着きかねんぞ。
「やめろ、アテュラ。あの一件は騎士団から箝口令が出ている。へたに話せばセネカにまで疑惑が及ぶかもしれん」
それも、国家反逆罪疑惑というどうしようもない類のものだ。
「はあ!? 何よそれ!? あんたたち、騎士団に何かしたの!? アテュラの正体は伏せたままなのよね!?」
セネカが素っ頓狂な声を出した。
「はい。わたしの正体は明かしていません。ですが、いまの話は忘れてください、セネカ・マージス。あなたが危険です」
「忘れろってそんな。――というかエレミア。また変なことに首を突っ込んでんじゃないでしょうね」
失礼な。突っ込んだのは俺ではない。前世の俺だ。むしろそいつがすべての原因でもある。……結局俺だよ。
俺は強めの口調で言い含める。
「いいか? その話はもう終わりだ。これ以上は騎士団を刺激する。互いのために話を戻せ」
ニーナのような見張りをつけられるのはさすがにもう勘弁だ。ただでさえすでに色々と取り返しのつかんことになっているというのに。
セネカは不機嫌そうな顔をしている。だがそれ以上の追求はないようだ。
アテュラが胸に手をあてて口を開いた。
「そのようなわけですので、エレミアはわたしとの婚姻も考えてください」
「どこに話を戻しているんだおまえは」
キョトンとしている。いやその表情をしたいのはこっちなのだが。
一方でセネカが唐突にベンチから立ち上がった。不機嫌そうな顔でだ。
「色々秘密の話があるようだし、わたし先に帰るわ! あとはおふたりで好きなだけどーぞ!」
そう言い残してセネカは騎士学校の方角へと戻っていった。
今度はそれを見送っていたアテュラが静かに立ち上がる。そうしてドレスのスカートを揺らしながら、俺を正面から振り返った。
「今日はエレミアのお見舞いに騎士学校を訪れようと思っていました。逢えてよかったです」
ホムンクルスが騎士学校に侵入を図るとは、なんと大胆な。まあ、絵面的に違和感はあまりなさそうだが。
「わたしはそろそろ出勤の時間ですので、お暇します」
「遅い出勤だな」
「本日の目玉は夜会用のドレスですので」
ぺこりと頭を下げて、アテュラは街の方へと去っていく。
夕暮れ時、ひとり公園に残された俺は、バスケットからリンゴを取って囓るのだった。
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