第270話 なぜかギクシャクする
あれで納得したのかは知らんが、リリはそれ以上の追求はしてこなかった。前世で朝帰りになった日などはしつこいくらいに聞かれたのだが。あいつが大人になったのか、あるいは俺が子供になったからなのか。いずれにせよ大した問題ではないと思ったのだろう。
二度寝をして目を覚ますと、昼過ぎになっていた。
「……少し身体が軽くなったな……」
どうやらリリは出かけたらしい。そういえば眠りに落ちる寸前に教官会議がどうのこうのと聞こえたような気がする。
ちょうどいい。小うるさい娘がいないのであればと日課のストレッチを終わらせた。いたらまだ安静にしていなさいと叱られるからな。でも俺は一刻も早く力を取り戻したいんだ。もう一度レアンダンジョンに潜るために。
あの黒い獣の姿をしたバケモノへの復讐のため――ではない。いまの俺では到底勝てないことくらいはわかっている。
気になるのはアテュラの安否だ。
まずは大衆ドレス店『シュシュ』だ。そこの店長と話をして、アテュラの通勤状況を確かめる。そしてあの日から一度も地上に出てきていなかった場合には、すぐにでもレアンダンジョンに潜る。
第一層集結地点から二層へと続く鉄扉の鍵は教官室で厳重に保管されているが、セネカと一度通ったゴブ穴を使用すれば必要ないだろう。
そんなことを考えながら、鍋に残っていたパン粥を炎晶石のコンロで温め直し、皿に移すことなく鍋から直接食う。
食い終わると、また少し力が戻った気がした。
リリの部屋から出て鍵を掛ける。
ちょうど昼食時だったためか、女子寮は三階フロアに降りても人通りはなかった。約一名、慌てて部屋を飛び出してきたリオナを除いてだ。
ドアの音に振り返ると、ちょうど目が合った。仕方なく手を挙げる。
「よう」
「エルたん!」
駆け寄ってきたと思った瞬間、平たい胸が俺の頭部に激突した。まだ踏ん張りが利かない俺は、そのまま壁際によろけて背中を打つ。
「わっ、ごめん! 大丈夫!?」
「痛い。あと意識が飛びかけただろうが」
「うわ~……。弱々しい声……。寝てなくて平気なの?」
「正直つらい。だがそうも言っていられん。アテュラの安否が気になる」
ああ、余計なことを言ってしまった。これでは強引に部屋へと連れ戻されてしまう。リオナは俺がリリと同じ部屋で暮らしていることを知っているから。
慌てて付け加えた。
「もちろんダンジョンに潜ったりはしない。もし無事であるならば、アテュラが寄りつく場所を知っている。安全な場所だ。そこを見てこようと思ってな。……なんだその目は。疑っているのか? 何なら鞘ベルトごと武器を預けても構わん」
あ……。
「むしろおまえが一緒にきてくれると助かる」
「デート!? それってデートに誘ってるんだよね!?」
他の女に会いに行くのをデートと呼んでくれるのであれば、俺にとっては非常に都合がいい。
「そうだ。これはデートだ」
「うわ~、感激! エルたんから誘われちゃったっ!」
ドレス店『シュシュ』は客層がほとんど年若い女子で埋め尽くされている。あんな店に男ひとりで近づけるものか。その点リオナがともにいるのであれば他者の視線を気にする必要がなくなる。
しかし。
リオナが唐突に肩を落として、泣きそうな顔をした。
「でもごめんね~。あたし、バイト行かなきゃなんだぁ。学費を稼がないと。うぁ~ん、せっかくのチャンスだったのにぃ~……」
「ちっ、役立たずめ」
「その冷たい言い方っ! エルたんっぽくて好きっ!」
笑顔に戻った。
情緒不安定なようだ。
「一応なんだけど。ワンコとおハゲとベルたんが教官室から鍵を盗んでアテュラの安否をダンジョンまで確かめに行ったんだけど、彼女、見つからなかったって」
「……なんだと?」
「あーでも、アテュラのお部屋の扉は閉じられてたから、一度八層に戻った形跡はあったみたい。レティスが言うにはエルたんとセネカを助けにいくとき、彼女だいぶ慌ててたから開けたままだったんだって」
なるほど。一度は帰還できたということか。
しかしそれで反応がなかったとすれば、大けがを負って部屋の中で倒れている可能性があるな。ヴォイドやベルナルドであっても、アテュラの部屋の扉というか岩石は動かせないから確かめようがない。
仕方がない。『シュシュ』から話を聞いたあと、場合によっては潜るか。体力が保つといいが。
「とりあえず俺はアテュラの寄りつく場所に行く。心配するな、ダンジョンの外だ」
「うーん、でも心配だな。その顔色だと途中で倒れちゃいそう。――ちょっとだけここで待ってて。まだ行かないでね」
そう言うと、リオナは三つ向こうのドアを叩いた。
「セネカ、いるー?」
「なに?」
すぐにドアは開かれ、セネカが顔を出した。
「ご飯食べた?」
「食べたわよ。混むのが嫌だから早めにね」
セネカの視線がこちらに向けられる。
俺は仕方なく手を挙げた。
「よう」
セネカが少し喉を詰まらせたような表情をして、視線を逸らしながら小さく。
「……おっす」
なんだその挨拶は。近頃の小娘どもの言葉遣いときたら。
俺が立派に育てた娘を見習え、リリを。ブライズを唯一褒めてやりたい部分だ。反面教師にされていただけだが。あいつは勝手に育った。
「どうしたの?」
「あのねー、エルたんが出かけたいんだって。ほんとならあたしがついていきたいんだけど、今日は昼から夜までバイトがあるの。もしよかったらセネカが助けてあげてくれないかな? お願いっ」
リオナが神に祈るように、パンと両手を合わせる。
セネカは一瞬だけ俺に視線を向けると、リオナに戻して不承不承という感じでつぶやいた。
「……べ、別に、いいけど……」
嫌そうな言い方をしやがる。
ま、先日は散々足を引っ張って迷惑かけてしまったからな。俺が五体満足なら崖から落ちなかったし、背負わせて移動速度もずいぶんと遅くさせてしまった。あげくあのようなバケモノの前に立って庇われるなど、もはや男の恥というもの。
「悪いな、セネカ。迷惑ついでに頼めるか?」
セネカが大仰なため息をついた。
「わたし、別にいいけどって言ったわよね。迷惑だとか思ってないし」
「す、すまん」
怒ってる。やはり。
「ねえ、なんで謝るの?」
「いや、それは……」
セネカが出てきた。休日なのに制服だ。だが髪がいつものひとつ結びではなく、珍しく下ろしている。
リオナがようやく気づいたように、俺とセネカを指さした。
「あれ? ふたりとも、もしかして喧嘩中だったりする?」
「いや……」
「それはない」
セネカがきっぱり否定する。
「いいわよ。今日はエレミアに付き合う」
「うん。お願いね。雰囲気見てると大丈夫だと思うけど――」
リオナの首が唐突にぐるりとこちらに向いた。
恐ろしい角度だ。限界まで開かれた眼球がこぼれ落ちそうだ。
「……浮気はだめよぉ~……?」
「前提になる本気がないのに浮気も糞もあるか、阿呆が」
「うわぁ~ん、エルたんが酷いこと言っていじめるぅ! でもそういうところも好きっ!」
謎の捨て台詞を残し、リオナは走り去っていった。
相変わらずの無敵っぷりだ。
しかしあの急ぎよう。バイトに遅刻しかけていながらも、話を聞いてくれたのには感謝だな。
何となく、セネカと見つめ合う。
五日ぶりのふたりきりだ。……この前まではなかったのに、なぜか不思議と気まずさを感じる。
セネカが咳払いをしてから、気を取り直したようにいつもの調子で尋ねてきた。
「で、どこ行きたいの?」
「大衆ドレス店の『シュシュ』だ」
「ええ? 女装が癖にでもなった?」
文化祭から何ヶ月経ったと思っているんだ。早く忘れろ。
「そんなわけがあるか。アテュラの無事を確認したいだけだ」
「……は? ……ドレス店で……?」
ああ、そういえばそこから説明が必要だったか。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




