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第268話 迂闊にも程がある




 落ち着いた。

 俺はあらためてモニカの部屋を見回す。

 女の部屋に入ったのは前世も含めれば初めてではないが、今世のリリの部屋とはずいぶんと違うものだ。飾り気がまるでない。その大半がシックな茶と白に統一され、ぬいぐるみのような余計なものが一切ない。


 ソードラックに置かれた刀の他にあるものと言えば、大きめの本棚とそこに収納された様々な蔵書くらいのものだ。

 上から二段目までは恋愛小説が多く、その大半が〝諜報将校〟の物語だ。すぐ近くに本物がいると知れば、さぞや驚くだろう。ミリオラからの復讐(リベンジ)暴露が怖いから言えないが。

 あとは〝戦姫〟のものも多少はあるのだが、なぜか〝剣聖()〟のだけがない。なぜだ、貴様。


 そして三段目の棚には比較的新しいと思われる様々な剣術関連の書が並んでいる。この大陸のものもあれば、それこそ東国剣術のものまで流派を超えて存在している。どうやらオウジンに勝つため、知識面の吸収も怠ってはいないと見える。

 素晴らしい。勝つために手段を選ばんあたり、こいつは自然に〝型無し〟に近づいている。まあ、色仕掛けでいけばオウジンごときイチコロなのだが。

 そんなことを考えていると、モニカが少し恥ずかしそうにつぶやいた。


「あまり見ないで」

「なぜだ。恥じることなど何もあるまい」

「……」


 まあいい。


「髪を切ったのだな」


 知っているぞ。このようなときに、女子にどう声をかければいいのかくらいは。学んだからな。ヴォイドから。アテュラのドレスの件で。

 間違っても「死角が減ってよい」などという本心で褒めてはならない。


「なかなかどうして、似合っているぞ」

「……う、うん……」


 モニカがうつむいた。どうやら何か間違えたようだ。

 糞、ヴォイドめ、俺に嘘をついたな!? 貴様の助言のせいでモニカが落ち込んだではないか!


「あ、いや、その……な」


 いまさら「死角が減ってよい」と言い直してよいものか。

 わからん。話題を変えよう。


「なぜ切ったんだ?」

「……失恋」

「む? オウジンか? よくわからんが、ぶっ飛ばしてやろうか?」


 五回に一回は勝てるぞ。


「……失恋するの……。……これから……」

「これからだと? そのようなもの、先々はわからんだろう。当初から見てきたが、やつはずいぶんとおまえに気を許しているぞ。いまや隙だらけだ」

「例えば?」

「色仕掛けでは走って逃げられる恐れがあるが、弁当に下剤でも仕込めば簡単に勝てるだろう」


 確かやつが提示した付き合うための条件は、オウジン自身よりも強い女だそうだからな。胃袋を握ったモニカならば余裕だ。

 ふと気づくと、モニカが肩を震わせていた。泣いているのかと思いきや、どうやら笑っていたようだ。


「ふ、ふふ、やっぱりエレミアは子供だね。すごいけど子供」


 失敬な。人生二周目の超大人だ。いわば老人級だぞ。子供だが。

 言いたいことは山ほどあるが、俺は黙って彼女の言葉を待った。

 けれどなかなか言葉が出てこない。何かを言おうとして口を閉ざし、また何かを言おうとして首を左右に振る。そうして、ようやく。


「医療魔術って万能じゃないんだね」

「知らん。フィクスに聞け」

「聞かなくても身を以て知ったの。……どうしようかな」


 モニカは俺を見ながら何かを迷っているようだ。

 やがて――。


「……エレミアにならいいか。まだ子供だし」

「失礼な。俺は先日十一歳になったぞ。貴様と出会ってから一年近く経過した」

「大差ないよ。やっぱり子供」


 そらそうか。こればっかりは反論できん。

 そんなことを考えていると、大きなため息をついたモニカが、突然服の裾に両手を掛けてから俺に背中を向けた。

 制服ではない。私服のだ。


「見て」

「何をだ?」


 直後、彼女は両手を持ち上げて上半身を晒した。背中側だが。

 両肩から滑らかな曲線を描きながらすぼむ腰のあたりまで、ひどく爛れている。火傷の痕のようだ。長く引き摺られたからだろう。

 いや、背中だけではない。両腕の肩から肘あたりまでもだ。

 ……傷か……。

 モニカが首だけで振り返る。どうやら前を見せる気はないらしい。そらそうか。


「保健の教官が言うには、魔術での外傷の治療は新陳代謝を高めて自然治癒を早めているだけにすぎないんだって。ほら、あの日、フィクスくんの治療後もオウジンさんの骨折は治ってなかったでしょう?」

「ああ」

「あれは外科的治療で骨を繋いでからじゃないと、形が歪になってしまうからなんだって」


 モニカが上がっていた服を下ろして、こちらを振り返った。


「でもわたしの背中は外科手術を受けても治しようがない。もっと医学が発展したら皮膚移植なんかもできるかもしれないとは言ってたけど」

「そうか。そのようなくだらんことを気にして、おまえは自らオウジンを諦めるつもりだったということか」


 モニカの顔が歪んだ。


「くだらないって……女の子にとっては結構一大事なんだけど。わかんないか。子供だもん」

「ああ、わからんな。わからんとも。だがこれだけは言ってやる。オウジンは剣士だ。剣士がいちいち身体の傷など気に留めるわけがあるまい」


 モニカの声に険が混じる。


「適当なことを言わないで。エレミアに何がわかるの?」

「わかるとも。俺がそうだからな。モニカ、おまえはリリの肉体を見たことがあるか?」

「……?」


 前世の話ではない。今世のリリは傷だらけだ。


「あいつが〝戦姫〟と呼ばれるようになるより遥か以前の話だ。師を失ったリリはその仇を討つため、無茶な戦いを繰り返していた。背中だと? そのようなもので済むか。腹も、足も、腕も、乳房でさえも、あいつの全身はもう消えない傷だらけだ。俺はそれを美しいと思っている」


 いまのリリはひどい創傷だらけだ。

 そのようなことでリリという人間の魅力が失われるだなどと考えたこともない。だからこそ自分が許せん。ただ側にいてやれなかったことを悔いた。こんなになるまで愛するなと怒鳴ってやりたくなった。なぜ自らの幸せを望まないと叱ってやりたかった。

 だがいまの俺はブライズではない。エレミーだ。言えるわけがなかった。そのような身勝手なことを。

 だからこそ、余計にその傷が愛おしいと思えるのだ。


「俺だけではないぞ。光を失った女を変わらずに愛する男を知っている」


 ヴォイドはもっと大きなものを背負う覚悟でいる。

 ミリオラは〝諜報将校〟として挑んだ最後の任務で顔に消えない傷を負い、さらにその目から光を失った。だがヴォイドはいまも変わらずに彼女を愛している。その目になろうとしている。

 やつの名誉のために口に出すつもりはないが、戦いに生きる男がそのようなくだらんことをいちいち気にするものか。


「だから何度でも言ってやるぞ。――くだらん! おまえの言うことは実にくだらん!」

「……」


 モニカは祈りを捧げるように両手を合わせ、顔の前に置いて何かを考えている。


「それほどまでに気になるのであれば、さっさとオウジンにその背を晒してしまえ! どうせフラれる気でいたのなら裸を見せるくらいは簡単だろう!」

「……わた……し……は……」


 しばらく突っ立っていたモニカだったが、ふらつく足取りでドアへと向かっていく。おそらくオウジンの元へ行くつもりなのだろう。

 すまん、オウジン。変な焚きつけ方をしてしまった。これから貴様はどえらいことになるかもしれん。だがこれでいい。はず、だよな。う~ん。

 ええい、ままよ!


「行ってこい、モニカ。きっと大丈夫だ。おまえが愛した男を信じろ」

「……うん」


 モニカが駆け出し、ドアから出ていって――すぐに戻ってきた。


「ところでエレミアはどうしてイトゥカ教官の裸を知っているの?」

「!?」


 ああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?


 想像を絶するほどの失言にようやっと気づいた俺はすぐさまテーブルに倒れ伏し、再び気絶したふりをした。肩に上着を掛けてくれたモニカの足音が遠ざかるまでだ。

 バカ、俺のバカァ……。


楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
[一言] >「ところでエレミアはどうしてイトゥカ教官の裸を知っているの?」 エルたん、自爆するwww
[良い点] 更新お疲れ様ですヽ(´▽`)/ 傷心のモニカに告白する様に焚き付け見事に誘導してみせた結果こそ素晴らしいのですが、モニカの部屋に入ってから耄碌レベルが上がりまくってません? それこそ本人曰…
[良い点] 失言など気にせず説得なエルたんw [気になる点] オウジンが正気を保っていられるかw [一言] エルたん、さすがおじいちゃんみたいw モニモニ走れ〜!
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