第267話 この剣聖に施錠など意味はない
身体に力が入らん。
廊下に出て数歩で壁に寄りかかる。
やはりミルクだけでも飲んでくればよかった。わずか数日食わなかっただけでこれとはな。前世では何日も戦場に身を潜めていたこともあったのだが。虫や山菜はちょいちょい摘まんでいたが。
「……」
「……」
だが気配でわかる。リリが背後の部屋から顔を出して俺を覗いている。
いま弱味を見せたら連れ戻される恐れがある。というか師が弟子ごときに弱味など見せられるものか。
そうだ。鞘ベルトを巻き直す体で少し休もう。
ああ、糞。剣が重い。置いてくればよかった。
再び歩き出す。
リリの気配が部屋に戻ったあたりで、俺は再度肩を壁にあてて休んだ。女性教官専用のフロアから階段を下り、学生フロアへと辿り着くと、女子学生たちの喧噪が大きくなった。
ちなみに男子寮、女子寮ともに、第二学生寮が学校敷地外にだが増設されている。早いもので、もうすぐ新入生が入ってくるからな。いまの寮では収容しきれない。
モニカの部屋は三階の高等部フロアだ。二階は中等部、一階は初等部となっている。
リオナやセネカに見つかると厄介だ。階段を下ってから柱に身を隠し、そっと覗く。見知った顔がいくらかはあるが、いまのところ両名の姿はない。
胸をなで下ろし、ハッと気づいて振り返る。
……いない。こういうときなぜかリオナは俺の背後にいることが多いからな。視線を前方に戻しかけて、嫌な予感がした。
……いない。些か疑心を抱きすぎていたようだ。
くそう、あいつめ。小娘の分際で俺にトラウマを植え付けやがって。
足を引きずるようにして、俺はモニカの部屋の前に立った。
軽くノックをする。
返事はすぐにあった。
「……はい」
「モニカ、エレミアだ」
俺はドアに背中をあてる。
長く立っているだけで息切れしてくる。こればっかりは飯を食わねばどうしようもない。
「何か用?」
「おまえが巻き貝のように引きこもっていると聞いて見舞いにきた」
「巻き貝……」
ドアは開かない。
「具合はどうだ?」
「……もう平気。ありがとう。大丈夫だから帰って」
「大丈夫ならさっさと出てこい。飯だ。食堂で何か腹に入れるぞ」
腹は減っていない。だが食わねばならんと俺の中の魂が叫ぶ。とにかく何でもいいから栄養を摂取しろ、食わせろと。
このままではろくに剣も振れん。前世であれば死活問題だ。
「食欲がないから、わたしはいらない」
「食わねば体力が戻らんぞ。剣も振れん。おまえはオウジンに剣で勝つのだろう」
「……」
面倒だ。
ドアノブを回しながらドアを引くと、ガチンと音が鳴った。施錠されている。小癪な。
ちなみに男子寮には鍵がない。キルプスめ、王座などにふんぞり返っているから世間を知らんと見える。カーツのような極めて特殊な例を除けば、前世とは違って今世では女性の方が肉食化している。ゆえに、むしろ男子寮の方に鍵をつけねばならんというのに。
アレとかコレとかな。
「開けろ」
「……」
今度はだんまりか。
いいだろう。最後の力を貴様のために使ってやる。何せ、俺は一組のすべてを愛しているのだからな。
俺は脇差しを素早く抜いてドアと壁の隙間に差し込み、岩斬りで一気に鍵を断った。
コォン、と小気味よい音が響いて廊下にいる視線が俺に集まったときにはもう、脇差しは鞘の中だ。
「え?」
「邪魔するぞ」
「ちょ、ちょっと――」
容赦なくドアを開くと、モニカが呆然とした顔でこちらを見てい――ん? モニカ? 誰?
部屋を間違えたか!? まずい、これでは不審者だ!
俺は廊下に戻ってドアに掛けられたネームプレートを確認する。
モニカ・フリクセル。合ってる。
部屋に戻る。
貼り付く喉を強引に開き、俺は彼女を指さして尋ねた。
「モニ?」
「モニ」
目を完全に覆っていた前髪が、眉の上まで切られている。初めて彼女とまともに目が合った気がする。細いが切れ長の目だ。隠すほどのコンプレックスでもあるまいに。
そう思った直後、モニカは慌てて俺の背後のドアを閉じ、ガシリと俺の両肩をつかんだ。
「絶対ダメ! 女の子の部屋にそんな入り方をしちゃ!」
「やかましい! 耳元で喚くな! おまえがさっさと出てこんからだ! 謝れッ!」
「ええ……。え? エレ――」
怒鳴り返した瞬間、視界が真っ黒に染まった。
あ、ヤバい。意識――……。
そう思った直後、俺は気絶する。わずか数秒間だ。倒れかけた俺をモニカが支えてくれていた。
「ぬ、すまん」
「あ、こ、こちらこそ……。ごめんね、そんな身体で無茶をさせて……。あのとき、助けにきてくれたんだよね……。それで怪我させたって聞かされてたのに……ごめんなさい……」
俺は彼女の腹を押して下がらせ、勝手に部屋に上がって椅子に座った。
「つまらんことで謝るな。俺はあたりまえのことをしただけにすぎん」
「謝れってさっき言ったのに……」
気絶前に言ったことなど知らん。
そもそもそれはドアの開閉の話だろう。まあ、そのようなことを蒸し返しても仕方がない。
俺は早速本題に入る。
「モニカ。おまえ、最近授業にも出ていないらしいな。リリが心配していたぞ」
「……うん……」
「髪を切ったことと関係があるのか? 頭の治療でもしたのか?」
モニカが短くなった前髪を指先で挟んで伸ばすような仕草を見せる。
「ん、……ううん。これは……自分で切ったの」
「なぜ?」
「エレミアはわたしがオウジンさんのことを好きなのは覚えてるよね」
「ふん、そこまで耄碌していない」
人生二周目だが、脳みそも比較的新品になったからな。
「言葉選びがおじいちゃん……」
「やかましい!」
モニカが苦笑いを浮かべる。
「興奮するとまた気を失うよ。落ち着いて一旦深呼吸、ね?」
すーはー、すーはー。
いい匂いがするな、こいつの部屋。果物とか隠してそうだ。
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