第26話 魔力が尽きるまで
俺とミクとヴォイドが唇をめぐってゴチャついていると、オウジンが遠慮がちに声を出した。
「取り込み中すまないが、みんな、そろそろ真面目な話をしていいかな」
その言葉に、全員の視線が彼へと向けられる。
ヴォイドもミクもだ。
「上層階へ向かう階段はまだ見つかっていない。そこで僕らは選ばなければならない。怪我人を抱えて全員で動くか、あるいは少人数での偵察を続けるかだ」
大したもんだ。ここで救助を待つ、という選択肢がないことをオウジンは理解している。
リリを含む教官連中が探索を終えたのは三層までだと言っていた。ここがそれ以下の階層であることを考えれば、教官連中も捜すに手間取るはずだ。
そんなに待っている時間はない。少なくとも、ケガを負っているあの男子生徒には。それでも経験上、間に合いはしないだろうが。
顔色が変わってきた。肋だけではなく、内臓にまで及んでいる。呼吸も浅い。
オウジンが続ける。
「わかっている通り、ここは安全じゃない。ゴブリン程度ならともかく、あのバケモノだっている。もちろん戦姫と名高いイトゥカ教官に倒されていなければ、だが」
オウジンが天井の大穴を見上げる。
闇は沈黙したままだ。
俺はつぶやく。
「リリ――あ、いや、イトゥカ教官が負けるとは思っていないが、俺たちは希望的観測をもとにして動くべきではない。それは死や全滅に直結するぞ、オウジン。考えるな。獣のように感じろ。それが危機を回避してくれる。俺は少数で動くべきだと思う」
オウジンが驚いたようにこちらを見た。
まずったか。十歳の意見じゃないな。
「あ、ああ。そうだな。驚いた。飛び級をしてきただけある。エレミアの言う通りだと僕も思う。一旦、救いはないものと考えよう。最悪の事態を想定するんだ」
ベシッとヴォイドが俺の背中を叩く。
薄っぺらで小さな俺の肉体は、それだけでよろけてしまう。あと咳き込む。貧弱さに泣けてくるな。
「ククク、言うじゃねえか。俺もとっつぁん坊やの意見に賛成だ」
「とっつぁん坊やはやめろ。エレミア・ノイだ」
「ノイ坊」
「おまえ……」
いまの俺は十歳のガキだ。こいつらがよほど抜けた作戦でも言い出さない限りは、いちいち口を出すべきではないのかもしれん。
これではまるで俺が教官みたいではないか。まったく。前世の弟子どもにすら、こんな配慮などしてやった記憶はないというのに。
ミクが動かない男子生徒に視線を向けた。例の怪我人だ。
「でも確かにあれを動かすのは、ちょっと怖いよねぇ。傷口を閉じれてさえないもん」
「ああ。敵がいない場所でなら担架でも作って揺らさないように運んでやりたいところだが、この状況では無理だ」
地面はゴブリンの血痕だらけになっている。死体はクラスメイトの男子らが端に寄せたが、あまり気分のいい場所ではない。半日も経てば、腐臭が満ちるだろう。
オウジンが続けた。
「この広場も死体だらけだし危険な場所だが、それでも僕らはここを拠点にして、少人数で探索をすべきだと思う。上層階への階段が見つかるたびに戻って、全員で階層を上がる。地上に出るまでそれを繰り返すんだ」
ヴォイドがうなずいた。
ミクが意外そうに彼を見上げる。
「オウジンちゃんは見たまんまのイイ子ちゃんだけど、ヴォイドってさぁ、不良っぽいのに案外みんなのこと考えてるよねえ? オラオラしてるだけじゃなさそー?」
「ああ? 俺は別に最初から悪ぶってるわけじゃねえ。てめえに素直に生きてるだけだ」
一度言葉を切ってから、ヴォイドがミクを睨んだ。
「……おめえと違ってな、オルンカイム」
「へえ? なんのことぉ?」
ヴォイドに関しては、俺もそう思う。初対面時からずいぶんと印象が変わった。
敵の中で孤立したオウジンのために、あっさりと飛び込んでいったときから。何やら全員を保護するためにいるみたいな、そんな妙な感じさえする。荒唐無稽なことを抜かせば、やつが俺と同じ転生体だとしても不思議ではないとさえ思っている。
ただ、その庇護対象にミクだけが含まれていないようにも思えた。だが、ここでこれ以上揉められても厄介だ。
俺はふたりの間に身を入れる。話題を変えるために。
「オウジン、他のクラスメイトたちに作戦を伝えたい。頼めるか?」
「わかった」
俺とオウジンが連れ立って歩き出すと、ミクだけがついてきた。ヴォイドは壁を背にしたまま、見張りに立つつもりのようだ。
倒れたままの男子生徒の側に、各班の代表らしき者が集まっていた。俺が彼らに声を掛けようとすると、オウジンが手でそれを制する。
「待って、エレミア」
「ん?」
極端に背の低い俺には見えていなかったが、集団の中央には倒れた男子生徒の横でしゃがみ込み、何かをしている別の少年がいたんだ。
そいつは倒れ伏した男子生徒を数名の他の生徒らに支えさせ、その横で自らの両手を光らせていた。魔術光だ。
だが、手が震えていた。
「ボ、ボクは治療魔術師じゃない。魔術師の家系ってだけで治療魔術なんてやり方を教わったこともない。それに魔術師になりたくなかったから騎士学校に逃げてきたんだ。できないよ……」
少女が少年を叱咤している。
「それでももうやるしかないのよ! このままじゃイルガは死を待つだけになるわ!」
この少年、治療魔術が使えるのか? もしそうなら、助かる可能性は格段に跳ね上がる。
俺とオウジンを押しのけるように、ミクが歩き出した。
少年が少女に言い返す。
「そんなのわかってるよ! くっそ……。やるよ……。やってやる……」
呼吸が荒い。へたをすれば倒れているイルガよりも乱れている。
「えっと、こういう場合はどうするんだっけ……たしか、たしか魔力径路を修復して痛みを緩和している間にバイパスを、ああ、ダメだ! 体組織の崩壊が大きすぎる! ボクの魔力総量じゃ再構築できない! こんな大きな穴を埋められるわけがない……っ」
パニック状態に陥りかけている。
ミクが真上から彼を覗き込んだ。しばらく眺め、眉をひそめて口を開く。
「どうせ気絶してるんだから痛み緩和なんて無駄なことやめて、魔力を半物質化させて体組織の方を補えば少しは保つんじゃないかな? 人工血管みたいに。えっと、治すのはあきらめて、脱出までの保全に割り切る感じ」
「え……? で、でもそれだと、脱出までずっと魔力を注ぎ続けなきゃいけなくなる……。魔力が保たないかもしれないし、それに敵がきたらボクは動けない……」
「他に方法ある? あたしは別に見捨ててもいいと思うけど、キミはそれで後悔しない? 逃げてきた先で、また逃げるの?」
「後、悔……」
少年がうつむき、歯がみする。
「念のために聞かせてくれ。オルンカイムは治療魔術が使えるのか?」
「魔術は使えないよ。ただの知識。簡単な治療ならできるけど器具がなきゃ無理。ふつーさ、魔術が使えるなら騎士学校になんてこないじゃん? それだけで生きていけるすごい才能だもん。事情は知らないけど、キミくらいのもんだと思うよ?」
少年が視線を跳ね上げた。
先ほどまでの弱々しいものではなく、覚悟を決めた目をしている。
「そうか。そうだね。やってみるよ」
「ねえ、お名前は? なんて言うの?」
少年が目を閉じて、倒れたイルガ少年の窪んだ胸部に光る両手を添えた。光が胸の穴へと、糸のように吸い込まれていく。まるで光の川だ。
「フィクス・オウガスだ」
「頑張って、フィクス。あたしたち三班が偵察に出て、必ず脱出できる階段を見つけてくるから。その間はここに残るみんなが命がけで守ってくれるはず……よね?」
この場に集った全員が、ミクの言葉にうなずいた。
「うん、やれるだけやってみるよ。自信はないけど、魔力が尽きるまでは」
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