第263話 眠らせてはもらえない剣聖
九層に戻った。だが緑一色だった景色は、いまや赤く染まって明滅している。
「エルたん、まだ寝ないでね」
「ん……ああ……」
そうはいっても意識が……。
引き上げられた場所には、一組の慣れ親しんだ面々が雁首並べて勢揃いしていた。縄を引いていたのはベルナルドとヴォイドだったらしい。オウジンも無事だ。いまはフィクスの治療を受けている。モニカは即席の担架に乗せられ、上から全身に数名分の制服を掛けられていた。
垂れている腕には包帯が巻かれているが、微かに胸のあたりが上下しているのがわかる。
ああ、生きているならばそれでいい。よかった。
「……全員……無事……か……」
おそらくレティスら待機組は八層にいるのだろう。イルガが力強くうなずいた。
「無事だ。ただし、キミ以外だがね。エレミア」
ならばよし。よくもまあ、あのバケモノから逃げ切れたものだ。
糞。感動で涙が出てきそうだ。
セネカがうめき声を上げて目を覚ました。そうして俺を見るなり、先ほどリオナが見せたような表情をする。
「エレ……ミア……?」
「……ん、ああ……」
リオナが耳元で叫んだ。
「フィクスくん! こっち急いで! ベースに戻る時間はない! ここで治療して!」
俺は彼女の支える手によって草むらに寝かされる。
限界だ。少し寝たい。
「目を閉じるな、エレミア!」
オウジンの鋭い声に、瞼を開く。
「オ……ウジン……。モニ……カは……?」
「酷い怪我だが命に別状はない。キミのおかげだ。まだ眠っているよ」
そうか。よかった。
フィクスが慌てて飛んできて、俺を見るなり、やはり例の表情を見せた。いや、彼らだけではない。全員がだ。あまり表情を変えないベルナルドでさえも。
ヴォイドがフィクスの胸ぐらをつかみ、顔を近づける。
「おいてめえ、治せんだろうなッ!?」
「よせ。治療の開始が遅れる」
ベルナルドがヴォイドの腕をつかみ、強引にフィクスから引き剥がした。フィクスが腕まくりをして、自身のレイピアを抜く。
魔力を高める儀式のようなものだろうか。刀身を指先で撫で、何かを詠唱しているようだ。
「ごめん。怪我の治療に魔力を割く余裕はない。他の人たちの治療に使いすぎた。だからいまは瘴気の除去だけに全力を尽くすよ。それでボクの魔力はおそらく尽きる。――リオナさん、消毒と止血を同時並行でお願いできる?」
「わかった」
「ベルには担架の準備をお願いするよ。これはもう背負って歩くのも危険だ。オウジンくんはもう歩くくらいならできるはずだから、担架はエレミアの分だ。小さくて大丈夫」
フィクスがテキパキと指示を出している。
だが勘違いするな。俺は小さくない。すぐに大きくなる。
「うむ。了解した」
「ベル。仮にボクが魔力切れで気絶しても、運ぶときは常にエレミアの近くにいさせてほしい。魔力を血流代わりに循環させ続ける」
「そんなことが、できるのか?」
フィクスが泣きそうな顔で吐き捨てた。
「いつだって自信なんてないよ。一組では前例のないことばかり経験する。でも、やるしかない。ボクは一組の命綱だから。卒業するまで絶対に誰も欠けさせない」
なんだなんだ。ずいぶん深刻そうな話に聞こえるが、俺の状態はそんなに酷いのか。
ああ、だめだ、意識がまた遠くなってい……く。……数秒だけ……こっそり寝よう……。
途端にヴォイドの怒声が聞こえた。
「起きろてめえ! 金づるが俺の許可なく勝手にくたばんじゃねえ! 次に目ェ閉じやがったらぶん殴って起こすぜ!」
その言い方よ……。
「起きて、起きなさい! 寝たら二度と目を覚ませないわよ!」
今度はセネカの声だ。不吉なことを言ってくれる。
次々と声が聞こえる。どいつもこいつも厳しい声ばかりだ。みんな俺に起きろなどと無茶を言う。でも眠いからやっぱり数秒だけ寝よう。
今度は瞼を指先でこじ開けられながら叫ばれた。
「起きたまえ、エレミア! まだキミへの借りを返してはいないぞ! 名門フレージス家の嫡男に恥を掻かせる気か!」
そこらへんは割とどうでもいい。
仕方なく自力で目を開いた。
「あとスケイルが悪魔のような表情で拳を握り締めているぞ。あの野蛮人は本気の目をしているから、瞼を閉じるのだけはやめておきたまえよ」
「ククク」
くそう、ヴォイドめ。
さすがにいまぶん殴られたら、いくら俺でもくたばってしまう。
「エルたん、エルたん……お願い、寝ないで……」
リオナは泣いているのか。大げさな。
わかった。わかったから泣くな。これだから女は面倒臭い。
しかし消毒や止血とやらをされているはずだが、まるで感覚がない。痛みも痒みもだ。ちゃんとやってくれているのだろうか。リオナはいつもふざけてばかりいるから不安になってしまう。
オウジンがわざとらしくすっとぼけた口調でつぶやいた。
「エレミア。キミがそのまま死んだら、仕合は僕の勝ち逃げだな」
ぐぬ。ふざけるなよ、小僧。
ようやく五本に一本くらいは取れるようになってきたばかりだ。これからではないか。
しかしぼんやりと浮かぶ景色が赤黒い。ブライズの最期の記憶に似ている。これはもしかして、本当に寝たらまずいのか。
――ああ、このような様では、またリリに叱られてしまうな。
どさりと、俺のすぐ横で何かが崩れるような音がした。気づけばフィクスが地に伏している。おかげで眠気が少し飛んだ。
俺の考えたことをヴォイドが口に出す。
「おい、オウガスの野郎がぶっ倒れたぜ!」
ベルナルドがいつもの調子でヴォイドを宥めた。
「落ち着け、ヴォイド。これはただの、魔力切れだ。瘴気症の進行は、フィクスが止めた。もう動かせる。フィクスは、俺が担ごう」
その声に重ねるように、セネカが指示出しを始める。
「一組全員撤退よ! モニカの担架はヴォイドとイルガで運んで。エレミアのはわたしとリオナで運ぶ。 他はグール、オーガ、ゴブリンの襲撃に備えて護衛。――すぐに動いて! 例のバケモノに追いつかれたら今度こそ全滅は免れない!」
イルガがオウジンへと抜き身の刀を投げた。
「モニカくんのだ。拾っておいたからリョウカが使いたまえ。彼女もそれを望むだろう」
「助かる」
担架にのせられた俺は、眼球を動かしてオウジンの様子をのぞき見る。
まだ片腕はだらりと下がったままだが、出血している傷はない。片腕でもオウジンの護衛があれば、さほど心配はなさそうだ。
問題はアテュラだ。自力で上がれるとは言っていたが本当だろうか。そもそもあのバケモノを相手にどうやって逃げるというのか。
嘘や気休めを言えるほど器用な性格には見えないから、大事には至らないとは思うのだが、若干抜けている部分があるせいで、少し心配になってしまう。
ともあれ、いまは信じるしかないのだが。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
※『ひーろーず! ~勇者くんと魔王さんのセカンドライフ~』というお話を開始しました。
(https://ncode.syosetu.com/n5309iu/)
しばらくは同時並行で書いていく予定ですので、そちらの方もどうぞよろしくお願いいたします。




