第242話 剣聖、男の自信を喪失する
地底湖の橋を渡りきった場所から第七層の奥まで辿り着くと、そこには第八層へと繋がる階段が――なかった。
アテュラが囁くように言った。
「ここから下ります」
穴だ。何やら強引にぶち抜いたような、乱暴な穴が真っ暗な口を開いている。周囲の壁が鋭角であることから、まだ空けられて間もない穴であることがわかった。
俺はアテュラに尋ねた。
「階段はないのか?」
アテュラではなく、背後にいたイルガがこたえる。
「あるにはあったのだが、俺たちが発見したときには階段はすでに崩落していたよ。だから三班がケメトの件で抜けた前回も、この穴から八層に下った」
「そうだったのか」
イルガの言葉に、オウジンがうなずく。
アテュラが静かに言った。
「階段はわたしが崩しました」
「それはどうしてだい?」
そう尋ねたイルガへと、アテュラが視線を向ける。
「生物生息空間の危険な生物が上がっていかないようにです。この狭い穴だけを残せば、出入りできるのは人間と同じ大きさの生物だけになりますから」
イルガの表情が引き攣った。
「な、何がいるというんだ、この下には」
「八層にはいません。わたしが棲んでいるだけです。とっても平和です」
それはある意味、生息空間の生物よりよほど危険な存在なのだが、口には出さないほうがよさそうだ。この娘が敵に回ったら、戦姫リリか王壁マルド以外では止めようがない。
「――ついてきてください」
言うや否や、アテュラは闇の中へと自ら飛び込んでいった。しばらくの後、着地音が聞こえる。
結構高いな。
イルガが振り返って口を開いた。
「ベル、縄ばしごを頼む」
「ああ」
ベルナルドが背負った大きな荷物を下ろして、中から縄ばしごを引き出した。
「レティス。設置だ」
サイドテールの少女がいつものように元気に返事をする。
「あいよ。まっかせてっ」
諜報工作を得意とするレティスたち五班がそれを受け取り、杭を岩場に打ち付けて手際よく設置する。
セネカが苦笑いで俺につぶやいた。
「前回あんたたちがいなかったときは縄ばしごがなかったから、みんな縄だけで下ったのよ。下りはいいけど帰りは大変だったわ」
「だろうなあ」
階層ごとの天井の高さが並みのダンジョンとは比較にならないほど高いんだ。縄一本で上がるのは大変だ。
「よーし、できたよーっ」
完成した縄ばしごを、最初にヴォイドがつかんだ。そのまま有無を言わさずさっさと下っていく。
たぶん、アテュラがいるとはいえ危険な先頭を他の生徒らに任せたくはないのだろう。素直にそう口に出せばいいものを。
残ったみんなも苦笑いだ。もちろん、ヴォイドには聞こえないようにだけどな。
「いいぜ! 下ってこいや!」
階下からヴォイドの声が響いた。
イルガやモニカたち一班が下り、継いでセネカら四班、レティスらの五班が続き、ベルナルドやフィクスの二班、そして最後にヴォイドを除く俺たち三班が階下へと下りた。
第八層――。
オーガの集落があった第六層は人工ダンジョンだったが、地底湖のある第七層は自然ダンジョンに戻っていたのに、第八層は再び人工ダンジョンへと変容していた。
セネカが声を張る。
「全員いるわね。各班で確かめて」
各班のリーダーがセネカに無事の合図を送った。
セネカがアテュラに目配せをする。
「アテュラ、案内お願い」
「わかりました。セネカ・マージス。それでは、ついてきてください」
俺たちはアテュラを先頭に歩き始めた。
アテュラが普段から闊歩している階層のためか、魔物の気配はない。第六層と変わらない風景だけが延々と続いている。
いや、違うな。
部屋だ。人が使っていたらしき部屋が、左右にいくつも存在している。集合住宅のようにも見えるが、果たして。
「おい、イルガ」
「どうした、エレミア?」
「おまえたちは八層にきたのは二度目だよな」
「そうだ。崩落していない部屋は大体調べたのだが、残念ながら価値のありそうなものは何も残ってはいなかったぞ。家具や生活必需品らしきものもだ」
ということは、古代で事故や事件が起こったわけではなく、自ら引き払ったということか。あるいはすでに盗掘に遭ったかだが、さすがにそれはないだろう。
一組の進む足音だけがダンジョンに響く。
「アテュラの住処は発見できなかったのか?」
「ああ、そういえば見つからなかったな」
先頭を歩くアテュラが振り返って言った。
「あの、女性の部屋に勝手に入るのはいけないことでは?」
「……おまえ、段々世間でスレてきているな」
「お給料をいただいて、書物を沢山読みました。早く王国の常識を身につけないといけませんから――……ここです」
崩落したらしき巨大な岩石が、壁を圧し潰すようにもたれかかっている。仮にあの向こう側に隠し部屋があったとしても、ネズミならばともかく、小さな肉体の俺ですら隙間を通れそうにない。
アテュラが両手を岩石にそっと押し当てる。
てっきり魔術でも使うのかと思いきや、信じられないことに彼女は両足を踏ん張って岩石を横から押し始めた。
「ん! んん~!」
いや、いや、さすがに。この大きさの岩石ではヴォイドは当然として、ブライズであっても梃子でも使わん限り……は…………?
ず、ずず、ずずずずず……。
動いた。少しずつだが、岩石がずれ始めている。
地面をよく見れば、何かを何度も擦ったような大きな傷がいくつも入っていた。
ヴォイドが真顔でつぶやく。
「……悪夢かよ……」
一組の誇るもうひとりの怪力男ベルナルドもどん引き顔だ。普段糸目の分際で、珍しく目と口をカッ開いている。
こんな部屋、仮に発見できていたとしても誰が入室できるというのか。
そうして人の通れる大きさにまで開けたアテュラは、いつもの無表情で振り返った。
「どうぞ、お入りください。…………皆様? どうかなさいましたか?」
俺にはこの部屋が古竜級生物の口のように見えていた。
まあ、肝心の張本人はキョトンとしているだけだが。
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