第239話 久しぶりのカリキュラム
もう何度目かのダンジョンカリキュラムの日がやってきた。
俺たち三班は前回のカリキュラムをサボタージュしてケメトを追っていたから、ずいぶんと久しぶりな気がする。だからだろう。年甲斐もなく胸が高鳴ってしまう。
冒険はいい。まだ見ぬ景色にはいつも心躍らされる。
キルプスの理想世界が実現して平和になった暁には、広大な辺境の向こう側、未踏の地を回ってみるのもいいかもしれない。
レアンダンジョン第一層、集結地点。
季節は冬だが、風の影響がほとんどないため外ほどは寒くない。だが染み入るような冷たさをそこかしこから感じる。
みなもう慣れたものだ。闇を切り取る魔導灯の白い明かりの中、それぞれ武具や荷物のチェックに余念がない。
俺もそれに倣って脇差しの具合を確かめていると、リオナが突然背中を叩いてきた。
「へ~い、エルたん!」
「なんだ?」
俺は脇差しを鞘へと滑らせた。鯉口がチンと小気味よい音を立てる。
この音が好きだ。剣でも鳴るのだが、刀ほど美しくは響かない。
リオナが赤い猫毛を俺に近づけて、耳元で囁いた。
「ちゃんと保存食を余分に持ってきたぁ? 階層が深くなると一日で戻れるとは限らなくなってくるから、食べ物はこれまで以上に大事だよぉ。だからチューしよ」
留まることなくさらに近づき続ける顔面を両手で押さえながらこたえる。
「だから以降の意味がわからん!」
唇を尖らせるな。ふぎぎ。
どうにか押し放した。俺の筋力も日々上がってきている。こいつの図々しさもだが。
「ふん、そのようなこと。誰に言っている。ぬかりはない」
「あっは、またそんな歴戦おじさんみたいな言い方してぇ~」
ああ、十歳か。そうだった。もうすぐ十一だが。
「帰れなくなってエルたんの食糧がなくなったら、あたしから食べてね? ほぅら、ここらへんとか柔らかいよ~」
「……筋と骨と皮しか見当たらん」
「ひどい! でもそういうところが癖になるの!」
全体の雰囲気が変わっていた。ダンジョンのではなく一組のだ。
みな歴戦の騎士らのように落ち着き払っている。恐怖や不安はその表情からは読み取れない。
ヴォイドが唇をねじ曲げて、ため息交じりにつぶやいた。
「ったく。一年近くかかって、ようやく半人前っつーとこかよ」
「これでも早いほうさ」
オウジンが静かにこたえる。
「僕らが幼少期から置かれていた環境のほうが異常すぎただけだ。だろ?」
「まーな。――だが、そうじゃねえのに異常な成長をしてやがるイカレたガキも約一名いやがるぜ」
ヴォイドが含み笑いで俺を指さした。
「おいっ、こっち見んなっ! 俺は正常だ!」
ここで言う一人前とは、正騎士ひとりあたりの総合力といったところだ。
むろん剣に秀でたイルガやモニカ、加えてさらに怪力と自然知識を有するベルナルドといった一人前以上の者もいる。戦術指揮のセネカの存在もかなり大きい。少々頼りないが、攻防の切り札となり得る魔術師フィクスもいる。
このまま長所を伸ばしていけば、学年が上がる頃には俺たち三班を除いても騎士小隊と比べて劣らぬ戦力にはなるだろう。
しばらくすると、リリが俺たちの前に立った。途端に一組全員が横列を形成する。
「準備はできたかしら。もう特に言うことはないわ。みんなわかっているはず。――マージス」
セネカがハキハキとした声でこたえた。
「はい! 全員一丸となって協力し、ひとりの欠けも出さずに必ず生きて戻ること。撤退は夕刻、超過した場合にはイトゥカ教官がダンジョンを下ってくるので、どのような状況にあっても決して絶望したり諦めることなく待っていなさい、ですね?」
「よろしい。では号令を。――フレージス」
今度はイルガが口を開く。
「はい!」
そうしていつもリリがやっているように右手を広げて挙げ、朗々とした声で叫ぶ。
「一組全員、気を引き締めろ! これよりレアンダンジョンの探索を開始する!」
リリを除く全員の返事が重なり、第一層に大きく反響した。それが止まぬうちに、イルガは一班を率いて先頭となって歩き出す。
先行する一班の中でモニカが振り返り、オウジンと視線を合わせてうなずきあうのが見えた。
「気をつけて。モニカさん」
「はい」
続いて諜報や工作を得意とするレティスたち五班が続き、その次に戦闘指揮のためにセネカ率いる四班がつく。
殿が防衛に長けたベルナルドやフィクスのいる五班だ。
そして俺たち三班はあいかわらずの遊撃隊だ。一班を追い抜いてもいいし、別働隊として行動をしてもいい……と言っても、追い抜けば彼らの成長の妨げになるし、離れれば危機に駆けつけることができなくなる。痛し痒し。
そんなわけで、殿の後ろを歩く――と、リリがつぶやいた。
「みんなをお願いね、エレミア」
「わかっている」
第一層の階段は使わない。ホムンクルス・セフェクが空けた大穴にいつものように四班が縄ばしごを設置し、全員で五層まで一気に下る。
もはや懐かしささえ感じる最初の拠点だ。ゴブリンごときにあたふたしていた一組の姿はもうない。
今回もどこから湧くのかゴブリンの集団が先頭の一班を襲撃したようだが、歩む速度すら変わらなかった。セネカの指示もない。
イルガやモニカらは、飛びかかってくるゴブリンを撫で斬りにして進む。
やや道順が複雑となる第六層に到達してからは、レティスが一班の最後尾について道を示し始めた。その手には自作のマップの描かれたノートがある。
警戒していたオーガの襲撃はなかった。絶滅させたとは思っていないが、どうやら俺たち人間に手を出すことは割に合わないと学んだらしい。
リオナが何度か気配をつかんでいたようだが、結局ゴブリンと違って襲撃にくることはなく、出来損ないの竜と戦ったフロアを抜けて、地底湖のある第七層まで午前中に到達することができた。
「初めてここまできたときは、もう時間切れだったのにねえ」
「まあ、ダンジョンなどそのようなものだ。道順さえわかっていれば、無駄に時間を食うこともない。直線距離にしたらすぐだ」
「それ暴論っていうんだよ」
地底湖の壁を沿うように、簡易に組まれた橋が架かっている。ダンジョンカリキュラムの代わりにインターンシップがあった月、教官連中が職人の護衛をしながら造らせた橋だ。
実にありがたい。冬の時期に地底湖の中を歩くだなどと考えたくもないところだ。以前はホムンクルスとの水中戦のせいで俺は死にかけたし、その後に風邪まで引いたからな。
しかし巨体のベルナルドが一歩進むたびに橋の悲鳴がギィギィと聞こえるのが不安だ。
ふいにリオナが顔を上げた。
「あ」
「敵か?」
俺にはまるで感じ取れないが、リオナの気配察知はもはや魔術の域になると言っていいほど信頼の置ける能力だ。
「あの子がいる。向こう岸であたしたちを待ってるみたいよ」
「アテュラか!」
彼女を無駄に刺激しないよう、俺たちは先頭をいくイルガたち一班に事情を伝えに走る。
最近よく遭遇するなあ。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




