第238話 剣聖の独白(第24章 完)
ふらふらと校門を通過する。
何だか妙に疲れた。甘い物のお誘いは断った。魅力的ではあるが、ニーナから提示された店名が、よりによってリオナのバイト先だったからだ。
調査騎士と元暗殺者、考え得る最悪の組み合わせだ。絶対に彼女らを会わせてはならない。
さらにあの女はぽんこつの分際で妙に鋭いところがある。最初乗り気だった俺が突然断ったことで、あの店に何かがあるのかとブツクサ言い始めたときには、さすがに戦慄した。
そのときは何かを察したらしいナターリアがニーナを言いくるめて別の甘味処の開拓へと話を逸らしてくれて助かったのだが、やつは完全にトラブルメーカーだ。
「エレミア?」
「~~ッ!?」
至近距離から名を呼ばれて反射的に視線をあげると、校門にリリがもたれかかっていた。
「おかえりなさい」
「あ、ああ」
「隠れていたわけではないのだけれど、声をかけるまで気づかないなんて珍しいわね」
まったくだ。
学生の行き来が多い場所とはいえ、視界には入っていただろうに。どうやら自覚している以上にニーナの一件が堪えたと見える。
俺は頭を振った。
「こんなところで何をやっているんだ?」
「ずいぶんな言い草ね。あなたを待っていたのだけれど。相手が調査騎士だから気になったのよ」
「あ、そうか。すまん。心配かけた。問題ない。何も。なかった」
あ。だめだ。
リリが半眼になって眉間に皺を寄せた。
「すごく片言……」
「んぐぅ」
説明などできるものか。そんなことをしたら、リリにまで俺の正体がエレミー・オウルディンガムであることがバレてしまう。
ブライズであることは言えんし、エレミーであることも言えん。俺は不誠実だ。
「まあいいわ。昼食は?」
「まだだ」
リリは困った顔のまま、校舎――というか女子寮のある方角を親指で指した。
「そんなことだろと思って部屋に用意しておいたわ。食べる?」
「食べる。手作りか?」
「そうよ。嬉しい?」
「最高だ」
困り顔が少し微笑む。
「素直ね」
「別に照れるような年齢でもないからな」
通常の十歳男児など、大半がただの阿呆だ。素っ裸で奇声をあげながら街を走り回れるほどの恥知らずなお年頃というものだろう。
「そう? わたしがエレミアくらいの頃は、照れて素直になれなかったものだけれど」
そうなのか!?
ふたり並んで校庭を歩き出す。
「それはブライズとの話か?」
「ええ。思春期だったのよ。戦争から生きて帰ってきてくれて本当は嬉しいのに、怒ってばかりいたわ。飲んで帰ってきては怒って、怪我をしたら怒って。ブライズは嫌だったでしょうね。何をしても帰ってきてうるさく言われるのだから」
「別にそのようなこと、気にも――」
視線を逸らし、俺は続けた。
「気にもしていなかった……と思うぞ?」
「だといいけど」
「おまえは料理がうまい。そいつを食べに帰る。それだけでそれなりに満足だった。ケリーの演奏で踊るおまえを見ながら、カーツと飲む酒は最高だった。それにおまえは自分が思っている以上に笑顔も見せていたぞ。ひとしきり怒ったあとなど、すぐに笑う。安堵したように、嬉しそうにな」
リリが俺を凝視している。
さすがにわかっている。まずい話であることくらいは。
だから、ここまでだ。ここより先はエレミーやエレミアの踏み込むべき時代ではない。ブライズとリリがともにあった時代の話だ。
「……と、俺は想像している。おまえが怒るのは心配してくれているからだ。だから気持ちをぶつけたあとには、すぐに笑顔に変わる。無意識かは知らんが、俺に対しても大体いつもそうだ。ブライズがそれに気づかんわけがない」
「え、ええ」
今度は面食らったような顔になった。
俺はさらに続ける。
「そしてカーツやケリーはブライズにとって弟子であり、よき友、よき家族でもあったのだろう。やつらと実際に話して俺はそう感じた。そういうやつと飲食をともにするのは楽しいぞ。いまの俺にとっての三班――いや、おまえを含めた一組みたいなものだ」
「そ、うね。そう。そうだったら……いいのだけれど」
ふたり並んで歩く足音が、学生たちの嬌声の中に響いていた。
「誰からもブライズに似ていると言われ続けてきた俺が言うんだ。間違いない。おまえやカーツやケリーこそが、ブライズにとっての帰りたい家だ。場所じゃあなく、おまえたちのいるところに帰りたいと、やつは願っていたはずだ」
「ちょ、ちょっと待って、エレミア」
リリが両腕で顔を隠して、俺の耳元まで頭を下げる。
「こんなところで泣かせる気!?」
「ああ、そうか。すまん。ほら、早く部屋まで帰るぞ」
「もう!」
俺はリリの腕を引っ張って、女子寮の入り口まで戻った。リリに挨拶をする生徒が彼女の様子に怪訝な表情を見せたけれど、代わりに俺が手を振るとすぐに仲間のほうへと走り出した。
寮母のホーリー婆さんに会釈をした俺は、教官フロアにあるリリの部屋まで彼女を引っ張って戻ってきた。
ドアを閉ざすと、リリは赤くなった目元を袖で拭って、俺を睨む。
「外でブライズの話をするのはもう禁止」
「やつは〝剣聖〟だぞ。歴史学の授業でも名は山ほど出る。そのたびに泣くわけにもいかんだろう」
「ふふ、教科書のブライズは王都の彫像と同じで、実物より顔がカッコイイから別人よ」
「ひどい!」
そうなのだ。教科書のほうが若返っている分、俺の記憶の自分より美化されている。キルプスめ、余計なことを。
先ほどリリが言っていたように、食卓にはふたり分の食器がすでに並べられていた。バスケットのパンは山盛りだ。しかもどうやら焼きたてらしい。小麦の焼けたよい匂いが部屋中に漂っている。
これはいい。楽しみだ。
「スープを温めてくるわ」
「ああ」
「でも、その前に――」
リリが振り返り、俺の鼻面を人差し指で突いた。
「ニーナはどうしてあなたを連れ出したの? あなた、何を疑われているの?」
俺はあらかじめ、こう言おうと決めておいた嘘を、息を吐くようについた。
「あいつ小さな男の子が好きな変態女らしい。人気のない開発地区に連れ出されて告白をされたのだが、振った。それだけだ」
完璧な嘘だ。そしてニーナに対しての軽い復讐でもある。あの馬鹿女め、妙な噂を立てられて騎士団で浮いてしまえばいい。
リリの目が点になっている。半開きの唇からは言葉もない。
そうしてしばらく。
掠れた声が唇の隙間から聞こえた。
「一応聞くのだけれど、その、どう言えばいいのかしら。……えっと、い、悪戯とかされてないわよね? 妙に疲れていたみたいだから……?」
ハハハ。毎晩俺を抱き枕にして一緒に寝ている女が、何かモラルを説いてやがらぁ。
俺は白目を剥いた。
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