第237話 ただの十歳のガキでいい
深呼吸をして、俺は視線を戻した。
片や実の子の前で親を暗殺しかけた女で、もう片方は俺の頭をボコスカぶん殴ってくれた女だ。ふたりとも泣きそうな顔をしている。
俺はそっと声をかける。
「あ、あのな――」
「ひっ!?」
「~~っ!?」
何やら抱き合って数歩後退されてしまった。まるで凶暴な獣にでもなった気分だ。いや前世は凶暴な獣だったが。
俺は彼女らを安心させるため、愛想笑いを浮かべながら口を開いた。
「いや、そんな大げさな――」
「申し訳ありませんでしたッ!!」
ニーナが泣きそうな顔――ではなく、涙を流しながら謝り、唐突にポケットから暗器にしていたナイフを抜く。
なんだなんだ!?
「ふ、不敬にも、殿下の頭に……触れてしまったこのような指などッ、いますぐにすべて切り落としますから――ッ!」
そう言って膝をつき、右の掌を地面に叩きつける。ナイフを逆手に持った左手を持ち上げながらだ。ニーナが息を整えて目を見開いたときにはもう、俺は地面を蹴っていた。
「おわーっ、やめろ!?」
一瞬で距離を詰め、脇差しを抜刀した。
抜いた勢いのまま、斜め上方からナイフの刃を叩く。キィンと甲高い音が鳴り響き、ニーナの手の中からナイフが弾け、地面に叩きつけられて跳ね上がった――ナイフを、今度はナターリアが拾い上げた。
そのまま両手で握り、喉元に切っ先を向ける。
「最低だ……。父の仇を取りたいばかりに、実の子の前であの方を刺――」
「やかましい! 余計なことを言うな! 話がややこしくなる!」
上を向いて空を見ながら。
「お父さん、いま逝くからね」
「ああもぉぉッ!」
俺は脇差しを振って再びナイフを弾き飛ばす。
今度は思いっきり遠くに飛ばしてやった。だがニーナはまだ腰に剣を佩いている。振り返ると同時に、俺は彼女を指さして怒鳴りつけた。
「抜くなよ!?」
「う……」
「いいか、これは命令だ! あともう片方のポケットにある暗器も出せ!」
ニーナががくりとうなだれ、取り出したナイフを軽く投げ捨てる。俺はようやく安堵の息をついて、脇差しを鞘へと戻した。
頭をガシガシを掻く。
何をどう話せばいいのやらだ。
「で、殿下……?」
「殿下じゃない。俺はエレミア・ノイだ」
ぽかんとした顔をしている。
ニーナのスカポンタンはさておき、ナターリアは自身の父であるワーグネル男爵の仇を討つため、知らなかったとはいえ俺から父キルプスを奪いかけた。それも目の前でだ。後悔もひとしおだろう。
ニーナはその場にへたり込み、ナターリアはすべてを諦めたような表情で俺の言葉を待っていた。死人のような顔色だ。
ナターリアの唇が震えながら動く。
「罰は何なりとお与えください。わたしは殿下にそれだけのことをしてしまいました」
「やめろ」
ニーナはぽんこつ娘だが、ところどころ妙に鋭い。ヘタをすればナターリアがしでかしたキルプス暗殺未遂に気づいてしまうかもしれない。せっかく現時点ではケメトの仕業ということにしてあるというのに。
何にせよ、これ以上ここでナターリアを喋らせるわけにはいかない。
「ナターリア、もう済んだことだ。おまえは恩も悔いも感じる必要はない」
「ですが……わたしは逆恨みで本当に罪深いことを……」
「気に病むなら今日この場であった会話をすべて忘れてくれ。それだけでいい。そしてこれからはキルプスの夢に力を貸してやってほしい。運送業は国を潤すのに必要だ」
ナターリアが震えながらうなずいた。嗚咽だ。小さな。
運送業か。フアネーレ商会に引き合わせてみるのもおもしろそうだ。今度ヴォイドにでも相談してみるか。あいつも知らない仲ではないからな。
「さて、ニーナ」
「は、はひ」
うわ、顔中からニーナ汁が噴き出てる……。
「貴様、よくもまぁここまで引っ掻き回してくれたもんだ」
「す、すみませ……ああ、殿下、何でもしますぅ……。ここで死ねと言われれば死にます……いますぐ脱げと言われれば脱ぎますぅ……」
俺は顔をしかめて首を振った。
「違う。褒めているんだ。大した調査能力だ」
皮肉ではない。正直、己について、ここまでいくつもアヤシい部分があるという自覚さえなかった。なのにニーナにはそれが見えていた。さらに実際に疑って行動まで起こした。ぽんこつではあるが、その調査能力と行動力には目を見はるものがある。
実に惜しい。これで慎重さが伴っていれば、第二の〝諜報将校〟になれたかもしれないのに。
「だが、もうわかっていると思うが、現状俺の存在は国家機密だ。騎士学校を危険に晒したくはない。ナターリアもだが、今日ここで知ったことは忘れてほしい。……というか、ヘタにこれ以上国家機密を掘り進めると、暗部が動くことにもなりかねん」
つまりはそれこそ〝諜報将校〟フアネーレが在籍していたと思われる、国家非公認の存在しないはずの騎士たちだ。
ナターリアはピンときていないようだが、ニーナはもはや吐きそうな表情をしている。
「や、やっぱり、あるんですか? ガリアに暗部……」
「ある。だが口には出すな」
調査騎士団内にあるのか、それとも近衛騎士団にあるのか。
ブライズやリリですらフアネーレの存在を知らなかったということは、つまりはそういうことだ。おそらく本人たちとキルプス以外に知るものはいないのだろう。
俺だってミリオラと会っていなければ、フアネーレなど演劇や物語の中だけの存在だと思っていたくらいだ。
とにかくだ。
「俺はおまえたちを罰しない。なぜならおまえたちが俺の秘密を握っているからだ。つまり立場は同等と思ってくれて構わん。ゆえにこれ以降は、俺をエレミー・オウルディンガムではなくエレミア・ノイとして接しろ。言いたいことはそれだけだ。俺は、ただの、十歳の、ガキだ。いいな?」
ニーナとナターリアが顔を見合わせる。
少し戸惑うようにナターリアが深く俺に頭を下げた。上がった顔は、もういつもの表情だ。俺たちは互いにうなずいて破顔する。
これでいい。
ニーナは胸に手をあてて安堵の息をつき、にっこりと微笑みながら馴れ馴れしく俺の肩に腕を回してきた。
「あーよかった。いいやつだな、おまえ。いや~、心配して損したわ。殺されるかと思った。あ、そうだ。お詫びにおねーさんが甘いもん奢ってやるよ。今日のことはそれでチャラなっ。なんだよ、その目。ただの十歳のガキ扱いでいいんだろ。ウリウリ」
顔をくっつけるように寄せて、逆側から人差し指で俺の頬を突きながらだ。
「ああ、あと戦姫殿にはうまく言い訳しといて?」
「……」
なんだ、こいつぅ……。
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