第23話 地下迷宮の敵性種族・遭遇
しかし――。
ここが何層なのかもわからない。先ほどから軽傷のクラスメイトが天井の大穴へと向けてリリを呼んでいるが、返事はない。
壁を背に座る俺の隣で、ミクが声を潜めてつぶやいた。
「ん~。まいったねぇ。エルたんはこれもカリキュラムの一環だと思う~?」
「……十中八九事故だろうな」
さすがに初日のカリキュラムとしてはやり過ぎだ。王立レアン騎士学校の理事長とやらが、カリキュラムの過程において死者を出すことはやむなしとは考えていても、それが通年ではなく初日からだとは到底思えない。
それに自然ダンジョンが人工ダンジョンに変化しているというのもある。後者であれば国家の宝。調査済みでもなければ、学生などを放り込むはずがない。本来は王国騎士団の管轄だ。
国内の調査済みダンジョンならば、十歳のガキでも把握している。だが、そんなものがレアンにあるなどと聞いたこともない。未発見だと見て間違いないだろう。
「でも事故だとしたら、イトゥカ教官がすぐに助けにきてくれると思うんだけどなぁ~。なんたって剣聖級だし?」
「俺に気を遣って励ましているつもりなら、その必要はないぞ。この程度の逆境は――」
慣れている、と言いかけて言葉を飲んだ。
いまの俺はブライズではない。十歳のエレミアだ。
「あ、わかっちゃう? ほらぁ、飛び級でもやっぱ可愛い十歳だし、怖いかなって」
「おまえは怖くないのか? 俺に気を遣う暇があるなら、自身と向き合え。常に冷静でいられるようにしろ」
「ん~。不安はあるけどねー」
少なくとも三層以内ならば、天井の大穴から声が届かないということはないはずだ。それに一層最奥部で起きた事故に、リリが気づいていないとは思えない。号令後すぐにダンジョンを去ったわけでもなければ、だが。
あるいは。
浮かぶ可能性を否定するように、俺は頭を振った。
だが、ミクは口にする。
「イトゥカ教官、あのバケモンに負けちゃってたりしないかな?」
「ふん、そのようなことがあるものか。リリ・イトゥカは剣聖級の戦姫だ」
「わっかんないよぉ? 素手でダンジョンのフロアを貫いちゃうバケモンだもん」
確かにな。
あの体躯からあれだけの威力を秘めた攻撃を繰り出す魔物を、俺はまだ見たことがない。前世からの記憶を含めてもだ。
ただ、竜種を始めとする体躯の大きな魔物であれば、ダンジョンのフロア程度をぶち抜くことができるやつは山ほどいた。そういう魔物とも何度か交戦した記憶がある。
もちろんブライズはそういった魔物も倒してきた。本当にリリが剣聖級であるならば、負けることはないだろう。
が、剣聖級はあくまでも国王であるキルプス目線での評価だ。
「……」
ああ、馬鹿弟子め。生きているのだろうな。糞、俺が不安になってきたではないか。
「心配そーな顔してるねぇ。エルたんってそぉ~んなに年増女が好きなん?」
「まあ、そうだな」
「むー。あ、ママンのおっぱいがまだまだ恋しい年頃だからかぁ」
「かもな」
「うわっ、否定しないんだ。子供なのか大人なのか、わっかんないや」
心配だが、リリのことは一度おいておくしかない。
問題はこれからどうするかだ。
「ねえねえ、あたしのじゃだめぇ?」
なぜか自身の胸を下から持ち上げている。
リリの半分以下のボリュームだ。
「ああ。全然だめだな」
「そっかぁ」
がっくりとうなだれた。
なんだこの小娘、怖……。何が目的なんだ……。これ以上俺を不安にさせるな……。
クラスメイト二十名。闇の中にできた魔導灯の光が届く一角で、身を寄せ合っている。あのバケモノに肋を砕かれた重傷者を守るようにだ。
ついでに言うと、俺もその重傷者の隣にいる。どうやら十歳であることを考慮して、俺のこともクラスメイトで守ってくれているつもりらしい。ミクがまるで俺の専属護衛みたいになっている。
つまり十歳の俺と重傷者を壁際に配置し、他のクラスメイトらで周囲を守る布陣だ。
ちなみに協調性皆無のヴォイドとオウジンは、勝手に闇の中をうろついている。本来ならそっちに加わりたいところだが、中身がおっさんであることを隠さねばならない俺を、やつらは受け容れてはくれなかった。
――邪魔だ、ガキはおとなしく座ってろや。
――僕が必ず上層へと続く道を見つけるから、エレミアはオルンカイムさんを守ってあげてくれ。
ヴォイドはいい。まだわかる。
だがオウジンのやつは、完全にガキに対する物言いだ。役割を与えればガキは納得するだろうと、そう思い込んでやがる。
ミクも年端のいかん俺を気遣っているつもりか、やたらと話しかけてくる。この程度の苦境で別に泣いたりはしないぞ、俺は。
ああ、恨めしい。この小さな魅惑のボディが。顔面がジャガイモに戻っても構わんから、ブライズの肉体に戻りたい。
生徒らが天井へと向けてリリを呼ぶ声だけが響いている。何度も何度も呼びかけているが、返事はないし、縄が下ろされることもない。
これは自力での脱出を考えなければならないようだ。
そう思い始めたときだった。
「――?」
俺の肩に頭を預けてうつらうつらしていたミクが、突然赤い前髪を跳ね上げて目を見開いた。まるで野良猫が他の生物の気配を察知したときのようにだ。
「どうした?」
「ストップ! 叫ぶのストップ!」
ミクが立ち上がり、リリの名を叫び続けるクラスメイト女子の口を手で覆う。緊張が伝播していく。雑談をしていた生徒らも、一斉に口をつぐんだ。
「ミク――」
「――」
ミクが俺に猫目を向けて、唇に人差し指を立てた。一度目を閉じて、すぐに開き、指を指す。ヴォイドとオウジンが去っていった方角を、だ。
全員がそちらに視線を向けた。
クラスメイトらは首を傾げる。だがそのときにはもう、俺にも気配がつかめていた。
「多いな……」
小さな気配だ。だが、多数。
前方。ようやくクラスメイトが息を呑む。俺はそいつらを掻き分けるように足下を進んで、やつらの群れを目にした。
皮のたるんだぶよぶよの浅黒い肌に、小さな体躯。頭髪のまばらな頭部には尖った耳がついており、手には石や木でできた棍棒を持っている。
醜悪と呼ぶにふさわしい。
「ふん、ゴブリンか」
魔物だ。下級のな。
武器を携帯する人間にとって一体一体は脅威ではないが、やつらは常に群れている。
人に仇なし、人をさらい、人をなぶり、人を殺す。腹を満たすためではない。ただ理由もなく殺すのだ。人が羽虫にそうするように。
当然、言葉は通じない。意思疎通は絶望的だ。
――人はそれを敵性種族と呼ぶ。
助けを呼ぶ声が、やつらを引き寄せてしまった。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




