第220話 いらっしゃいませ我が家へ
立ち去るため、ため息をつきながらベンチから腰を浮かせたときだ。
ふいにアテュラがつぶやいた。
「わたし以外のホムンクルスは、何のために生み出されたのでしょうか」
ベンチに腰を戻す。
「共和国のことだ。どうせ軍事拡張だろ。大した意味などない」
「ルグルス・ネセプには喪った大切な人はいなかったのでしょうか」
「あ?」
俺の脳裏に一名、顔が浮かぶ。前世の記憶だ。
かつて王国の剣聖を卑劣な方法で討ち取り、共和国で〝英雄〟の称号を得た流浪の民の青年ウィリアム・ネセプだ。その名の示す通り、やつはエギル共和国の大統領ルグルス・ネセプの婚外子でもある。
だが英雄ウィリアムの顛末は実にお粗末なものだ。ブライズの弟子である王国の〝戦姫〟に討たれたことで、〝偽英雄〟の蔑称へと変えられてしまったのだから。
それでも、ネセプ大統領がウィリアムをホムンクルス化させて蘇らせた場合、ホムンクルスという人造人間の存在を知らない両国の民はこう考えるだろう。
――共和国の英雄ウィリアム・ネセプは死んでなどいなかった!
相対的に下がるのは、王国の戦姫の価値だ。
つまり戦姫リリ・イトゥカは、共和国の英雄を討ったと吹聴していたことになる。そうなれば両国間における士気の差は明白だ。
「……」
繋がりはする。繋がりはするが。
それだけならば、軍事拡張と何ら変わりはない。アテュラがいま口に出したのは、その他の可能性だ。つまり、ルグルスが子ウィリアムを愛していた可能性のことだ。
ウィリアムは父に認められたくて、危険な任務に志願してブライズを毒殺したのだろうが、やつがブライズを討って得たものは、当初は貴族の身分と軍での地位のみだったと聞く。
それがネセプ大統領の婚外子に対する愛の証か?
俺にはむしろ金と権力を渡し、〝英雄〟の成り立ちに関する口をつぐませただけのように思えるのだが……。
後にキルプスが送り込んだ〝諜報将校フアネーレ〟の暗躍により、そこに〝英雄〟の称号という付加価値が人為的に作られたが、おそらくネセプはそこまでは望んでいなかったはずだ。
そして悪辣なるキルプスの思惑通り、リリがウィリアムを討つことにより戦姫が誕生し、英雄の称号は偽英雄に堕ちた。英雄を失った共和国と、新たなる英雄を作り出した王国のどちらが勝者だったかなど、語るまでもない。
「エレミア? 人間であるあなたになら、わかりますか?」
頭を掻く。
「いや、すまん。俺にもわからん」
「そう……ですか」
共和国大統領ルグルス・ネセプは、いま何を思ってホムンクルスを増やそうとしているのか。
喪った家族や大切な近親者に対する愛か。
それとも。
単に王国に打ち勝つための力を欲してのことか。
何かを見落としている気がする。
脳がこそばゆい。
なぜかとてつもなく嫌な予感がしていた。いまここで気づけねば、これから先に恐ろしい出来事が起きてしまうかのような、そんな予感だ。ブライズの持っていた動物的な勘がそう告げているのに、頭の中でそれが何なのか繋がらない。
アテュラのことは話せないが、キルプスに一度相談すべきかもしれない。だが、やつならばそれだけのことでアテュラ・アーレンスミスにまで辿り着いてしまいそうな気がする。
「ごめんなさい。呼び止めてしまいましたね」
「ん? ああ……」
俺は思考を払うように一度大きく頭を振って、ベンチから腰を上げた。
どうせ考えてもわからん。
そのまま空に両手を突き上げ、大きく伸びをする。緊張していたせいか、背骨が鳴って気持ちがいい。
唐突に子供たちの歓声が戻ってきた気がした。まあ子供といっても俺と同い年くらいのも結構いるのだが。
「帰る」
「はい。ごちそうさまでした、エレミア。包み紙をください。捨てておきます」
俺はうなずき、肉包みの入っていた紙袋をアテュラに渡す。
「ああ、そうだ。おまえ、いまどこに住んでるんだ? 一応把握しておきたいんだが」
この程度の警戒ならば、罪悪感も生まれない。
アテュラが事も無げに言った。
「レアンダンジョンの八層にある隠し部屋です。気配をつかめば出迎えますので、一組のみなさんでいつでもお越しください」
「へえ、あんなとこに棲ん――でぇぇぇ!? ……それは本気で言っているのか? 冗談で俺をからかっているんじゃあないだろうな?」
真顔で首を左右に振っている。
「いえ、これからそこに帰るところですが……」
こ、こいつ……。ふ、ふ、浮浪者ではないか!
俺は緩みかけた涙腺を慌てて締める。アテュラはきょとんとしている。
「水や魔物が豊富ですので、隠れて住むにはとてもよい場所です」
「主食が魔物か……」
「違いますよ。シュシュのおかげで小麦や調味料は買えるようになったので、おかずが魔物です。魔物ダイコンとかおいしいですよ。引っこ抜くときにものすごい声で悲鳴をあげますけど」
つらい……。
キルプスに言えば入居者の少ない騎士学校の女子寮に住まわせることもできるのだろうが、その場合はアテュラの正体を勘ぐられてしまう。
それがリオナのときのようなくだらん誤解で済めばいいが、アテュラは完全体のホムンクルスだ。できれば国家元首であるキルプスとは近づけたくはない。王国が魔導錬金術に手を染めるような間違った途を選ばぬためにも。
「すまん。俺には、おまえを世話してやることができん」
「そんな捨てられてた仔犬みたいに……。共和国で逃走していた頃に比べれば、本当によいところですよ、レアンダンジョンは」
赤い瞳が純粋すぎてつらくなってきた俺は、彼女に背を向けて走りながら叫んでいた。
「強く生きろよ!」
「格闘のことも剣術のこともわかりませんが、こう見えてわたし、結構強いんですよ。あ、ちょっと――」
哀しくて最後まで聞けなかった。
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