第219話 あなたはわたしを殺しますか?
Xや活動報告にのせた時間に投稿失敗してしまっておりました。
申し訳ありません。
子供らが蹴ったボールが転がってくる。魔物革に魔物の毛を詰め込んで丸めた遊具を、魔導技術で補強したものだ。ブライズの時代からあったものだが、あの丸さを見ているとむしろ要塞都市ガライアの壁を破った共和国軍の攻城兵器を思い出し、苦い気分になる。
もっとも、大きさは比較にならないし、そいつの中には軽く弾む魔物の毛などではなく、溶岩のようにどろどろとした液体が閉じ込められていたが。
小さな男の子がアテュラに近づいてきた。
俺は警戒しながら横目で見ていたが、アテュラは足下に転がってきたボールを屈んで手で拾い、投げ返すでもなく男の子へと差し出した。
「ありがとう」
「ええ」
男の子はそれを受け取って仲間のもとへと走って戻る。
警戒を解き、肉包みを口に運んだ。匂いはよかったが、タレが少なく味はいまいちだ。
聞きたいことは山ほどある。
「おまえがレアンダンジョンにきたのは偶然か?」
「なんのことでしょう?」
「とぼけるな。あそこは先史文明の遺跡で、魔導錬金術の研究所だった。そうだろう?」
ヴォイドが見つけた石版には、そう書かれていた。いまは一組が隠滅を図ったため、地底湖のさらに底に沈んでいる。
キルプスを信用していないわけではないが、あんなものは国の選択肢として見せるべきじゃあない。それにはリリも同意してくれた。
「はい。それを知った上でガリアに入国し、レアンダンジョンにやってきました」
「なぜすぐに素直にこたえなかった?」
アテュラが首を左右に振った。
「質問の意図がわかりませんでした」
確かに。俺の聞き方が悪かったか。
「この国でホムンクルスの仲間を生み出すつもりか?」
やや間があった。だが、アテュラは再び首を振る。
「……いいえ。仲間ではなく家族を……取り戻したかった……」
「それはネレイド・アーレンスミスのことか!?」
「はい。父が娘を取り戻したように。ですが……」
三度、首を振った。
「……できない」
「施設が風化していたからか?」
「いいえ。それもありますが、それ以上に恐いのです」
アテュラの赤い視線が、まっすぐに俺へと向けられた。
そうして何度も躊躇うように唇を動かしては閉ざし、やがて絞り出すような声でつぶやく。
「わたしは……本物のアテュラ・アーレンスミスではありません……」
その言葉に俺はうなずいた。
とある実感を持ってだ。
「ああ」
「彼女の記憶を持たず、ただフラスコの中で父に言い聞かされてきた言葉をなぞり、彼女に近づこうと生きているだけの、別の生物です」
「……そうだな」
ブライズの記憶を持つ俺でさえ、もはやブライズではないのだと理解できる。肉体と魂が双方合わさって初めて、本人たらしめるものだ。
俺たちは正反対だが、少し似ている。
「父を蘇らせても、それはもう父ではありません。わたしが娘ではなかったのと同じ。だから、恐くてできなかった。同じ姿で、同じ声で、知らない人になってしまった父を見るだけの勇気が、わたしにはありませんでした」
アテュラが自分の掌に視線を落とした。ひどく寂しそうな視線だ。
子供の歓声が遠のく。
「……だから、共和国から逃走する際に持ってきた父の肉体の欠片を、わたしはこの手でレアンダンジョンに埋葬しました」
掛ける言葉もない。このホムンクルスは、本物の人間などよりもよほど人間らしい道徳心を持っている。
俺には無言でうなずくことしかできない。
「わたしに目的などもうありません。ただ無為に生きるだけ。大好きだった人から、たったひとつだけもらった大切なこの命がやがて尽き果てるまで、ただ生きるだけです」
そうしてアテュラは静かに俺に尋ねる。
今度は視線を合わさずに、うつむいたまま。囁くように。
「……エレミア、あなたはわたしを殺しますか……?」
重い、重い質問だ。
むろん言葉のすべてを信じたわけではない。それでもおそらくは真実なのだとわかる。
だが――いや、だから、か。
絞り出す。弱々しい声を、喉の奥から。
「……俺にはもう、おまえを殺せそうにない」
俺はまたしても、ブライズとは真逆の結論に至ってしまった。
ブライズならば迷いすらなく言えていたはずだ。
――いついかなるときも気を抜くな。妙な動きを見せればすぐにでも斬る。
言えそうにない。喉が詰まりそうなこんな状況で、そのような言葉は。
俺の内心の葛藤に気づくことなく、アテュラは安堵したようにゆっくりと息を吐いた。
「ありがとう。優しい人。ですが、わたしはわたしを捨てません。それが父の願いだから。ガリアがわたしの存在に気づき、ホムンクルス技術のために捕獲や殺害を試みるなら、わたしは命尽きるまであなたたちに抵抗するでしょう。そのときには迷わず――」
「やかましい! 聞くにも値せん! そうならんように考える! 他人事ではないぞ! 俺も、おまえもだ!」
鼻面を指さしてやると、アテュラの両目が寄った。
少し指をあげて、額を軽く弾く。ペチン、と音がした。
「ぅ」
アテュラは両手で額を押さえて、目を丸くしていた。
「わかったか?」
「……はあ」
「なんだその抜けた返事は!」
「わわわかりました」
噛みやがったよ。さほど完璧な生物というわけではないようだ。
恥ずかしそうに口元を手で押さえてうつむいている。
「では次の質問だ。おまえはどこからレアンダンジョンに忍び込んだ?」
騎士学校が知る入り口は鉄扉で閉ざされている。アテュラならば素手で破れそうなものだが、鉄扉は未だ無事だ。
ならばゴブ穴か。しかしゴブ穴には魔物が多くいた。アテュラと交戦した形跡もない。
「いっぱいありますよ。入り口」
「そうなのか!?」
「わたしが知っているだけでも、五カ所ほどあります」
「お、おお、案外ガバガバだったのか……」
まあいい。いま話されてもどうせ覚えきれん。今度遭遇したときに紙にでも描いてもらうか。
「では最後の質問だ」
「え、もう……?」
「思いつかんのだっ。今度遭遇したときにまた色々尋ねるっ。覚悟しておけ!」
何やらぽかんとした顔をしている。
けれども、やがて――。
「はあ……。ふふ」
やがて口元に手をやって、目を細めた。
笑うな!
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