第21話 闇に蠢く赤き眼
何が起こったというのだ……。
俺は痛む身体に鞭を打つように、ゆっくりと身を起こした。濛々と立ちこめる砂煙の中で、そこら中から無数のうめき声が聞こえている。
石混じりの砂山の周囲には、クラスメイトらが倒れていた。
「う……ぐうぅ……」
「……ッ……」
「あ……あ……」
※
俺たちはリリの合図を皮切りに、二十名のクラス全員でダンジョンを進み始めた。
別に仲良しこよしで探索するつもりなどなかったのだが、集結地点となっていた第一層は自然ダンジョンにはよく見る、ただの広大な広場だったんだ。
だから歩調を合わせていたに過ぎない。
二層へと続く階段を探して進む俺たちの前に、教官連中が放ったと思われる魔法生物が現れた。木製の巨大ゴーレムだ。おそらく生徒らに自信をつけさせるためなのだろう。動きは直線的で、且つ極めて鈍かった。
初めての戦闘に、当初こそみな緊張気味だったが、所詮は木偶。あっという間に刃に貫かれ、木くずに戻っていった。
当然のように生徒らの気は大きくなり、それまで慎重に進んでいた足は急激に速まった。俺たちは次々に現れる大小の木製ゴーレムを倒しながら進む。
そのうち自信をつけた班が我先に二層へ到達しようと、他の班を出し抜いて走り出した。他の班がそれを追う。
俺とミク、ヴォイドやオウジンのいる三班パーティは、やる気なさげに最後尾を走っていた。
ちょうどそのときだ。
そいつが突然俺たちの目の前に現れたのは。
それは第二層へと続く階段の直前だった。俺たちが探していた下り階段だ。
我先に生徒たちが走り込もうとしたとき、闇に沈むその奥から、やつは上がってきた。
そいつはこれまでの木偶と比べても、小さな魔法生物だった。ただし、肉体は木製ではない。闇に溶け込むような黒く長い髪に、瞳のない真っ赤な眼球。鎧どころか服すら纏っておらず、しかし性器はついていない。男のものも、女のものもだ。
人間のようにも見えるし、魔物のようにも見える。クラスメイトらはさぞや戸惑っただろう。
俺の脳裏に最初に浮かんだのは、人型を殺す訓練だ。
いざ戦場においては、ダンジョンのように魔物ではなく、同じ生物である人間を殺すことが必要となる。その予行演習用の魔法生物である可能性だ。
だが――。
俺たちをじっと見回す真っ赤な眼球には、意思のようなものを感じる。
魔法生物、ゴーレムやガーゴイルに意思は存在しない。作成の際に魔導設定を組み込まれ、その単純な命令に従うだけだ。
例えば「ダンジョン内で学生を見つけたら排除する。ただし殺しはしない」などだ。威嚇などしないし、警戒もしない。
だがいま目の前に出現したやつは、真っ赤な眼球で俺たちを見回している。値踏みでもするかのようにだ。
本能が警鐘を鳴らしている。
何かがおかしい……?
知性が警鐘を響かせる。
そんな行動をわざわざ魔導設定に組み込むか……?
頭の中で導き出された結論は、異物だった。
おそらくこの得体の知れん生物の存在は、教官連中ですら気づかなかったものなのだろう。三層以降のダンジョン深層は鉄扉で閉ざしたとリリは言っていたが、四層以降には何か未確認の生物が息づいている可能性が高い。
俺は間違っても突撃などさせないよう、ミクの背中、制服をつかんだ。
「……行くなよ、ミク……」
「……」
いや、この期に及んで俺はミク・オルンカイムという少女をまだ侮っていたのかもしれん。つかんだ制服が湿っている。汗だ。いくらも歩いていないのに。
どうやらミクもまた気づいているらしい。顔面を蒼白にしている。
「……ヤバ……」
あれが魔法生物ではないことに。
驚くべきことに、俺たちの背後をやる気なさげについてきていただけのヴォイドとオウジンもだ。ヴォイドは野生の勘か。オウジンは俺と同じく武芸者特有の経験。違和感をつかんでいるようだ。
ふたりが同時に構えた。
「んだぁ、ありゃ?」
「……」
しかし。
他の班は違う。やつが攻撃を仕掛けてこないと見るや、先ほどまで木偶ゴーレムにそうしてきたように、剣を抜いて我先にと襲いかかった。
俺は慌てて声を張る。
「待――」
先頭は男子生徒だ。彼は走りながらブロードソードを、大上段からやつの頭部に斬り下ろす。貴族剣術ではなく、騎士剣術だ。
きっと腕に覚えがあったのだろう。
「ダアアアァ!」
だが刃がやつの頭部に触れる直前、赤い眼球が動いた気がした。同時にやつは左腕を振り上げて、無造作に剣の刃を弾き上げた。
甲高い金属音が第一層に鳴り響く。
腕で剣を弾いた。それも刃を。皮膚が硬化している。人間ではあり得ない。
「な――っ!?」
男子生徒の手から弾かれたブロードソードが宙を舞う。だが、彼はすでにそんなものを見てはいなかった。ようやく己が竜の逆鱗に触れてしまったことに気づいたようだ。
やつの右手が拳に変わって放たれる。
胸部でそれを受けてしまった男子生徒は数十歩分を吹っ飛ばされ、後方から詰め寄っていた他の生徒らを数名巻き込んで、第一層フロアに転がった。
「……ぁ……が……っ……」
血の泡を噴いて、痙攣している。胸部がへこんでいた。拳の形に、大きく。
俺たちの制服は金属糸でできている。無論、鎧ほどの防御力はないが、浅い斬撃では傷つきもしない強度はある。だが、布の体である以上、打撃には弱い。
同じパーティなのだろう。女子生徒が慌てて彼の制服のボタンを外した。そいつの胸部は不自然にへこみ、見る間にどす黒く変色して血を滲ませていた。
一目でわかった。
……内臓まで届く致命傷だ。放っておけば死ぬ。
流れが変わった。
やつに詰め寄せていた生徒らの大半が、震えながら一歩後ずさった。
「ひ……」
「な、何なの……?」
「嘘だろ……」
ああ、だめだな。剣気が散った。戦意の喪失だ。
前世の俺ならば大声で檄を飛ばすところだが、声変わりもない十歳の肉体から発せられる声ではこの流れは止められない。
腰を抜かした男子生徒を置き去りにして、別の生徒がやつに背中を向けた。途端に蜘蛛の子を散らすように、全員が悲鳴を上げながら我先にと逃走を開始する。
俺は毒づくことしかできない。
「馬鹿がッ! 獣に背中など見せるやつがあるかッ! 襲われるぞッ!!」
途端にやつが跳躍した。その右手が、ぼうと発光する。魔術の光だ。
予想通りだ。正面から睨み合っていた俺たち三班だけを飛び越え、リリの待つ入り口へと駆け戻ろうとする生徒集団の中央に――。
ヴォイドが叫んだ。
「おい!」
やつは固めた右の拳で着地をした。右手一本で着地したんだ。
着地。違うな。違った。あれは攻撃だったのだ。
やつの発光する右腕はフロアを貫いていた。ダンジョンの分厚い自然石のフロアを貫き、めくり上げた。そのまま全身で頭から地の底へと沈んでいく。
――キヒヒヒヒ……。
嗤いながら。真っ赤な眼球を歪めて。戦慄が走った。
その後に何が起こるかは明白だ。
第一層階段前フロアに、巨大なヒビが入った。凄まじい速度でだ。逃走するやつらの足下にもヒビと衝撃は忍びより、そうして――。
ダンジョン第一層は、崩落した。
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