第208話 地下上水道での分断
ケメトが忌々しげに吐き捨てた。怒りと殺気で引き攣った笑みをかろうじて浮かべながらだ。
「……ふん、言葉も通じぬ下等生物め」
「言葉? おまえがいま使っている言葉はこの大陸の人間が生み出したものだ。人類を駆逐するんだろう? なら人の言葉なんて使わずドブネズミらしく鳴けよ」
オウジンが刀を取り回し、前傾姿勢で膝を深く曲げる。それを見たサビちゃんもまた、同じような姿勢を取った。
ケメトの顔面が眼球のように真っ赤に染まる。
「もういい、殺すッ!!」
俺たちへと突き出されたケメトの両腕に炎が宿った。それは瞬く間に膨張し、膨れ上がり、大気をも灼き尽くす高熱の大炎柱へと変化する。
「ヴォイド」
「ああ」
ヴォイドと俺が同時に後方へと走り出した瞬間、俺は信じられないものを見た。オウジンとサビちゃんが左右に散りながら、ケメトのほうへと駆け出していたんだ。限界まで姿勢を低くして、自ら炎に突撃するべく最速で。
いや、これは。そうか。
ケメトの咆吼が耳をつんざく。
「――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!」
掌から炎が放たれた。それは隧道すべてを埋め尽くすような炎の壁となる。
オウジンとサビちゃんは両腕を交叉しながら生み出されたばかりの炎の壁を突き破り、そしてケメトの左右からやつの後方へと抜けた。俺とヴォイドをこちら側に残してだ。
――挟撃か!
ケメトに目に戸惑いが宿る。
やつの掌の方向が変わった。右手は俺とヴォイドのいる方向に向けられたまま、左手は背後へと回ったオウジンとサビちゃんにだ。
俺たちに襲いかかる火勢が半分になった。
「ハッ、オウジンは当然だが、あの騎士もなかなかやりやがる」
「ふはは、サビちゃんだからな」
俺とヴォイドは足を止め、再び武器を構えてケメトへと反転攻勢を仕掛ける。
「小癪な真似を!」
やつの掌からあふれ出す炎はもはや隧道を埋め尽くす壁にはなっていない。渦巻き状に薙ぎ払われた炎を俺はかいくぐり、ヴォイドは跳躍で越えた勢いのまま――!
「ヴォイド!」
足を狙っての岩斬り――を跳躍で躱したケメトの脳天へと、ヴォイドのブンディ・ダガーの刃が叩き下ろされる。
「ぐおらあぁぁ!」
バギャっと凄まじい音が鳴り響き、ケメトは地面へと叩きつけられて跳ね上がった。
あいかわらずの怪力だ。
その頸を掻ききるように、今度は向こう側からオウジンが刃を振り上げる。
「シ――ッ」
「く――!」
ケメトが自ら身をひねって跳ね上がり、刃を躱した。
いや、掠っている。刀の切っ先は確かにケメトの頸部を裂いた。人間にとっては致命傷。だが、やつらホムンクルスにとっては、浅い。
「~~ッ! この下等生物がッ!!」
一瞬、傷口から真っ赤な霧が弾けるように噴出したが、地に足をつけたケメトが掌で覆うと、次の瞬間にはもう傷口は綺麗に消えていた。レアンダンジョンで遭遇したホムンクルス・セフェクと同じ超回復力だ。
だが、そのオウジンの影に長身を潜ませながら突進してきたサビちゃんの刺突が、ケメトの胸部中央へと突き立てる。
およそ生物の皮膚を貫くものとはかけ離れた音が、バギンッ、と響いて、硬質化させた皮膚をまき散らしながらケメトが後方へと背中から転がった。
「刺さらなかったわ! 回り込んで! 絶対に逃がしちゃだめ!」
サビちゃんの言葉が終わるより早く俺は宙を舞い、空中から脇差しの切っ先をケメトの胸部傷口へと向けて突き下ろしていた。
ここなら岩斬りでなくとも、確実に刺さるはずだ。
「おおおおっ!!」
だがあろうことかケメトはその刃を素手でつかんで阻止し、あまつさえ俺をまるでゴミのように高くぶん投げた。
「邪魔だチビ!」
――糞がッ、この肉体は非力な上に体重が軽すぎるッ!
ケメトはすぐさま起き上がり、数歩の距離にまで詰めていたオウジンを迎え撃つ。オウジンの刃を肘で受け止めて。
空中でそちらに気を取られていた俺へと、ヴォイドが叫んだ。
「つかめエレミア!」
下。まずい、水流に落ちる。
一瞬ヒヤリとしたが、ヴォイドが腕を伸ばして俺の手をつかんでくれた。下半身は水に浸かってしまったが、流されるよりはマシだ。
這い上がる俺に手を貸したヴォイドへと、オウジンを蹴り飛ばしたケメトが標的を変える。小さな――けれども先ほどよりも濃い色の炎を拳に宿し、投擲するように振りかぶってだ。
「まずは二匹だ!」
俺は慌てて叫ぶ。
「放せヴォイド!」
「……!」
「まとめて死ね、下等生物」
ヴォイドが舌打ちをして、俺の腕を握る手を弛めた。
だが炎が放たれる寸前、振り下ろされたケメトの腕を、横から滑り込んできたサビちゃんがエストックの刃で叩きあげる。
「させないわよ!」
「――ッ」
跳ね上げられた炎が天井で弾けた。凄まじい震動と熱波が一気に広がり、砕けた小さな炎が降り注ぐ。
ヴォイドが俺を引き上げた直後、天井の一部が崩落した。いや、一部ではない。天井を見上げたオウジンが声を上げる。
「これは……! 崩れるぞ!」
「ショタちゃんたちも、すぐにそこを離れてっ!」
直後、砕け落ちてくる大量の瓦礫や砂礫が隧道を堰き止めるように降り注ぎ、容赦なく埋めていく。直下にいたケメトを巻き込み、水路はもちろん、通路までもだ。
ケメトは下敷きだ。だが戦いの余韻に浸る暇もない。
ヴォイドが珍しく悲観的な表情を見せた。
「おい、こりゃちとまずいぜ! 走れ、エレミア!」
「わかってるよッ!」
水だ。隧道の水路が埋まったのだ。行き場を失った水はこの場に溜まり続ける。走り出すまでの間にも、水路の水は通路まで上がってきている。
堰き止められている下流に逃げたオウジンたちは問題ないが、俺とヴォイドはかなり状況的に逼迫してしまった。
「急げヴォイド!」
「てめえが先にいくんだよッ、ボケガキ!」
「いて、頭を叩くなっ」
とにかく走り、来た道――かどうかすらもはやアヤシい通路を全速力で駆け戻っていく。当初は足首だった水かさが、もう腰のあたりまできている。足が重い。流されそうだ。
ああ、糞!
レアン地下上水道は街の各地区へと分かれるいくつかの本流と、そこから各家庭に分かれる細い支流でできている。俺たちのいた本流とは別の本流に入ることができれば、水かさは減るはずだ。
「そこを曲がれ、エレミア」
「おう」
俺はヴォイドに背中を押されるように、通路へと押し込められた。通路は水の中だが、水かさは脛のあたりになっている。目を凝らすと、闇の先に本流らしきものが見えた。どうやらふたつの本流を繋いでいる支流だったようだ。
助かった……。
「ヴォ――」
振り返り、ヴォイドに報告をしようとした俺は息を呑んだ。
その背後――。
殺意に満ちた真っ赤な眼球を、厭らしく細めているケメトの頭部が、水中から突き出ていたからだ。
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