第207話 ドブネズミの戯れ言
リオナを先頭にして俺たちは走る。
俺とサビちゃんが彼女の護衛につくようにその背中を追い、ヴォイドとオウジンが殿だ。リオナは何かを感知するたびに進行方向を変える。だがいまのところまだ、対象は見回り騎士のグループばかりのようだ。
「サビちゃん、騎士仲間のほうはいいのか? サビちゃんが抜けたら大穴が空くぞ」
「あら、ショタちゃんはお忘れ? アタシはこれでも新人騎士よ? 言ったでしょ。各班に必ずベテラン騎士が配備される布陣だって」
「引率は別にいるのか」
並外れた手練れのせいで忘れていた。
しかし外征騎士のレエラ・アランカルド小隊長といいサビちゃんといい、昨今の騎士団では女性騎士のほうが活躍しているのだろうか。
「ま、それでも犠牲は出続けているのだけれどね」
そう言ってサビちゃんは、どぎつい化粧の顔で苦笑する。見上げる俺の視線に、バチコンと音の鳴りそうなウィンクをしながら。
「それに、あなたたちと一緒のほうがケメトを発見できる可能性が高いと思ったの」
「なぜだ?」
「足音。アタシたち騎士は足甲だから響きすぎる。学生の革靴のほうがまだ察知されづらいでしょ」
言われて彼女の足下に視線をやると、サビちゃんは革製のブーツを履いていた。グリーブに比べれば遙かに防御力に劣るものだが、確かに隠密行動に騎士装備は向いていない。
男性より力で劣る女性騎士は、重い金属鎧を着込まない。それゆえに自らの肉体に合わせて鎧を発注し、余分を削ったものを身につけることが多い。稀に下着と見紛うような鎧をつけている女騎士がいるのはそのせいだ。
かつてブライズ一派にいたカーツ・アランカルドは鼻の下を伸ばして彼女らを見ていたが、俺から言わせりゃ、半端な実力であれはさすがに自殺行為だ。敵の鼻の下を伸ばさせるという意味では一定の効果があったのかもしれんが。
まあ、女性といえどヴォイドを正面から吹っ飛ばすようなサビちゃんに、金属鎧を削るような改造が必要かと問われれば、甚だ疑問ではあるのだが。
だが、剣を極めれば行き着くところは鎧の重量問題でもある。鋭い剣や剛の剣はどうせ金属鎧でも防げはしないし、ならば身軽に素早く動けたほうがいい。
だからブライズは鎧を装着しなかったし、リリにも鎧ではなく魔物革のコートを与えた。
まさかあんなものを未だに後生大事に持ってくれていたとは思ってもいなかったが。
そんなことを考えて、少し口元を弛めた瞬間だった。
リオナが足を止めたんだ。
水面を覗き込んでいる。俺から見ても流れに滞りはない。川の水を直接引いているためか、藻が真っ暗な流れの中で揺らいでいることしかわからない。だがリオナが何かを感じとっていることだけは確かだ。
サビちゃんが不思議そうに尋ねた。
「リオナちゃん? どうしたのよ?」
「……」
リオナが腰から魔導灯を外し、膝を折って水面にそれを近づけた――瞬間、水が柱のように天井まで噴き上がり、五指を持つ手が彼女の頸をつかむべく伸ばされる。
「ケメ――ッ!!」
息を呑むリオナの首に指先が触れかけた瞬間、抜刀すら間に合わぬと踏んだ俺はその手を短い足で蹴り上げていた。
「おおっ!」
軌道を変えるだけで精一杯だ。身を逸らせたリオナの額にケメトの指先が掠る。だがかろうじて躱した。
「このガキ、また俺の邪魔を――ッ」
直後、ヴォイドがリオナの襟首をつかんで後方へと大きく放り投げていた。
「きゃっ」
「てめえは離れてろ!」
ケメトの巻き起こした水柱が天井で砕け、遅れて雨のように俺たちへと降り注ぐ。
暗闇を背中から転がったリオナは、裂けた額から流れる血を袖で拭うと、一瞬だけ俺に視線を向けてそのまま後方の闇へと溶け込むように姿を消した。
大した穏形だ。もう気配が読めない。
全員が武器を抜く。
かなり危うかったが、ここまでは予定通りだ。
「先生」
「ええ」
水中より現れたケメトへと、オウジンとサビちゃんが同時に斬りかかった。
ケメトはオウジンの鋭い突きを紙一重でかいくぐり、がら空きとなったその胴体部へと拳を放つ――だが接触の直前でサビちゃんの斬撃がケメトの胸部を強く打ち付けた。
「はぁいッ!!」
ケメトの全身が浮き上がり、後方へと吹っ飛ぶ。
うまい。オウジンがとっさに囮となり、サビちゃんの斬撃をあてさせた。息の合ったコンビネーションだ。
だが顔を歪めて舌打ちをしたのはサビちゃんのほうだった。ケメトは両足で地面を掻いて長い髪を振り乱し、真っ赤な眼球で俺たちを平然と睨んでいた。
サビちゃんがエストックを構えながらつぶやいた。
「無傷よ。刃が入らなかったわ」
ケメトが口角を耳まで裂いてニタリと嗤う。
俺とオウジン、そしてサビちゃんを見てだ。
「ふふ、はは、驚いたぞ。殺しにいくまでもなく、わざわざそちらから出向いてくれるとはな。あの女がいないのは残念だが、大いに手間が省けたというものだ」
オウジンが刀の切っ先をケメトに照準する。
「何を言っているんだ。あの夜おまえが女子の言葉に泣かされて、ドブネズミのようにみっともなく地下に逃げ込んだからきてやっただけだ。くだらない手間を取らせないでほしいな」
「……」
ケメトの瞼がぴくりと痙攣した。
オウジンにしては珍しい挑発だ。けれども、俺は思う。同級生女子から逃げ回ってるおまえが言うなと。
いや、本題はそこではない。オウジンのこの行動には目的がある。
ヴォイドが臨戦態勢でも取るかのように腰を落とし、両腕を交叉して俺に囁いた。
「……おい、ありゃ何のマネだ……?」
腕を交叉したのは口元を隠すためだろう。つくづく機転の利く男だ。
俺は唇を動かさずに応える。
「……次に炎がくるから逃げる準備をしとけ……」
普段からオウジンは物事をはっきりと言う男だ。多少相手に失礼であったとしても、それが誠意であるかのように口に衣を着せずに発言する。
だが、戦いの最中においては黙する。余計な口を叩く前に刀を振る男だ。
だとするならば、示すところは俺へのメッセージだ。ヴォイドに忠告をしろ、という。
ケメトへと切っ先を向けた右手はそのままに、やつの死角にある左手で後方を指さしている。引き返せの合図だ。
「……この広さの隧道では炎で埋まる」
ケメトが両手を広げて俺たちのほうへと向けた。
「勘違いするなよ、ガキども。俺は逃げたのではない。貴様らを誘い込んだのだ。――浅はかなのだよ、人間という種は!」
「大雑把に括るなよ。その人間から生み出された生物ごときが」
オウジンのその言葉を、ケメトが鼻で嗤い飛ばす。
「いずれは取って代わる。我らを生み出し利用しているつもりの共和国も、我らを軽んじる人間どもも、せいぜいいまのうちにふんぞり返っておくがいい。我ら上位種たるホムンクルス、数さえ揃えば人類の駆逐など――」
オウジンがヴォイドのように左手で耳をかっぽじり、半笑いで言った。
「地下で鳴いてるドブネズミの戯れ言なんて誰も聞かないよ」
瞬間、あふれ出す。
小さなケメトの肉体から、とてつもない濃度の殺気が――。
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