第200話 王位失格
ナターリアは放心したような表情で、ぺたりと地面に座った。そのままうなだれ、長いため息をつく。
俺は腕組みをして突っ立っていたヴォイドに視線を向けた。
「ヴォイド」
「あ?」
「悪いが、ナターリアを送ってやってくれ」
ヴォイドが眉根を寄せて俺を見る。
「なんだ、その顔は?」
「どこへ?」
「あ……」
失言だった。
ワーグネル邸はすでに倒壊している。下敷きになった男爵が埋葬されているのだとしたら、邸宅はもう平地になっていることだろう。
俺は頭を掻く。
「すまない、ナターリア。あれからどこに泊まっているんだ?」
ナターリアが力なくつぶやいた。
「……父がやっていた商会の倉庫よ……」
上半身をひん剥かれたキルプスが、アルムホルトの治療を受けながら口を開く。
「私が泊まっていた宿に向かうといい。星海の鯨亭だ。必要になるかと思い、しばらく先まで支払を済ませておいた。私はこのまま王都に戻るゆえ遠慮は必要ない。宿酒場で出る料理がなかなかうまいぞ。住居は後日あらためて用意させてくれ」
「王、治療中はあまり動いたり喋ったりされませぬよう。長引けば私の魔力が保ちませんぞ」
「む、すまん」
アルムホルトがまともなことを言っている。珍しい。
俺は視線をナターリアへと戻した。
「そういうことらしい。あんたがよければ、のってやってくれ。互いに少しは気が晴れることもあるだろう。――どうせやつの金だ。はち切れるまで食ってやればいい」
「……無関係な子供のくせに生意気……」
そうだった。俺はブライズではないし、エレミー・オウルディンガムであることを名乗ることもできない。だが事態が事態だけに、どうにも調子が狂ってしまう。
ナターリアがキルプスをキッと睨んだ。
「その提案にはのらせてもらうわ。けれど、あなたを赦したわけではないから」
「肝に銘じておく」
「父を手にかけた諜報員だけは絶対に捕まえて。そうしたら、そのときには……」
キルプスがもう一度深くうなずく。
ナターリアが視線を俺に向けた。
「それと、そこのおチビ」
俺は視線を回す。
ヴォイドとキルプスとアルムホルトと近衛騎士たちがいる。みんな俺を見ている。
「あんたよ、あんた! エレミア・ノイ!」
「俺っ!?」
「小さい子が他にいる?」
そうか。俺か。そうかそうか。小さいか。そうかぁ~……。
「首なんて切って持ってこられても困る。だからちゃんと大人に捕まえて裁いてもらいなさい。あまり危ないことはしないように。子供なんだから」
「いや、俺は……」
「返事!」
「はいっ」
母ちゃんかよ。苦手だ。こいつ。
ヴォイドが顔を背けて噴き出した。
「笑うな!」
「へいへい。んじゃま、いきますかね。――立てるかよ、ナターリア?」
「あたりまえでしょ!」
そう言って立ち上がろうとしたナターリアだったが、すぐに膝が折れてしまってよろめく。
「おっと」
ヴォイドが彼女の腕の下に自らの腕を差し込んで片腕で抱える。そのままあれよあれよという間に彼女を背負ってしまった。
「ちょ、ちょっと! 下ろしなさいよ!」
ナターリアがポコポコとヴォイドの頭を叩いている。ヴォイドにとっては蚊に刺されたほどのダメージもなさそうだが。
「んじゃな、エレミア。このうるせえ女を送ったら、俺ぁ直で学校に戻ってるぜ」
「うるさいとは何よ! 下ろせバカ、ヘンタイ! 学生のくせに生意気!」
気のせいかナターリアの頬が少し赤く染まっているように見えるが、もう薄闇を越えて暗闇だからよくわからない。
「しばらく学食にいるからよ、あとで話聞かせろや」
「お、おう……」
「下~ろ~せ~ッ」
「うぜえ」
「うぜえって何よ!」
やいやい言い続けるナターリアを背負ったまま、ヴォイドは俺たちに背中を向けて歩き去っていった。
あいつ……かっこヨ……。
気づけばすっかりと日が落ちてしまっていた。欠けた月が上がり始めている。
俺はキルプスを睨む。
「おい、キル――父上」
「なんだ?」
「なんだではない。どこからどこまでがシナリオだ?」
「大半がシナリオから外れていた」
胡散臭い王だ。
「刺される可能性は極めて低いと思っていた。念のために武器を携帯していないかを近衛騎士隊所属の女性騎士に調べさせたからな。まさか暗器で髪を結うだなどと、思いもしなかった」
「極めて低いということは、多少はあったのだろう? もし左胸を突かれたりしていたら即死だったぞ。父上にしては迂闊だったな」
命が消えれば、治療魔術ですら役に立たない。つまり本当に死んでいた可能性が高いのだ。
キルプスが苦笑いを浮かべる。
「即死ではない。心臓が潰されようが意識が失われるまで数秒はあるし、呼吸停止までは割と長く残る。それに対策はしていた。ジャケットの左胸部は金属糸が編み込まれている。ナイフが心臓の位置だった場合にはそこまで達しなかったはずだ」
「全体から金属糸で作り直せ! このど阿呆!」
「血を流すことが必要になることもある。人心掌握には身を切るのが手っ取り早い。財然り、肉体然りだ。実際にナターリア嬢は正気に戻ったであろう。細腕では頭蓋は貫けんだろうしな」
「それは……そうかもしれないが……」
確かに一度ナイフで貫いたことで、ナターリアの怒りは戸惑いへと変化して、そして消え去っていったようにも見えた。
だが、子としても友人としても看過できないやり方だ。
「なぁに、即死でさえなければ見張りのアルムホルトがなんとかしてくれる」
先ほどよりずいぶんと老け込んだ顔で、アルムホルトがぼそりと吐き捨てた。
「……正直荷が重い……」
声が震えてるではないか。だいぶ気の毒だな。この変人の護衛など同情しかない。
キルプスが長い息を吐いた。
そうして上がり始めた月を眺め、静かに囁く。
「……等しく戦わせてくれ。剣を振れぬ私にも。安全な場所から兵らに命を捨てよと指揮するだけの王にはしてくれるな。でなければ、勇敢に散っていった騎士たちや――我が友と、どうして胸を張り再会などできようか。私はいつも忸怩たる思いで彼らを見送るばかりだ」
「……それが本音か……」
そうか。ずっと苦しんでいたのだな。
ブライズや多くの味方が散った共和国との戦争を、王であるがゆえに生き延びてしまったことを。
馬鹿が。そのようなことでいちいち心を痛めるようなやつは王には向いていない。
だが。ああ。だが。
だからこそ、かつての俺はキルプスを主に選んだ。この男に己の剣を預けた。
キルプスは言う。少し年老いた、けれどもあの頃と同じ表情で。
「おまえが騎士学校に入学したいと言い出したとき、私は嬉しかった。だが正直それ以上に、うらやましくも思ったものだ」
そして俺もまた、この国の王子としては失格なのだろう。
キルプスは傷が塞がると、穴の空いたジャケットを羽織り直し、アルムホルトの肩を借りながら丘を下っていった。
俺は距離を取るためにそれを見送ってから、夜の墓地を後にした。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




