第198話 平穏を喰らう牙
まあ、この男にいちいち腹を立てていても仕方がない。
俺はアルムホルトを見上げながら口を開く。
「この先に父上もいるのだな」
「ええ」
「護衛はいいのか? 離れすぎではないのか?」
「近衛騎士総勢三十余名が距離を取り、墓所自体を取り囲んで警戒にあたっています。不審な者が近づけば、こうして道を塞ぐ算段となっています」
ヴォイドがかったるそうに両腕を組み、横柄に尋ねた。
「ん~で、俺らは通してもらえんのかよ? どっちだ? あ?」
「……」
微かに呻ったアルムホルトだったが、俺たちの前から動く気配はない。もっとも、ヴォイドに対する他の近衛騎士らの怒りは肌で感じ取れるほどにあからさまだが。
返事がない。俺はため息をつく。
「まあいい。行くぞ、ヴォイド」
「へいへい」
ヴォイドを引き連れてやつを迂回しようと歩き出し――かけたところで、アルムホルトが再び口を開いた。
「お待ちください、殿下」
「なんだ?」
「私には王族であらせられる殿下をお止めする権限はありません。ただ、この先――」
何かを言いかけて口ごもった。
一度首を左右に振って、俺に視線を落とす。
「いや、陛下からは誰も通すなとのご命令です」
面倒な。
俺は片腕を腰にあて、顔をしかめて見せた。
「そこに俺も含まれるのか?」
「ええ、おそらく。ですが先も言いましたが、王家に仕える私には殿下の命令にも従う義務があります。お止めすることはできません」
「回りくどい」
アルムホルトが俺たちに道を空ける。
「ただ、陛下からはそういう命令が私に下っているということだけ、お知らせしておきます。この意味、努々忘れることなきよう」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「いいえ、なにも」
それだけをつぶやくと、アルムホルトは口を閉ざしてしまった。
やつが片手を挙げると、その場に集っていた近衛騎士たちが一斉に四方八方へと散るように歩き出した。墓地へと続く街道はもちろん、草むらまでも掻き分けて進んでいくやつもいる。
どうやら定位置に戻るらしい。
この街道にはひとり、アルムホルトが立っているだけだ。
なるほど。振り返ってみればわかる。丘の中腹であるこの場所からならば、墓地へと向かう人たちの姿もよく見える。どうやらかなり早くから、俺たちは捕捉されていたようだ。
「行くぜ、エレミア」
「ああ」
俺たちはアルムホルトを迂回して墓地へと続く街道を登っていく。やつはもう振り返りもしない。
そこから先は何事もなく、俺たちは無数の墓石が立ち並ぶ墓地まで辿り着いていた。墓地の管理者らしき老人が箒で木の葉を掃いている。
夕焼け空も相まって、そこは寂寥感が漂っていた。
老人にワーグネル家の墓所を尋ねようとした俺の肩に、ヴォイドが手をのせた。
「あそこだ」
「あ……」
ジャケットを着た男と、その隣にはやつれた女が立っていた。ふたりきりだ。前者はもちろんキルプスで、後者は――おそらくワーグネル夫人か、あるいは男爵の娘だろう。思ったより若い。
墓石を前にして、ふたりで何かを話しているようだ。
ヴォイドが俺の背中を押した。
「誰と何を話すつもりかは知らねえが、ま、行ってこいや。俺はここで待ってるぜ」
用があるのはキルプスではない。どちらかと言えば遺族の方だ。
あるいはワーグネル男爵か。
だがそこにキルプスまでいるとなれば、少々近寄りがたいところだ……が。いや、そもそも俺は何を語るつもりなのか。自分でもよくわかっていない。
逡巡していると。
「エレミア? まさかおめえ、心細いからそこまで付き合えってんじゃねえだろうな」
「阿呆。そこまでガキではない。こ・こ・ま・で、付き合わせてしまってすまなかったなっ。別についてこなくてもよかったのにっ」
ヴォイドがあからさまに表情をしかめる。
「バァ~カ。こっちはただの仕事だ仕事。さっさと死にかけて俺に稼がせろや」
なんて言い草だ。報酬など一切発生しないクラスメイトだって、命がけでホイホイに助けるくせに。
俺が舌打ちを返すと、やつはそっぽを向いて墓地に備え付けられていたベンチに腰を下ろした。レアンの街を一望できるベンチだ。
後ろ手をパタパタ振っている。さっさと行けということらしい。
俺はヴォイドに背中を向けて歩き出した。
だがキルプスに近づくにつれて、泥々とした湿地帯を歩いているかのような嫌な空気が纏わりついてくることに気づく。
足が重い。何かがおかしい。じわり、汗が滲んだ。
エレミーではない。これはブライズの経験からくる勘だ。
足を速める。
キルプスが女に背を向けて地面に膝をつき、墓前へと花束を置いた。その直後のことだ。黒のモーニングドレス姿の女が、アップに結った髪の中に手を入れたのは。
達人の放つ鋭い殺気ではない。それは誰もが持つ怒りや憎しみ、そして嫉妬といった負の感情に近しいもの。
「おい――!」
声を張った。
キルプスが俺に視線を向けて、ギョッと目を見開く。女の髪がほどけた。その手の中には小さな小さなナイフがあった。髪の中に隠していたんだ。
キルプスは気づいていない。まだこちらを見ている。
脇差しを抜いて地を蹴り、俺は走った。
沼だ。足が取られる……と感じるほどに遅い。間に合わない。
「キルプ――ッ!!」
俺の叫び声が終わる頃にはもう、ナイフの刃は深く、深く。
キルプスの背中へと埋め込まれていた。
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