第1話 母ちゃんには頭が上がらない
ギーコギーコと、皿の肉を挽く。
ぬう、切れん。貴族の食う肉というものは、なぜこうも分厚いのか。切ってから出せと。
仕方があるまい。もう少し力を込めるか。
生まれ変わりなど信じたつもりはないが、ブライズの記憶は十歳になってなお、夢のように薄れることはなかった。
「エレミー」
父が威厳のある声で、皿の上の肉に悪戦苦闘している俺を咎める。
「もう少し力を抜きなさい。王族たる者、食事の際に音を立てるものではない。おまえは皿まで切るつもりか」
「……申し訳ありません、父上」
ナイフで皿は切れんよ、父上。
言いたいことはわかるが、力の加減がわからん。
おそらく頭に残った前世の記憶のせいだろう。俺の脳みそは、常に肉体の限界値まで力を引き出そうとする。この肉は、骨はおろか筋さえ取り除かれているというのにだ。意図して力を抜けば切れないし、どうしろというのだ。
「こうですよ~」
わざわざ席を立って背後に移動してきた母が、俺の両手に自らの手を添えて、ナイフですぅっと肉を挽く。断面は美しく、音もなく、肉が分かれた。
断面から流れた肉汁が、茸のソースと混ざり合う。
「ありがとう、母上」
「いえいえ」
にっこにこで俺に手を振ってくれる母上とは対照的に、一番上の兄レオナールがナフキンで口元を拭いながら眉をひそめる。
「まったく。おまえはいくつになっても野犬のようだな。血の繋がった弟とは思えん」
「いやいや、レオ兄。エレミーは手づかみでなくなっただけでも大した成長だよ。……くっく」
二番目の兄アランドがそう言うと、ふたりして俺を嗤った。
――顔面に一発イイのをぶち喰らわすぞ小僧ども!
レオナールは十八歳、アランドは十六歳。そして俺はまだ十歳だ。
次期国王候補どもがガキに向けてつまらんマウントを取りに来るあたり、この国の未来も知れているな。前世ではまだ豆粒のようで、可愛げもあったというのに。
ナイフで喉を裂いてやるわけにもいかず、一発強烈な舌打ちでもくれてやろうかと思った瞬間、父がため息をついて、ふたりの兄を窘めた。
「よさぬか。斯様に責め立てるほどのことでもない。あの剣聖ブライズもそうだったのだからな。いや、あやつは皿ごと斬りおったか。何にせよ、豪快で誠に気持ちの良い食いっぷりであった」
「……」
勘弁しろ、キルプスめ。そんな昔の失敗を己のガキに話して聞かせるやつがあるか。こちとらもう顔面大発火だ。
国王キルプス・オウルディンガム。
俺、つまりブライズが戦場で大暴れしていた前世では、まだ戴冠したばかりのなんとも頼りない若王だったが、いまでは髭を蓄えた立派な王様顔になっている。
質実剛健を地で行く生真面目な性格だが、貴族どもにありがちな嫌味ったらしい男ではない。そして驚くべきことに、今世では俺の父だ。
アランドが半笑いで口を開く。
「剣聖ブライズと言っても、しょせんは爵位すら持たない平民でしたからね。剣のみではなく礼儀も身につけるべきでした」
今度はキルプスが眉をひそめた。
「故人を、それも救国の英雄を、そのように言うのも礼に反しておるぞ、アランド」
「はは、これは失礼しました」
兄らを見ていると、かつての騎士どもを思い出す。
お上品で、型にはまっていて、面白味の欠片もないやつらだ。趣向といえば他人を見下し楽しむ。かつての世では、そういった輩はたかだか騎士爵がほとんどだったが、いまでは王族までこの有様とは。稚拙極まりない。
死に物狂いで国を守ってやった甲斐がないぞ、キルプス王よ。
「そうですよ。よくないですよ、そういうの」
母が両手をドレスの細い腰にあてて、唇を尖らせる。
王妃アリナ・オウルディンガム。
前世から顔を見知ってはいたが、子として産まれて初めて内面を知った。彼女はほわほわしていて暖かい人だ。その雰囲気から周囲を笑顔にし、誰も彼女に対して悪意を抱く人はいないと思われる。
だからだろう。兄ふたりも、これにはばつが悪そうにしている。
元々は地方領主の次女だったらしいが、キルプスはいい伴侶を見つけたものだ。堅物には、これくらい空気の読めない緩い女が似合いだ。
「みんな仲良く食べましょうね」
キルプスがうなずいた。
「その通り。家族は助け合わねばならん。いがみ合うものではない」
優しい母親だ。
だが、そう。だが。
今世の俺にとってはこの母こそが、最も厄介な人物だったんだ。
我が母親ながら子煩悩がすぎる。
俺は前世の記憶に倣い、極みなき剣術の途をいま一度歩むつもりだったのだが、母アリナがそれに猛反対したんだ。
正直驚いた。大体のわがままは聞いてくれる人だったから。
表向き、王族が剣を握る必要はない、というのが理由だそうだ。それはそうだろう。キルプスであっても同じことを言う。
だがアリナにとってこの問題は、別の理由の方が大きかった。
我が子を愛するあまり、危険な剣術なるものに触れさせたくはなかったのだ。王族の嗜みである乗馬でさえ、毎度ついてきてはチーフを咥え、物陰から心配そうにじっと見守っているという過保護っぷりだ。
だがどうしても剣を握りたかった俺は、何度も母を説得して、どうにかお上品な貴族剣術の達人を王宮に招くことには成功した……が、これがなんともまあ。母の息がかかっているのだろう、修行とも言えないお遊びばかり。
俺に言わせりゃ、こいつから教わることなんて一つもなかった。そりゃそうだ。十歳とはいえ、剣聖の記憶を引き継いだ俺なのだから。だから無垢な十歳児らしく、先生には愛想を保つことだけで精一杯だった。
もう勘弁してくれ。笑顔も引き攣るというものだ。
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本日中にもう一話投稿予定です。