第191話 給仕は食い逃げ犯を追跡する
ヴォイドがリオナの頭部を両手で挟み込み、どうにかミリオラから引き剥がそうとしている。だがリオナは顔を引っ張られながらもミリオラの腕に両腕を回し、必死の形相で――。
「それでですね、ヴォイドったら頭にはブリムなんかをのせちゃってですね、スカートなんてひらっひらのフリルのついた可愛らしいのを着てるんですよぉ~? この弟さんの姿、どう思いますぅ? イタタタタ、引っ張んなバカ犬ゥ!」
「やめろこら! 余計なことしてねえで、てめえは厨房に戻れボケ!」
ミリオラは笑っている。
「うふふ、それは是非とも見てみたかったわね。ああ、目が見えないことをそれほど不自由に思ったことはないけれど、いまほど残念に思ったこともなかったわ。女装したヴォイドはどう? かわいいかしら? それとも綺麗?」
「イタタ、ううん、ちゃんとおブスですよぉ」
「あはははっ」
リオナの悪い部分が全開だ。顔が完全に悪党になっている。
「てめ、この野良猫、余計なこと言ってんじゃねえ!」
「綺麗どころはみぃ~んな厨房にいるので、基本的にホールはエルたん以外、全員おブスしかいない食堂になってまぁ~す」
おい、俺を巻き込むな。確かに俺だけはかわいいが。ふ。
まあ、ヴォイドには気の毒だが、ミリオラが楽しそうで何よりだ。
「あはっ、あはははははっ。ほんと、その光景は見てみたかったわね」
「てめえら……」
本来ならヴォイドの怪力でなら一瞬にして引き剥がせそうなものだが、リオナがミリオラの腕につかまってそれに逆らっているせいで、ヴォイドは本気を出せていない。
「いい加減にしやがれ!」
「うぎぎぃ、嫌だぁ! もっとあんたの弱る顔が見たいぃ!」
「ざッッけんなっ!?」
だからせいぜいリオナの顔面が引っ張られて変な顔になっている程度で済んでいる。ホールでは客も店員も、みんなそれを見て大笑いだ。
まるで一種の出し物、寸劇だな。訪問客の数は昼食時に比べてずいぶんと減ってきたが、賑わいはまだまだ続いている。
だが、そんな平和な時間も、そろそろ終わりを告げようとしていた。
それはカウンターから顔を出したセネカが、ケーキセットののったトレイを置きながら俺に声をかけてきたときのことだった。
「エレミア、三番テーブルさん。よろしく」
「おお」
そう呼ばれて振り返った瞬間――。
「く、食い逃げだぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
フィクスの叫びに、俺は出口に視線を向ける。
そこではひとりの男に追いすがり、その服を両手でつかんで引き摺られている女装フィクスの姿があった。
「に、逃がさないぞ!」
「……ッ」
だが俺は鼻で笑う。
愚かなやつもいたものだ。この女装食堂の出入り口を守るのは、あの〝戦姫〟だ。食い逃げをするようなケチな犯罪者風情に突破などできるはずが――……いないわ。
定位置にリリの姿がない。
生徒に働かせて置いて、何サボってんだ、あいつ――!? やむを得ん! 武器はないが!
俺は慌てて走り出す。
「放すなよ、フィクス!」
「う、うわあっ!?」
追いすがるフィクスを強引に引き剥がして、男が開け放たれたままの食堂扉から飛び出していく。フィクスが大股開きで転び、慌ててスカートを押さえながら上体を起こした。きもい。
「ご、ごめん! 逃げられちゃった!」
「大丈夫か!?」
「ぼ、ぼくは平気だ!」
「ならばよし。あとは俺に任せておけ」
俺はその頭の上を飛び越えて走り、食い逃げ犯を追って食堂を飛び出した――瞬間、それを阻止するように胸ぐらを片手でつかまれ、息が詰まる。
「うぐっ!?」
リリだ。半眼になって睨んできている。
「また脱走かしら?」
「ち、違う! 俺は食い逃げ犯を追ってるだけだ!」
フィクスがコクコクとうなずいている。俺は意趣返しとばかりに、リリを指さして歯を剥いてやった。
「そもそも、おまえこそどこにいってた!? おかげで逃げられたぞ!」
「どこって……」
周囲の視線を気にしてか、リリが目を泳がせた。
その後、恨みがましい視線を俺へと向けてくる。
「……」
「す、すまん」
察した俺はすぐに謝った。
だって人間だもの。ね。
「ま、まあ、そのようなことよりいまは食い逃げ犯だ! 群衆に紛れてしまうぞ!」
「ああ、そうだったわね」
リリが俺の胸ぐらから手を放した。俺は弟子を見上げてエプロンドレスの胸元を整え、口をねじ曲げる。
「あらためて聞くが、追っていいんだな?」
「顔は覚えてる?」
「いや。だが後ろ姿と服装だけは目に焼きつけた。十分だ」
それなりの身なりをした黒服にハットだ。どこかモダンさを感じさせられる。少なくとも金がないようには見えなかったのだが、わからんものだ。
「そう。なら、いいわよ。ただし、怪我には気をつけること」
ふん、弟子の分際で師の心配とは、笑わせてくれるではないか。
だがその気遣いは素直に嬉しい。妙齢になってもかわいいやつだ。
「誰の心配をしているんだ、おまえは。そのようなこと、万に一つもあり得ん」
「させないようにね?」
あ~、そっちだったかぁ~……。
「わかった?」
「ぜ、善処する。前向きに」
まあ所詮は一日限りのお遊び食堂だ。被害総額も学園祭では微々たるもの。
こちらとしても騎士団に突き出す気はない。金銭を持っているならば支払わせた上で説教をし、もしも持っていなければ少々締め上げて説教をする程度で済ますつもりだ。再犯だけはさせないようにな。
リリが頬を弛めて満足そうにうなずいた。
「わかったら、いってらっしゃい。気をつけるのよ」
「しつこいぞ、善処するって言っただろうが」
「あなたの身を心配しているのだけれど?」
「う……」
どうやら俺はいま、からかわれたようだ。いちいち昔のやりとりを思い出させてくれる。
バリバリと頭を掻いて、俺は走り出すのだった。
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