第188話 魅惑の女装食堂
この光景、あの頃を思い出す――。
ブライズ一派は味方の騎士を救出するため、敵地深くに踏み入っていた。だがようやく辿り着いた場所に孤立していた味方はおらず、情報そのものが罠であると気づいたときにはもう遅かった。
まるで濁った大河が氾濫するかの如く、奇襲を受けてしまったのだ。みるみるうちに俺の視界は共和国騎士どもに埋め尽くされた。
撤退か――いや、だめだ。きっとやつらはすでにそれを予測しているはずだ。ここは敵地、不利な地形で挟撃を受けては、いくら俺たちでも壊滅する。
どうする。やつらの裏をかくにはどうすればいい。
俺たちはたかだか三十騎あまりだ。前方に展開し突撃してくる敵の数はわからんが、仕留めるに一千は使わないだろう。
ならば――。
敵軍が迫り来る中、俺は嗤う。
「全員、浮き足立つな! 撤退も迎撃も不要! 突撃し、やつらの背後に抜ける――ッ!」
「……あ?」
唐突に叫んだ俺に視線を向けたヴォイドらを置き去りにして、俺はひとり走った。迎撃ではない、突撃だ。足を止めれば殺られる。
「おお――っ」
エプロンドレスのスカートが激しく揺れる。すーすーして不安だが、風通しがくせになりそうだ。
敵陣先頭は制服の少女らか。
だがレアン騎士学校一年、全五組を合わせても女子の人数はわずか二十名。中等部初等部が同じだけいるとしてもわずか六十名だ。……いやこれ、ちょっとしんどい数だな。
「きゃーっ、エルちゃんよ!」
「かわ……っ!?」
「抱っこさせて!」
広げられた女子の腕をかいくぐり、足下から背後に抜ける。屈んで俺を迎えようとした少女の頭に手をついて跳躍し、両足を振り上げて天井付近で前転して飛び越えた。
よし、いける――!
中等部女子をまとめてステップで躱し、鈍い初等部どもをすり抜ける。敵軍に男子が混ざり始めた。こいつらは素早く、そして力強い。つかまれれば終わりだ。
坊主頭の野郎が突撃中の俺を見てつぶやいた。
「あれ? 初等部女子も店員なのか? 女装食堂って聞いたんだが……」
「呆けが! よく見ろ、俺は高等部の男だ!」
すり抜け様に足を蹴ってやった。
ぅぅん、蹴った足が痛ぁ~い……。
向こうは平然としているのに。いや、むしろ何か嬉しそうな顔するのやめろ。
「ぐあっ!?」
聞き慣れた悲鳴に反射的に振り返ると、いつの間にか俺の背後を走っていたオウジンが、女子の壁を抜けきれずに捕まっていた。
「リョウカさま、あたしの注文を取ってぇん」
「みんな、オウジンくんよ!」
「あはっ、ほんとに女装してる~」
オウジンの身体にどんどん女子の腕が絡まっていくのが恐ろしい。
「あははっ、似合ってなぁ~い! でもチクハグなのがかわいい!」
「あの、わたし、恋文字の返事を聞きたくて……」
あれはもう手遅れだな。
「ひ……っ、エ、エレミア」
何だその目は。俺に助けを求めるな。おまえも給仕ならちゃんと仕事しろ。たかだか羞恥に耐えながら注文を取るだけだろうが。大したことではないだろう。
「わかっている、オウジン。おまえの犠牲は無駄にはせん」
俺はやつに再び背中を向けて走り出した。
「エレミアァァァァーーーーーーーーーーーッ!!」
すっかりと聞き慣れた呪詛の叫びが追いかけてきたが、無視した。
もう少しだ。
右へ左へステップを切る。肩を掠める手を踊るように躱しながら突き進み、男子どもの壁を抜ければ、残るは戦闘能力皆無の烏合の衆のみ。
その中に混ざっていた寮母のホーリィ婆さんが俺を見て言った。
「あらあら、そんなに走って、転ばないようにするのよ」
「この程度ならば問題ない」
やはり思った通りだ。遠慮も容赦もなく捕まえようとしてくるのは、最初の女子生徒のみ。それさえ越えてしまえば、あとは楽なものだ。
人混みの隙間に光が射す。
抜けた――!
身を低くして抜け出し、俺は食堂の扉へと走った。
「はっは、このような阿呆くさい出し物、一抜け……だ……あ?」
扉をいままさに押し開かんとした瞬間、襟首をムンズとつかまれて持ち上げられる。
忘れてた。こいつがいたんだった。リリだ。
「……」
「……」
しかし俺を持ち上げるとは、技だけではなく力もずいぶんと強くなったなあ。あいかわらず細く見える腕だというのに。あの頼りなかった弟子が、感慨深いものだ。
見つめ合う。
「エ・レ・ミ・ア?」
「おまえが教官という立場であることを知った上で言うぞ。……どうか見逃してくれ」
リリが目を細めてにっこり微笑み、全身でダンスを踊るように俺をぐるんぐるんと振り回し始めた。
「むり」
「だよな……」
ちょうど十回転ほどしたところで、リリは突然ヴォイドの名を叫ぶ。
「スケェェーーーーーーーーーーイルッ!」
「あ?」
そうして俺を勢いよくぶん投げた。
せっかく苦労して抜けてきたレアンの民の頭を越えて、男子生徒たちも越えて、席を探している女子生徒らの中央にぬぼっと立っていた雌オーガ風給仕のベルナルドの目の前を通り過ぎ、女装ヴォイドの胸の中へとだ。
「ぐあっ!?」
そうして俺は天井付近で弧を描きながら落下し、ヴォイドにバシリとキャッチされていた。
「て、てめえ、イトゥカ! いきなり人間を投げてんじゃねえぞ! 落としたらどうする!」
「だからあなたに声をかけたのだけれど。落とさないでしょう? あと教官をつけなさい」
「ぐ……」
ヴォイドが静かに吐き捨てる。
「…………クソが、こんなやつでもこの国の殿下だっつーのに……」
ふはは、また俺の危機を救ったとはいえ、さすがに今回はノイ男爵からの臨時ボーナスも出ないだろう。
ヴォイドが舌打ちをして、俺を地面に下ろす。
「おう、エレミア」
「なんだ?」
「さっさと注文取れや」
ふと気づくと、ヴォイドは席を探していた女子生徒のために椅子を引いていた。
どうやら真面目に給仕を務めていたようだ。こんな凶悪なツラしてるくせに。
女子生徒がヴォイドに礼を言う。
「あ、ありがとうございます。ヴォイドさま」
「おう。注文はこのガキから頼むわ」
「ヴォイドさまって、案外紳士……」
「カッ、うぜえこと言ってんなや」
ヴォイドががに股で次の客の案内へと向かった。
俺は諦めてエプロンドレスのポッケに入っていた注文票を取り出す。
「へい、らっしゃっせぇぇぇーーーーーーーーーーーーぃ! 何にする?」
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




