第181話 剣聖には判別できないこと
鎧の音をけたたましく鳴らしながら走って通り過ぎようとする騎士たちへと、セネカが慌てて声を掛ける。
「待って、わたしたちは騎士学校の生徒です! 何かあったんですか?」
五名の騎士たちが足を止めて振り返る。だが最後尾の騎士が、他の背中を押して走らせた。
「あなたたち、先にいって! あの子たちへの説明はアタシがするわ!」
「わかった! 急いでくれよ、サビちゃん!」
「もちろんよ」
騎士たちが走り去っていく中、最後尾の騎士だけがこちらにやってくる。
「巡回騎士のサビーナ・ディンディアよ」
「わたしは高等部一年一組のセネ――」
騎士は掌を広げてセネカの言葉を遮った。
「――挨拶や紹介はいらないわ。急いでいるから」
女性騎士のようだ。いや。名は女でしゃべり方も女だが、声質が男だ。
髪は短いブラウン、瞳も同じ色をしている。女性用のプレート・メイルを着込んではいるが、ヘルムは装着していない。
顔を見ても判断できない。化粧はやたらと濃いが。
男かな? 女かな? うん?
正騎士サビーナは肩で荒い息をしていた。額の汗を拭おうとして手甲が顔にあたり、彼女は煩わしそうに眉間に皺を寄せる。
「いやん、もう。アタシったら、ドジ」
やっぱ女かな?
「時間が、あまりないのでは」
ベルナルドがそうつぶやくと、サビーナは顔の前で手甲の装着された手をガシャっと合わせた。
「あん、そうだったわ。レアン西端の貴族街に魔物が、ううん、殺人鬼が現れたの。アタシはまだ遭遇していないのだけれど、すでに対処に向かった正騎士が何人も犠牲になっているらしいのよぉ」
「――!」
セネカが声を上げる。
「わたしたち、手伝います!」
「ああん、ありがたいけど、だめよぅ。あなたたちはまだ従騎士ですらないのだもの。貴重なマッチョボーイや可愛いショタちゃんたちを危険なことには巻き込めないわ。ね?」
バチコン、という音が鳴りそうな勢いで片目を閉じた。なぜかベルナルドと俺を見ながらだ。
「ほう、俺を一発で男と見抜くか。見所のある正騎士もいたものだ」
「うふ。ありがとっ」
しかし、殺人鬼か。いや、この男か女かわからん騎士は最初に魔物と言いかけていたな。どっちだ。巡回騎士内でも情報が錯綜しているのか。
サビーナが月光の中に建つ騎士学校の校舎を指さした。まだ少し距離がある。
「わかったら急いで寮へ戻っていなさいな。手続きを終えればレアン領主から正式に戒厳令が発令されることになっているから、出歩いていたら、メッ、てされちゃうわよ。――じゃ、アタシはもういくわねっ。サラバ~イ!」
振り返って手を振りながら、内股で走り去っていく。
やはり女か。いや、そのようなことよりもだ。
俺はベルナルド、セネカ、モニカの顔を見上げた。
「さて、どうする? 捜索に加わることは騎士団的には違反行為のようだが」
ベルナルドとモニカはだんまりだ。
セネカは少し迷った末に。
「見るだけ見たいわ。何が起こっているのかを知っておきたい。それに、正騎士って一口で言っても……ほら……ね」
ゴニョゴニョ言っている。
ローレンスやフィルポッツみたいなやつらに任せてはおけない、そう言いたいのだろう。サビちゃんの実力はまだわからないが、どうやらそこらの正騎士は、セネカの中では駒にすらなり得ないものらしい。
俺はうなずく。
「同感だ。犠牲が出ているならなおさらのこと。ベルナルドとモニカはどうする?」
「おれは、騎士になる気はない。団に睨まれても、別にかまわん」
その言い草よ。
モニカがおずおずと口を開いた。
「巡回騎士のインターンシップにいった学生はどうしてるんだろう……」
「オウジンが心配なのか?」
ボッとモニカの頬が染まる。
「ならモニカは一度学校に戻り男子寮を訪ねてみてくれ。念のためにリリの動きも見てきてほしい。男子寮へは入り口部屋の寮長に頼めば教えてくれるはずだ。もしこちらに再び合流するつもりなら、ひとりではくるな。必ず三班の誰かを連れてこい。いいな?」
そう言ってやると、モニカがうなずいた。
「うん、ごめんね」
「かまわん。――ベルナルド、決意させておいてすまないが」
「うむ。送ろう」
ベルナルドがモニカの背をそっと押して歩かせ、自らもついていく。
「気をつけろよ、エレミア。大地の精霊が、騒いでいる」
「ああ。そちらもな」
俺はセネカと目を見合わせてから、魔導街灯でできた建物などの影の中を走り出す。
レエラのせいで若干疲労は残っているが、問題ない。こういう活動にも慣れている。三日三晩、飲まず食わず眠らずで敵地を逃げ続けたブライズ時代に比べれば。
走り回る巡回騎士の集団を隠れてやり過ごし、俺とセネカは路地から路地へと飛び移るように駆け抜けていく。騎士の足甲とは違って、学生の靴は石畳でも音が響かない。おかげで巡回騎士と接近しても、こちらが先に捕捉できる。身を隠せるのだ。
用水路を飛び越え、西へ、西へ。
レアン貴族街――。
いつもは物静かな一角のはずが、今日は多くの騎士たちの声と足音、そして手にした魔導灯の光が忙しなく動き回っている。だが剣戟の音は聞こえない。
これだけの数の騎士が出ていて、なぜまだ見つからないんだ。
ふいに、走る俺の背後から、セネカの悲鳴が聞こえた
「きゃあっ」
「……ッ」
脇差しを抜刀しながら振り返ると、セネカは石畳の上に座り込んでいた。どうやら転んだだけらしい。
手を貸そうと近づいて、俺は彼女の視線に気づいた。
一点を凝視している。その先にあるものは、騎士の手甲――の中に残された、血まみれの腕だった。腕、だけだ。
セネカの顔から一瞬で血の気が引いた。
「~~っ」
俺はその前にしゃがみ込み、断面をじっと眺める。
「エ、エレミア?」
これは……思った以上に。
「切断面が荒い。見ろ、腕骨が飛び出している。斬られたのではないぞ。強引に千切り取られたようだ」
「ち、千切り取るって……オーガ……?」
俺は首を左右に振った。
オーガの怪力なら可能だ。だが人型とはいえ、正騎士がオーガと人間族の殺人鬼を見間違えるはずがない。
オーガの肉体はブライズやベルナルドよりも大きく、両手両足ともに筋骨が丸みを帯びるほどに肥大化している。それに角もある。見間違えるはずがない。
じわり、汗が滲んだ。
次に脳裏に浮かんだのは――……。
「やつらかもしれん」
「そ、んな、だってここは街中よ? あんなのが解き放たれたら――」
瞬間、俺はセネカの口を掌で押さえて視線を跳ね上げる。
大きな大きな貴族の館の屋根。
やつは両膝を折り、巨大な月を背負うようにしゃがんでいた。口には血の滴る人間の腕を咥え、赤い、血よりもなお赤一色の眼球で、遙か高所から俺たちを見下ろしながら。
その目が細められ、そうしてゆっくりと、口角が引き上げられた。
ざわり、首筋が粟立つ。
くる――!
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
 




