第16話 猫娘は神出鬼没
不良のヴォイドに謎の忠告を受けて気を削がれた俺は、少々疲れた足取りで女子寮を目指していた。
幸いというか何というか、前世のジャガイモ頭とは違って中性的な顔立ちに生まれ変わってしまったため、堂々と正面から女子寮の門をくぐっても、奇異の目で見られることはない。
男子用の制服を着てはいるが、騎士学校にはそういう女子も稀にいる。年齢の方も、初等部にだって少ないながらも女子はいる。だから堂々と出入りしても、それほど目立たない。
まあ、女に見間違えられて喜ぶのもどうかとは思うが。
女子寮の前までくると、寮母のホーリィ婆さんが箒で玄関を掃いていた。
「あらぁ、おかえりなさい。初等部は初日から早く終わるのに、あなたはずいぶん遅かったのねえ。何かあった?」
ゆったりとした話し方だ。どうやら本当に心配されているようだ。
「ただいま。こう見えても俺は高等部だよ」
「あら。あらあら、それはごめんなさいね。あなた、とっても可愛らしいお嬢さんだから、間違えちゃったわ」
「ははは」
勘弁してくれ。乾いた笑いで白目を剥きながら素通りだよ。
リリの部屋は三階。女性教官のみが住んでいる階層だ。
帰ろうとして気づく。
「……あ、鍵……」
リリから渡されていない。
ドアは押しても引いても開かなかった。当然だ。
「あ~、糞!」
毒づいて引き返す。
結局教員室に向かうしかない。下り階段の踊り場を曲がったとき、俺は上がってきた少女とぶつかりそうになってつんのめった。
「うおっ」
かろうじてぶつからなかった。ところがその女は、体勢を崩している俺の後頭部へと素早く両腕を回すと、自らの胸にかき抱くように勢いよく引き寄せた。
「はい、ど~んっ!!」
「んぶ……っ」
顔面から小娘の薄い胸にめり込み、跳ね返ってふらつく。鼻の奥がジンと痛い。
せっかく直前で止まったというのに。
「きゃあ~っ、すっけべ~! へいへ~い!」
「おい、何をする!」
俺は冷静に彼女を睨み上げる。
そこには件のミク・オルンカイムがいた。彼女は悪びれた様子もなく、指を二本立ててこめかみあたりにあて、挨拶をする。
「おい~っす。ひっさしぶりぃ~。元気だったぁ?」
俺はどでかい舌打ちをくれてやった。
「わお。顔見て即舌打ちとかショックだわ」
「ついさっきぶりだろうが。いまのは何の真似だ」
教室でミクに絡まれ、廊下でヴォイドに絡まれ、寮で再びミクに絡まれる。まったく、ひどい一日だ。
ミクが膝を曲げて顔を近づけて笑う。
リリほどではないが、甘い匂いがしていた。
「かわいい子がいたから~? つい反射的に? おっぱい嫌い?」
「猥褻犯罪者の弁か」
「ねーねー、ところでエルたん。こんなとこで何してんの?」
「聞けよ……」
「だめだよぉ、こんな時間から女性教官専用の階層をうろつくなんてぇ~。もう~、ちっちゃくっても男の子なんだからぁ~。そういう思春期初期の相談なら、あたしが乗ってあげるのにぃ~」
言葉に詰まった。
リリと同室にされてしまったことは、まだ誰にも言っていない。知っているのは教官連中くらいのものだ。正直、知られて困るほどのことではないが、己は十歳とはいえ男と女。色々慎重にならざるを得ない部分だ。リリに迷惑をかけるのだけは、絶対に避けたい。
応えあぐねていると、ミクが俺の手を取って引いた。
「食堂行こ! おっ昼ごはぁ~ん!」
ふと気づく。
俺は強引に手を引き抜いて尋ねた。
「おまえこそ四階に何をしにきたんだ。生徒の部屋はないはずだぞ」
「ん?」
なぜこんなことを尋ねたのか。俺自身もよくわかってはいなかった。ヴォイドの言葉が引っかかっていたのかもしれない。
――オルンカイム嬢にはせいぜい気をつけな。
この脳天気猫娘が危険人物には思えないが、漏れるはずのない俺の秘密とをどこで知ったのかがわからない以上、まだ油断はできない。
「あたし?」
「ああ」
ミクはウェーブがかった赤い髪を、指先でねじって遊びながら、俺に猫目を向けている。
だがすぐに、ニパっと笑った。
「まいっか。言っちゃお。ニヒヒ。そりゃあ、かぁいいエルたんが女子寮の階段を上がってくのが見えちゃったからさ? イトゥカ教官の部屋の前で何をしてたのかな~ってネ!」
「俺を尾行けてたのか!?」
「人聞き悪ぅ~い。寮で見かけたからたまたまだよ。尾行じゃなくって、普通に追いかけてきただけだし」
まあ、一応の筋は通っている。ヴォイドとのやりとりは見られていなさそうだし、四六時中見張られているわけではないだろう。
本当にたまたま俺を女子寮で見かけてついてきてしまった……のか?
得体の知れんやつだ。
「安心して。あたし誰にも言わないよ。だからぁ、今度ムラムラしたときはあたしのとこにおいでよぉ。エルたんなら大歓迎だよぉ」
だが。あり得るだろうか。
こんなど素人の女子学生が、元剣聖である俺に気づかれずに俺を尾行できたなどと。そう簡単なことではないはずなのだが。
それとも長い王子生活のせいで、俺が鈍ってしまったか。
「ねーねー」
「ん?」
「リリたんの部屋前でドアをガチャガチャやってるエルたん、ちょっと不審者みたいに見えたよぉ? ああいうの、誰にも見られないように気をつけた方がいいよぉ?」
人の後を尾行けてくるようなやつにだけは言われたくはないところだが。
ん? あれ?
黙って聞いてるうちに、俺の方がヤバいやつにされてない!?
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