第166話 十歳だから仕方ない
俺はレエラと、しばらく呆然と見つめ合った。
ベルナルドもセネカもモニカも、目を丸くして俺たちの様子を眺めている。
「あ……」
またやってしまった。
俺はブライズではなくエレミーだ。ブライズの記憶で語ってはならないことは重々承知しているというのに、フラッシュバックの直後だったせいか思い切り余計なことを口走ってしまった。
冷静になるにつれ、レエラの表情に強い感情が浮かび始める。俺はつかんでいたレエラの肩からそっと両手を離して、視線を逸らした。
「あ~……いや……。す、すまん……いや、すみません……です、はい……」
「――ッ!!」
今度は凄まじい形相で、唐突にレエラが俺の肩を両手でガシリとつかむ。
ひぇ……っ!?
そうしてレエラは大声で叫んだ。
「兄の居場所を知らないか!?」
「……は?」
「ノイ、キミは私の兄のことを知っているのだろう!? カーツ・アランカルドだ!」
「あ、ああ」
なんだ、この剣幕は。
「兄を最後に見たのはいつだ!? なんでもいい、手がかりをくれないか!」
まさか前世だなどと言えるはずもなく。
いまの俺に残されている手がかりと言えば、リリくらいのものか。というかカーツのやつ、行方不明になっているのか。
「会ったことはない。ブライズの文献でその名を知っただけだ……です」
「ブライズ様の?」
「ああ、ええ。ブライズの弟子だったのだろう?」
肩に食い込む指が痛い。
レエラはよほどカーツのことを心配しているようだ。
その彼女がこくりとうなずく。
「そうだ。だがブライズ様亡き後、兄様は姿を消された。戦姫殿の仇討ちの際に一度だけ力を貸しにふらっと戦場に現れたらしいのだが、それ以降は戦姫殿も兄の行方は知らないという。ちょうど停戦の一年前だ」
仇討ちとは、エギル共和国の〝偽英雄〟ウィリアム・ネセプをリリが一騎駆けで討った戦のことだろう。
そうか。確かリリはウィリアムを一方的に殺した後に気を失い、駆けつけた兄弟子たちによって保護されたと言っていたな。それを最後にカーツは姿を消したのか。
「すまない。カーツの妹弟子だったリ――イトゥカ教官が知らないなら、俺にはお手上げだ、です」
レエラが首を左右に振った。
「そうか……。兄様はラーツベルにも帰ってこないのだ」
レエラが落胆の息を吐く。
彼女は俺の肩から手を離すと、制服の胸元の歪みを直してくれた。
「すまない。私としたことが取り乱してしまった。みっともないところを見せたな」
「ああ、いえ……」
ラーツベルは王国南方に位置する農村だ。特に果物を加工したジャムや果実酒、それらを利用した菓子などが有名になっている。いまも昔も王国女子の人気の観光地だ。
アランカルド家はそのラーツベルを治める男爵家だった。だが生来自由人だったやつは堅苦しい領主の家を継ぐことを拒否して出奔。
当初は騎士として例の戦争に参戦していたものの、アランカルド男爵から正式に勘当されたことにより爵位が剥奪されたため、以降は猟兵として戦っていた。
そこを俺が拾い上げたんだ。
騎士や傭兵団のように連携の取れない猟兵は、そのほとんどが使い捨てられる。だがやつは数年間を生き抜いた。双剣術を駆使し、まるで〝孤狼〟のように戦った。
このまま死なせるには惜しいと、俺は考えた。
ブライズ一派には、教えもほとんど存在しなければ、決まりのようなものもない。己の武を磨き続けることと、戦場から必ず生還すること、ただそれだけだ。
生粋の自由人であるカーツは、あっさりと一派に居着いた。
ちなみにリリやブライズが使っていた双剣術は、カーツのそれを取り込んだものだ。
一派から〝剣聖〟を継ぐ者が出るとしたら、その一角だろうと思っていたのだが、まさか行方不明になっているだなどと。
まあ、どこぞでくたばるような男には微塵も思わないが。
きっと今頃、どこかで自由を謳歌しているのだろう。
だから俺は――。
「大丈夫だ、アランカルド小隊長。カーツ・アランカルドは野垂れ死ぬような男ではない。あの女好きのちゃらんぽらん男のことだ。きっとどこぞの女の家にでも転がり込んで、よろしくやっている」
笑いながらそう言った俺の額を、レエラが指先でパチンと弾いた。
「いでっ!?」
「ふふ。戦姫殿の言った通りだな」
「何がだ!? です! か!」
「時折、したり顔でブライズ様と同じようなことを言う生意気な子供だと。まるでその人生を両の眼で見てきたかのように」
むう……。
レエラの目が細められる。微笑んだんだ。
「まあいい。十歳だ。多少の無礼には目をつむろう。以降は好きに喋るがいい。ただし、私に対してだけだ。騎士団の他の連中には敬意を持って接すること。いいな?」
「ぅぅ……わかったぁ~……」
中腰を戻したレエラが背筋を伸ばし、笑みを消して俺を見下ろす。ぎょろりと目を大きく剥いてだ。そして、凄まじい剣幕で大声を張った。
「それと! 兄様は決してちゃらんぽらんでいい加減な男などではない! 世界で一番格好良く、世界で一番強く、世界で一番誠実な殿方だ。どこぞの女の家にしけ込むことなどあり得ない!」
「ひぇ……っ!?」
目が血走っている。
グギギと首が直角に折れ曲がった。垂れた横髪が唇に入るのも厭わず、レエラはさらに目を剥いて静かに告げた。
「次に兄様を侮辱したら――……」
「そ、そそういう意味ではない! カーツは世の女が放っておかないくらい、いい男だという意味でな!? な!?」
「……」
沈黙が恐い。濃厚な殺気に目線を逸らせない。
人間の首というものは、あのような角度にまで曲がるものだったのか。
「ふぅん……?」
やがてレエラの首が正常な角度へと戻った。そのまま執務机に向かい、椅子に腰を下ろす。今度は機嫌のよさそうな笑顔でだ。
「では学生諸君。ようこそレアン騎士団、外征騎士第三小隊へ。早速任務について語ろうか」
いや、なに、もう……。
チビるかと思った……。
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