第162話 剣聖には知られたくないこと
何かを話している声がしていた。
俺は薄目を開く。窓の外はもう暗い。どうやら日没のようだ。
「……ぅ……」
ああ、まただ。全身が痛い。どうも夜が近づくと熱が上がるようだ。
枕の上で首を回すと、リリとリオナが食卓で何かを話していた。ふたりとも深刻な様子だ。リリはうつむき、リオナの言葉に耳を傾けている。
「……?」
上半身を起こそうとして手を突っ張ると、関節が力なく折れてベッドに倒れ込んだ。
リリとリオナが同時にこちらを向く。
「あ、エルたんが起きた」
「エレミア。大丈夫?」
食卓から立ったふたりが、一緒にこちらへと歩いてきた。
「リ――イトゥカ教官、起こしてくれなかったのか?」
「え、ええ……」
リリは何やら訝しげな目で俺を見ている。
「……その様子だと、ちゃんと寝ていたようね」
リリとリオナが顔を見合わせて、複雑な表情で同時に息を吐いた。ため息ではなく、呆れた様子でもなく、ああ、そうだ、安堵の息に見える。
なんだ、その反応は。女同士で内緒話か。
「何かあったのか? 話し込んでいたようだが……」
リリが首を左右に振った。
「なんでもないわ。少し進路相談をされていただけよ」
「うんそう。進路進路。エルたんに永久就職」
リオナが壊れた玩具人形のようにコクコクとうなずいている。
まあいいか。
「いちおうエレミアのことは起こそうとしたのだけれど、触れたらまたひどい熱が出ていたから、ベルツハインと話し合って寝かせておいたのよ」
「ごめんね、エルたん。あたしともっとお話したかったよね」
「……いや、別に」
「またまたぁ」
確かに全身が怠い。まるで重い鎧をまとっているかのようだ。風邪恐るべし。本当に治るのだろうか。不治の病ではないだろうな。
む、閃いた!
もしやこの状態で筋トレをしたら、普段の倍は筋肉がつくのではないのだろうか。しかしいまやると止められそうだからやめておこう。俺はもう立派な大人だからな。
リリが俺の背中に手を入れて、上半身を起こしてくれた。
「ベルツハインがパン粥を作って持ってきてくれてるわよ。食べられる?」
「ああ。いや、その前に着替えを――」
また汗で寝間着がぐっしょりだ。寝間着は三着しかないというのに。
「着替えっ!!」
リオナが両手を持ち上げてワチャワチャと十本の指を動かしている。
「――やっぱいい。先に食う」
「だめよ。身体が冷えてしまうわ」
「だめ! せっかくのチャンスなんだから!」
リリが俺の両手を背後からつかみ、リオナが寝間着の裾をつかんだ。
「待て待て待て待て! ゲフ、ガハ、ぐふぅ……!」
「大声出すから咳が出るんだよ。あんまり抵抗してると違うところに手を入れちゃ――ああ、違う違う。手が入っちゃうかもしんないからね? いいよね?」
「いいわけあるか。弁えろ、教官の前だぞ。……いいか? 上だけだ。下は自分で変える」
「え~……遠慮しなくってもいいのにぃ?」
あからさまにがっかりした顔で嘆くリオナの頭部に、リリの手刀が落とされた。もちろん軽くだが。
「いまのはさすがに看過できないから」
「うふふ、冗談じゃぁ~ん」
寝間着の上をすっぽ抜かれた俺は、リリが持ってきた別の寝間着に袖を通す。その後、衝立の裏に回って下着を替え――る前に背後を振り返る。
いないな。
さすがのリオナも教官であるリリの前ではそうそうおかしな真似もできまい、と思って視線を戻したら前にいた。
「……」
「……」
こんなところで暗殺者の技術を余すことなく発揮するなと言いたい。
衝立の向こうから無言のリリがやってきて、親猫が子猫にそうするようにリオナの首根っこわしづかみにして、向こう側へと引き摺っていった。
なんなんだ、まったく。
寝間着の下を替えてからナイトキャップを被る。夜にこれがないと落ち着かなくなってしまった。
衝立から出ると、リオナが小さなバッグを持ってドアの前に立っていた。リリが見送っているようだ。
「なんだ、もう帰るのか」
「え~、泊まってもいいのぉ? いよいよ一緒に寝ちゃう?」
「あいにくだが、うちはベッドが狭いからな。すでに定員オーバーだ」
リオナがぽかんと抜けた表情をした。
「え……」
その瞬間、リリが勢いよく振り返って、リオナからは見えない角度で唇の前に人差し指を立てる。珍しくすごい形相をしている。
あ……。あーーー!
俺は慌てて言い直した。
「俺の寝床はソファでな。リリが使っていないときだけ、先ほどのようにベッドを使わせてもらっている。だから定員オーバーだぞ」
「あー、うんうん。そうだよね。びっくりしたぁ。てっきりもうそういう関係なのかと……ってそんなわけないよねえ?」
ドッドッドッド。
ふたり分の心音が聞こえてきそうだ。脈動のたびに襲いくる頭痛がひどい。
リリが大きな胸で両腕を組む。
「当然でしょう」
こっちの方がびっくりしたわ。かつてないほど迂闊な己の失言に心臓が爆発するかと思った。
同じベッドで手を繋いで一緒に眠っていることがバレたら一大事だ。俺はともかくリリが一発でクビになってしまう。
リオナが顔を上げる。
「じゃ、あたしは帰るね。もう消灯時間だから。うろうろしてたら寮母のホーリィさんに叱られちゃう」
「ん? 消灯時間? もうそんな時間なのか?」
「そうだよぉ。エルたんが寝てたから、ご飯もリリちゃんと一緒に食べたしねー?」
リオナがリリに手を振ると、リリが表情を弛めてうなずいた。
「ええ。ベルツハインは料理が上手ね。おいしかったわ」
「えっへっへ。あたしはアルバイトで鍛えられてますからぁ。リリちゃんのお料理もおいしかったよ」
そうか。
だとしたら、俺は相当長い間眠っていたようだ。
「じゃ、エルたん。パン粥、温めて食べてね。ミルクと摺り下ろした果物いっぱい入ってるから甘いよ」
「ああ。手間をかけたな」
「いいよ。早くよくなって学校きてね。――おやすみぃ~!」
リオナはドアを開けて手を振り、寮の自室へと帰っていった。
それを見送ってから俺はリリを見上げる。
「――で、あいつと何を話してたんだ?」
リリは戸惑うように目を泳がせて、左手を腰に、右手を額にあてた。何度か口を開いては閉ざし、横目で俺を見る。
そうして唇を尖らせた。
「…………女性の秘密を知ろうとするなんて、厭らしいわ……」
「え~……」
なんだよ、もう……。
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