第161話 昔の夢を見る
夢を見ていた。遠い昔の夢だ。
俺は馬上で丘から辺境を進む共和国軍を見下ろしていた。こちらは騎馬でおよそ十数名。やつらは七百名ほどで構成された大規模な斥候隊だった。
進む先には村がある。わずか数十名の限界集落だが、これも歴としたガリア王国の民だ。貴重な畜産地でもある。
左手で男が何かを言っている。やる気のなさそうな顔だ。
今日は宿屋の給仕女と二階にしけ込む約束をしているから帰っていいすか、というあまりにどうでもいい内容だったから、俺は「あきらめろ」と言ってやった。やつは遠い目で空を見上げていた。どうせいつものことだろうに。
次に右手で女が何かを言った。いまより幼さを残す長い黒髪の少女は、このときなんと言っていたのだったか。俺は何かを言いながら少女を指さして、次に足下を指さす。むぅ、と少女がむくれた顔を見せた。
会話の内容はもう覚えていない。夢の中ですら聞き取れなかったくらいだ。
斥候隊は崖上の俺たちには気づかず、辺境を通り抜けていく。やつらの長い列がちょうど中央に差し掛かる頃。
俺はツヴァイヘンダーを抜いて空に掲げ、口角を上げてその切っ先を斥候隊の方へと向けた。
――突撃だ。やつらの横っ腹を喰い破れ。
真っ先に左手の男が飛び出した。
垂直に近い崖へとなんの躊躇いもなく、それも手綱を放して両手の曲剣を抜いてだ。相変わらず器用なやつだ。
さて、俺も――。
そう思った瞬間にはもう、少女はすでに馬の腹を踵で蹴っていた。少女を乗せた馬は崖へと飛び込み、四つの蹄で壁面を引っ掻きながら蹴り、猛スピードで共和国軍の斥候へと迫っていく。
それを見た俺は慌てて続いた。後方から次々と馬のいななきが響き渡り、蹄が崖を掻いた走る音がした。
「待て待て待て待て待てぇぇぇーーーーーーーーーーっ!! おまえは待機してろと言ったろうがぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
叫びながら俺はキルトを蹴り上げて、ベッドから起き上がっていた。
大声を出したせいで、とてつもなく咳き込んだ。頭痛に目が眩み、貪るように呼吸をするも、また咳き込んで丸くなる。
「う……ぅ……夢か……?」
「大丈夫?」
「うぁ!? ……ゲホ、ガフ、ぐ……お、脅かすな……」
リリがベッドの横に座って、俺の背中を手でさすった。
「驚いたのはこちらの方よ。いきなり突撃だとか、おまえは待機だとか大声で叫ぶのだから、びっくりしたわ」
「むぐ……ぅ」
「寝言?」
「らしい」
もろに声に出ていたようだ。
いや、これに関しては俺は悪くないはずだ。
未熟者の分際で少女の頃のリリが俺の命令を破って勝手に突撃なんぞしたからだ。あのとき、こちらは生きた心地がしなかった。
必死で崖を下って追いついて、どうにかリリを追い抜いて斬り込んだのを思い出す。ああ、あの男、弟子のひとりだが、なんという名だったか。ろくでもない女好きの軟派野郎だが、腕だけは確かだった。
あいつが器用に立ち回ってくれなければ、リリはもうこの世にいなかったかもしれん。
この作戦の主な目的は時間稼ぎだった。防衛のため、集落へと〝王壁〟率いる国境騎士団の中隊が到着するまでのな。
斥候隊の横っ腹に突撃をぶちかまし、散々引っ掻き回して注意を引き付け、反対側から飛び出す。俺は馬を失ったリリを抱えて逃げていた。だが俺の馬も尻を射られ、俺たちは振り落とされた。あとはもう這々の体よ。
ふたりで逃げて、追いついてきた敵だけをぶった斬って、また逃げて。馬を奪ってふたりで乗って、どうにか逃げ切った。
ようやっと国境線の要塞都市ガライアまで逃げ帰ったら、俺とリリが最後だった。しかもだ。どいつもこいつもすでに酒盛りを始めているときたもんだ。だが、あの男の姿だけが見えなかった。
嫌な予感がした。
直後、二階のドアが開いて宿屋の給仕エリーといちゃつきながら出てきやがったのを見た俺は、とりあえず拳骨で顔面をぶっ飛ばして――やりたかったが、避けるんだよ、こいつは。生意気にもな。
結局俺たちは肩を組んで歌い、酒を飲んで肉を喰らって、朝まで作戦の成功と互いの無事を祝った。まったく、馬鹿騒ぎだ。
懐かしい夢だ。
ぼうっと思い出していると、リリが俺を覗き込んできた。
「調子はどう?」
「ああ、朝よりはずっといい。もう昼休みか?」
寒いな。汗で寝間着が張り付いてしまっている。
着替えた方がよさそうだ。
リリが呆れたように笑った。
「放課後よ。何度か休憩時間に戻ったのだけれど、あなたずっと寝ていたわ」
「そうか」
ベッドから起き上がろうとする俺を、リリが支えてくれた。
そのまま何も言わずとも、服を頭からすっぽ抜く。手ぬぐいで丁寧に汗を拭って、用意していた別の寝間着を着せられた。
下着だけは自分で変えたが、これではまるで本物の子供だ。情けない。
「何か食べられそう?」
「食欲はないな。もう少ししたら食べられそうだ。ああ、ホットミルクが飲みたい」
「桂皮と蜂蜜を入れるわね」
顔を洗い、用を足して出てくると、ホットミルクはすでに用意されていた。
椅子に座り、テーブルのカップに手を伸ばす。
ああ、桂皮がいい匂いだ。うまい。ほんのり甘くてたまらん。ああ、ミルクよ。神汁よ。俺の背丈を伸ばしたまえ。
「夜にベルツハインがお見舞いにきたいそうよ。他の子たちもきたがってたみたいだけれど、彼女がうまく立ち回ってくれたみたいね。大勢で押しかけると迷惑だからって」
「ああ、そうか。リリの部屋に俺が住んでるのを知っているのはリオナだけだからか」
ヴォイドあたりは薄々勘づいていそうではあるが。オウジンは刀を抜いていないとぽんこつだから無理だな。
「……席を外しておいた方がいいかしら?」
リリがなんとも言えない味のある表情で妙なことを抜かした。
「いやいてくれよ。おまえの部屋だろ」
「そうね」
「夕食を持ってくるそうだから、みんなで食べましょうか。こちらも何か簡単なものを用意するわ」
「ああ」
「きたら起こしてあげるから、もう少し寝ていなさい」
「わかった。感謝する」
俺はミルクを、底に残った蜂蜜ごと口へと流し込んで、もそもそとベッドに戻った。
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