第159話 あの頃のことは忘れて(第15章 完)
俺は迷った末に、レアンダンジョン第七層で起こったほとんどのことをリリに話した。
内容は概ね、このような感じだ。
新たな水源にできそうな広大な地底湖を発見したこと。
アテュラを名乗るホムンクルスが出現したこと。
彼女は共和国とはすでに切れていて、敵対の意志はなかったこと。
アテュラから見たネレイドの話。
出来損ないの竜や、最初に遭遇したホムンクルスがアテュラに対する追っ手だったこと。
三体目のホムンクルスが現れ、マーメイドの姿を取っていたこと。
マーメイド・ホムンクルスはヴォイドとオウジンが討ち取り、その死体を隠したこと。
そして、アテュラ関連の口止めだ。
むろんリオナの本当の出自や肉体のことは伏せた。
あいつは〝ウェストウィルの異変〟を奇跡的に生き抜いたリオナ・ベルツハインだ。それで十分だろう。これ以上の苦しみは与えたくない。
夜、俺たちはベッドの中にいた。ベッド横の窓からは、仄かに月光が射し込んでいる。
最近ではあたりまえのように手を繋いで眠ることが多くなった。
――どこでも好きなところをつかんで寝ろ。
そう言いたいところだが、前世のリリならばともかくとして、いまのリリに全身でしがみつかれてはたまったものではない。また夜中に邪念を払いに、修練場へといかなければならなくなる。
だから俺は手を犠牲にすることにした。
だというのに、握った手を指先でふにふにふにふにしてくる。本当に誘っているわけではないだろうな。おまえを子供に手を出すようなふしだらな女に育てた覚えはないぞ。
「キルプ――陛下に報告するか?」
「できるわけないでしょう、そんなこと」
仰向けに並んで寝転び、右手を繋いだまま左手でリリが顔を押さえた。
予想通りの反応だ。表情に苦渋が満ちている。
「むしろ知りたくなかったくらいよ」
「王国がホムンクルス技術に着手することについては反対か?」
「ええ」
即答だ。
まさかリリは気づいていないのだろうか。それが死んだブライズとの再会が果たせる可能性のある、唯一の方法であることに。
こちらから言うのはやぶ蛇か。
いや。そんなことにも気づかないほど、こいつは阿呆ではないだろう。
俺は意を決して尋ねる。
「ブライズを蘇らせることができるかもしれないのだぞ」
「……」
ぎゅうと、リリが俺の手を強く握った。
痛い。指先が鬱血しそうだ。
「……拳骨で頭を叩かれてしまいそう」
「はあ?」
「そんなことをしたらブライズに嫌われてしまうわ、きっと」
なんだ、それは。
リリは天井を見上げながら囁くように言った。
「わたしと過ごしたブライズなら、必ずこう言うもの。〝俺ひとりを蘇らせるために、どれだけ民の血を流させるつもりだ〟と。ホムンクルス技術に手を染めるというのはそういうことよ」
ブライズのホムンクルス化は、すなわち魔導錬金術が王国でも利用され始めたという証とも言える。心なきホムンクルス同士の戦争は激化し、やがてその均衡が崩れた際にはいまとは比較にならない規模で、官民問わず犠牲が出始めるだろう。
確かに俺ならそう言うだろうな。前世の俺でも、今世の俺でもだ。蘇った瞬間から前世の記憶があったとしたならば。
だが。
「ホムンクルスに前世の記憶はないぞ。おまえを嫌うことはないだろう」
いくらブライズでも、記憶がない状態ではそのようなことは言えない。
ネレイドがアテュラに対してそうしたように、誰かが心を形成してやらなければ、ホムンクルスの意志は薄弱だ。漠然と人間を憎んでいた最初のホムンクルスと同様に。
リリが少し拗ねたようにつぶやいた。
「そう言ってくれないブライズなら、余計にわたしにとって価値はないわ。ただ同じ身体を持っているだけの他人よ。それはもうブライズではないもの」
そうか。だからリリは迷わないんだな。
だがその解釈は同時に、エレミー・オウルディンガムがブライズであることを示してしまっている。俺はブライズの記憶と心を受け継いで産まれたのだから。
いまの俺こそが、リリにとってのブライズなのかもしれない。手を繋いで眠ろうとするのも、甘えようとするのも、頭ではなく本能でそこに気づいているから。
「おまえにとっては、記憶こそがその人間の本質なのだな」
「ええ、そう。だから――」
リリが横目で俺を見て、再び視線を天井へと戻す。
待っていてもその唇が動くことはない。目は開いたままなのだが。
…………。
……。
寝るか。
そう思い、手は繋いだまま背中を向けて目を閉じる。しばらくそうして、風が窓を叩く音を聞いていた。
やがて眠りに落ちていく頃、突然ふわりと背中が温かくなる。
「……?」
リリが俺の背中に自身の背中をあてていた。互いの手は繋がれたままだ。
「……どうした……?」
「起こしてしまったかしら」
「ああ」
「別になんでもないわ。ただ接地面積を増やしたかっただけ」
「んぁ? 寒いのか?」
「え? ……ええ、まあ……そうね……」
俺は自身の方に伸びたキルトを手で持ち上げて、リリの方へと多めにかけた。多少、はみ出してしまったが、まあ問題ないだろう。季節はもうすぐ夏だ。
「ありがとう、エレミア」
「おまえの部屋のおまえのベッドだ」
「そうだったわね」
ブライズだった頃は、この季節になると窓を全開にしてよく全裸で眠ったものだ。
リリを拾って以降は、さすがに下着くらいはつけるようにしたけれど。
「……」
「……」
あらためて思い出せば、これはリリにとってさぞや不安の種だったろうな。いま突然リリが脱ぎだしたら、俺は確実に不安になる。
ああ、まったく馬鹿なブライズめ。服くらいちゃんと着ろと言いたい。その点、いまの俺は寝間着どころかナイトキャップまで被っているというのに。
思い出し笑いをすると――。
「く、くく」
「ふふ、ふふふ」
なぜかリリも笑った。
まさか同じことを思い出したわけではあるまいなと、少々不安になる。師の不出来なところなど、かわいい弟子には是非とも忘れてもらいたいものだ。
「おやすみ、エレミア」
「ああ。……おやすみ、リリ」
翌日、俺は風邪を引いた。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




