第153話 ここに全部捨てていけ
真っ暗だ。後方を振り返れば、アテュラとクラスメイトらの集団が放つ光が、まるで芥子粒のように小さく映っている。だが前方は何も見えない。一歩先が断崖絶壁であったとしても俺には見えないだろう。
両手を前に出して、慎重に歩を進める。
俺の気配察知ではリオナは捉えきれない。あいつがその気になって隠れたなら、きっと見つけられはしないだろう。
けれどリオナは、すでに俺の位置を捉えているはずだ。
「広いな……」
アテュラたちの声など、とっくに届かない距離まできていた。
それでも広間の終わりが見えてこない。時折石壁らしきものに触れるが、手を擦って歩けばただの石柱であることがわかる。
振り返れば光すらほとんど見えなくなっていた。
これ以上は俺が戻れなくなる恐れがある。そもそもリオナは本当にこちらにきているのかどうか。どこかの段階で追い抜いてしまってはいないだろうか。
「糞、いるなら声くらいかけやがれ」
意味もなく時折手を背後にも伸ばしてみるが、触れるものはない。
ついに背後の光が消えた。どうなっているんだ、このダンジョンは。ようやく最下層かと思えば、今度は先の見えない広さだ。
これでリオナが先にみんなのところに戻っていたら、見つけ次第拳骨だ。ついでにイルガあたりもまとめてぶん殴ってやる。
だんだん腹が立ってきた俺は、ドカドカと足音を立てて歩く。
「そこ、危ないよ」
そのときになってようやくリオナの声がした。
側方、左手側だ。
「壁、あるから」
「……壁か」
俺は両手を前へと伸ばす。確かに壁があった。切り取られた石の壁だ。ひんやりしている。柱ではなく壁。正真正銘、ダンジョンの端のようだ。
まあ、左右への広がりの程度は知らんが。
しかしあのままドカドカ歩いていたら、鼻面をぶつけていたところだ。
「……」
「……」
声は近くからしたのに、やはり気配がつかめない。
拗ねたようにリオナがつぶやく。
「……ついてこないでほしかった」
「だろうな」
今度は右側から声がした。
「なのにずっと後ろから、ちょこちょこついてくるんだもん……。可愛すぎかよぅ」
「なんだ、前にいたのか」
俺は壁を背負って腰を下ろす。
だが待っていても、リオナは隣にはこなかった。
「この壁がなかったら、あたしはずっと歩いていくつもりだったのにな……」
「それは腹が減りそうだ」
「もうどこにもいけそうにないや」
「学校に帰ればいいだろ。みんなおまえを待ってる」
沈黙が訪れた。
あまりの長さに不安になる。また別の方向へと歩いていかれたら、今度こそ追うことはできない。
壁から背中を剥がす。
「リオナ?」
「……まだ、いるよ」
まだ、とはなんだ。いずれ、があるようなことを言うな。
「リオナじゃなかったんだ、あたし。人間ですらなかった。きっとあの出来損ないの竜みたいなものだったんだ」
「ふん、ヒトの〝型〟などどうでもいい。おまえの正体が何者だろうが俺は変わらない。それはきっとあいつらもだぞ」
「うん、わかってるよ。みんな優しいから。こんなに怪しい共和国人を、あんなふうに受け容れてくれたくらいだもんね」
「だったら帰ろ――」
突然だ。唐突に伸びてきた手が俺の口を塞いだ。
ここまで近づかれてようやく、リオナの息遣いを感じた。
「でもあたし、帰りたくない。この前あのホムンクルスと戦って、今日アテュラの姿を見て、色々わかっちゃった。ううん、ほんとはね、施設で恐い大人たちにひどい目に遭わされたくらいの時期から、そうじゃないかなって思ってたことがあるの」
リオナの唇が俺の耳に触れた。
そうして震えながら、吐息のような声で囁く。
――……。
「――っ!?」
その言葉を聞いたとき、自分の中の獣がどす黒い感情とともに目を覚ました。
気づけば俺は、己の両手で自身の髪を強く握りしめ、腹の底から湧き出てくる怒りや悲しみに、咆吼していた。
未熟な声帯を空間が震えるほどの大音量が突き破り、口内に鉄のような味が広がった。
それでも俺は何度も何度も吼えた。そうしなければ己の中で何かが爆発しそうなほどに膨らんでいたからだ。
やがて声は枯れ。
俺は、壁に力なく背を預けていた。
両目から涙を流しながらだ。
俺の前で膝を折っていたリオナが、ゆっくりと膝を伸ばす。
「だから、もういいんだ。いつもいつも、あたしのために泣いてくれてありがとうね」
俺はリオナの制服の胸ぐらを両手でつかんだ。
放してはだめだ。今度こそ本気で姿を消すつもりだ。次に見失えば二度と逢えなくなる。それがわかる。
「エルたん、放して。制服が脱げそう。いやもうむしろ脱ごうかな」
「おい脱ぐな阿呆! どうせ暗くて俺には見えん!」
「あそっか――ひゃっ!」
馬鹿なことを言っている隙に俺はそのまま強引にリオナを引き倒し、胸の中へと抱え込んだ。
「エルたん……?」
「俺がいつも泣いているのはなあ、おまえらが泣かないからだッ!! どうして助けさえ求めてくれないんだ! そんなに子供の俺は頼りないか!? この糞馬鹿が! だったらせめて弱音くらい吐け! そんなもの俺が噛み砕いて叩き潰してやる! だから――」
「……っ……」
「……だから、頼むから、ちゃんと幸せになろうとしてくれよ……」
座ったまま、全力でリオナの頭部を抱きかかえる。強く、強くだ。
リオナの喉から、空気が漏れるようなか細い音がした。細い肩が震えたあと、俺の制服の胸部が湿っていく。
「俺に全部捨てていけ」
そうつぶやいた直後、リオナの慟哭がこだました。
「……う……ああ、あああああぁ……なんで、なんであたしだけぇ……いつもこんなっ……わあぁぁぁぁ……」
ネレイドに愛され、人間となるべくして創り出されたアテュラ以外のホムンクルスには、決定的に欠けているものがあった。
ホムンクルスは大抵の人間より優れた能力を持っている。彼らが新たな種となり徒党を組めば、一国を落とすことも容易な話だろう。
だからこそ飼い犬に手を噛まれぬよう、魔導錬金術師たちはその肉体に制限をかける。
決して未来を作れぬように。
……これはそういう話だ。
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