第149話 焚き火を囲んで人心地
ざぶ、ざぶと、水を掻いて進む音がいくつもしていた。
みな無言だ。
対岸はまだ見えない。
「……」
地底湖の水は骨まで染み入るほどに冷たかった。
なるほど。これはリオナの言った通り、泳いでなど渡れそうにはない。足はさておき全身浸かってしまえば、さほども進めぬうちに沈むことになるだろう。
「まだ対岸が見えやがらねえ。相当広いぜ、こいつぁ」
俺たちはヴォイドを先頭に、地底湖エリアの壁沿いを左手でなぞりながら、慎重に歩を進めていた。ヴォイドの次が俺とリオナ、そして一組のクラスメイトらが続き、殿をオウジンが務めている。
ちなみに全員が裸足だ。靴と靴下を濡らせば後々後悔することになるから、みんな荷物に詰め込んでいる。
そのせいもあったのだろう。
リオナがぽつりとつぶやく。
「もう足の感覚がなくなりそう……。エルたん、大丈夫?」
「……だ、だ、だいだいじょうぶだだ」
現在、先頭をいくヴォイドの膝上から大腿部下まで水がきている。それはつまり、このクラスで最も低身長の俺にとっての腰にあたる。
上半身にこそまだ達してはいないものの、血流が冷やされ俺は震え始めていた。
情けない。これだから子供の肉体は。
「あたし、背負おうか?」
「だだだめだ。あ、足を、す滑らせたらどどうする」
リオナは俺の顔色を見てオロオロしている。どうやら俺はよほど青ざめてしまっているらしい。
気遣う声が弱々しかった。
「あたしの心配はいいよぉ……」
それでもヴォイドに背負ってくれと頼まないのは、万に一つのことがあるからだ。
地底湖に生物はいないとベルナルドは言っていたが、それはあくまでも予想だ。
例えば海棲種族のマーマンやマーメイドなどは、餌の豊富な陸上で糧を得て、水中に戻っていくことがある。陸上で生きるリザードマンは逆に餌を求めて水中へ潜ることも確認されている。
そういった魔物が潜んでいないとも限らない。
先頭と殿は、それに常に備えなければならない。俺もヴォイドと同じくその役割を担うために二番目を歩いていたのだが、この体たらくだ。
まったく。嫌になる。この小さな愛されボディが。魅惑しかできない無力さよ。
俺たちの一列後ろを歩くイルガが見かねたのか、俺の両脇に腕を入れた。
「俺が背負おう」
「バ、ババカか、ハゲ! は、放せ!」
ワチャワチャと両手両腕を振って抵抗する俺へと、リオナが声を上げる。
「エルたん! どうせそんなに震えてたんじゃ、先陣を切るどころか魔物が出てきても足手まといにしかならないでしょ! おとなしくしなさい!」
「うぐ……っ!?」
リオナの視線がイルガに向けられた。
「イルガくん、頼める?」
「……ハゲと言われた……」
「す、すすすまん。つつい本音が出てしまっただだけだ」
鬱陶しい。これ見よがしにしょぼくれやがって。仕方がない。訂正してやるか。
「だだ、だいじょうぶだ。おおまえはまだ、ううう薄毛だだ」
「……!?」
「エルたん……? ちょっと黙らないと投げ捨てられちゃうかもよ?」
なぜだ。イルガめ、俺のような愛らしい子供に向かってひどいことをする。
イルガの背中に回った俺の襟首を、唐突に大きな力がつかんで持ち上げた。ベルナルドだ。
「ならば、俺が持とう。イルガは、エレミアの役割だ。ヴォイドの補佐を頼む。リオナは引き続き、索敵だ」
「わかった。任せておくがいい。――おっと、いまの騒ぎで、少々水しぶきが顔にかかってしまったなあ!」
イルガは袖で目を擦っている。大丈夫だろうか。
ベルナルドの手に吊り上げられた俺は、やつの肩にまたがった。肩車だ。やつはそのまま平然と歩き出す。
こいつ、体温高いな。
「頭に、しがみついておけ。落ちるなよ」
「お、おお」
ふと思い出した。
ある日、子供だった頃のリリに言われて知ったんだ。ブライズの体温が他者より非常に高かったことを。
おまえはなぜいつも寝るときに張り付いてくるんだ、と問うたら、「他の人より温かいから」と言われたことがあった。「あ、心がじゃなくてね?」と、付け加えられた俺は、大層ショックを受けたのだが。
くだらん思い出だ。
しばらくそうして進むうち、俺は足の感覚を徐々に取り戻すことができた。だが、ベルナルドは平然としているが、やはりクラスメイトらの顔色は芳しくない。特に細いリオナや小さなオウジン、セネカも限界が近そうだ。
これはまずいな。一旦引き返して、来月のカリキュラムであらためて準備をしてくるべきだろうか。
そんなことを考えた瞬間、ヴォイドが声を張った。
「おら! 対岸が見えてきたぜ! もうちょっとだ! てめーら、気張れや!」
途端に全員の足が速まる。
やがて俺たちはどうにか全員で対岸に辿り着くことができた。
俺を下ろしたベルナルドが、早速薪を組んでいく。フィクスがそれに魔術で火をつけると、全員がその周囲に集まった。
みんな焚き火に足を向け、ホッとした顔をしている。
だが、ベルナルドは静かに告げた。
「用意した薪は、これで最後だ。帰りの分は、ないぞ」
オウジンが靴下を穿きながら返した。
「問題ないだろう。五層の縄ばしごを使えばすぐに外に出られる。ダンジョンの周囲には燃やせるものも多い。少しの我慢で済む。これはレティスたち五班のおかげだな」
レティスが嬉しそうに自分の二つ結びを両手でつかみ、頬を赤らめる。
「あはっ、オウジンや三班に褒められると、なんか照れるねっ」
だがこのときはまだ、オウジンは気づいていなかったのだ。モニカが他の女を褒めたオウジンを、前髪の隙間から凄まじい目つきで凝視していたことに。
……いやまあ、俺にとってはどうでもいいことなのだが。
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