第13話 それでも俺はヤっていない
その日は自己紹介とクラスメイトとの顔合わせだけで終わった。
リリが教室を後にすると、生徒らは思い思いに帰り支度を始める。配布された座学用の教科書を鞄に詰める。初等部や中等部であれば不要だが、高等部ともなれば前世の記憶を活用してもアヤシい知識ばかりだ。せいぜい落ちこぼれんようにせねば、などと考えていると。
「こぉんに~ちはっ」
「……」
「ねえ、ねえねえ。こっち向ぅ~いて?」
「……」
「お~いっ、はじめまして~! ノイノ~イ?」
教科書を鞄に詰め終えて寮に帰ろうと立ち上がる。偽名を呼ばれるにいたってようやく、その声が俺に向けられていたことに気づいた。
「ん? ああ、すまない。俺に言っていたのか」
「そうだよぉ」
視線を上げると、後ろの席に座っていた女子が、俺の席の横に立っていた。俺を見下ろすようにだ。背が高いわけじゃない。俺が小さいだけだ。
ややつり上がった目は猫のようだ。髪は炎のように赤く艶を帯びていて、肩口あたりで切り揃えられている。直毛ではなく、癖のある猫っ毛だ。
「何か用か?」
そいつは腰を曲げて俺に顔を近づけ、耳元で囁いた。
「ねえ、エレミアくん。あたしと組まん?」
帰り支度をしている他の生徒らに聞かれることを警戒するようにだ。
「組む?」
何のことだ?
尋ね返そうとした俺の口に掌を当てて黙らせ、猫目の小娘はキョロキョロと周囲を見回してから、また囁いた。
「しー」
「……ああ?」
「こっち来てぇ~ん」
やつは俺の手を引いて教室の隅に連れて行くと、にんまり笑いながらこう言った。
「まだ誰も知らない秘密の話なんだけどさあ、レアン騎士学校の高等部では、中等部までと違って実戦がカリキュラムに組み込まれてるんだぁ」
語尾を伸ばしてはいるが、決してゆったりとした口調というわけではない。むしろ理知的、理性的。幼い俺に合わせるためか、あるいは警戒をさせないためか。そうでなければ詐欺師特有の、情報をたこ詰めにした早口を自ら制御しているかだな。
いずれにせよ、わざとそういう話し方をしているように見える。
「実戦? 実戦とは剣術の実技のことか? それならば高等部だけではなく、初等部からすでに真剣に慣れさせる方針だと入学要項にあったはずだが」
木剣ではなく、真剣だ。
猫娘が首を左右に振る。赤い猫っ毛がふわふわと揺れた。
「ん~ん。実技じゃなくって実戦のことだよ」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。戦場投入されるとでも言うつもりか」
学徒を徴兵するなど、あのキルプスが許可するはずがない。そもそもそんな方針なら、キルプスといえど俺の入学など認めるはずがないのだ。
それに目下のところ、王国最大の脅威であったエギル共和国とは停戦協定が結ばれている。これは一昨年ほど前の話であり、リリが軍を離脱したタイミングでもある。
むろん、水面下では激しい諜報合戦が繰り広げられている。国境を挟む戦争ではなく、潜り込んだ共和国の諜報員と王国騎士団との小競り合いだ。しかしまさかそんな重要な場に、学徒ごときを起用するとは思えない。
それを肯定するように、猫娘がパタパタと手を振った。
「あはっ、ないない。ダンジョンでのカリキュラムのことだよ。だから魔物退治だね」
ダンジョン。ダンジョンカリキュラムか。
「ほう。そんなものがあるのか」
「これ、まだ秘密だよぉ~? 他の人に話しちゃだめだよぉ?」
猫娘が人差し指を立てて得意げな顔をした。
興味が出てきた。
「ああ」
「他校では実施されていない、試験的に導入されることになったカリキュラムなんだよぉ。発見されたダンジョンの魔物を倒して、付近の安全を確保するってのが表立った名目なんだって」
俺は猫娘の言葉の一部のみを切り取って、あえてつぶやく。
「表立った」
「あはっ、そそ。さっすが飛び級ちゃん」
ダンジョンの攻略。本来それは騎士の仕事の領分だ。
ダンジョンによっては、とてつもなく危険な魔物がいないとも限らない。極論、太古の宝物を守る古の魔物などがいた場合、素人では何もできずに全滅することだってある。
それで済めばまだ良い方だ。
この国ではないが、盗賊によって宝物を奪われた眠り竜が覚醒と同時に怒り狂い、一国家が国民もろとも炎に包まれたという逸話も残っている。ちなみにその国は地図から消失した。いまは不毛の大地となっているはずだ。
むろん、人類とて馬鹿ではない。
例の一件以降は、そう言った場合には宝物には手をつけず、魔物を起こさぬようにそっと立ち去り、賊の侵入を防ぐために入り口を埋めてしまうのが各国の定石となった。
だがこの定石という対処法は発見される魔物の強さによって変わる。
ゆえに、間違っても認識を共有できない狩人や傭兵、猟兵、冒険者などといった外部のゴロつきには依頼できない内容だ。だから紆余曲折を経て、騎士団に一任されるようになっていった。
そんな重要な役割を学生に頼るのは、にわかには信じがたい。だがダンジョンカリキュラムが要項にさえ伏せられていたとなれば、猫娘の話の信憑性も高くなる。
それだけ新設されたレアン騎士学校に対する期待が大きいということだろうか。
……あるいは、騎士団にはもはやそのようなことに割く人的余裕がない……?
各国がそうまでしてダンジョンに潜る理由とは、過去それらが国家の発展に大きく寄与してきたからだ。特に軍事面で。
強力な魔法をも弾く未知の金属、百年をおいてしても錆びぬ鋼、未だ見たことなき魔法の記された魔導書に、未踏領域を示す大陸外の地図、軍資金を大きく上回る金銀財宝が発見された例もある。俺たちの制服に使われている金属糸も、ダンジョンの失われた技術のひとつだ。
危険と隣り合わせのダンジョンではあるが、同時に紛う事なき国家の財産でもあるのだ。
しかし、魔物退治か。おもしろい。この弱体化した肉体を試すには、ちょうど良い機会だ。だが、足手まといは不要。俺は誰とも組むつもりなどない。自由に動くんだ。
俺は猫娘を見上げる。子供のようにあどけない、無垢なる瞳で。
「それで、なぜ俺と組みたいなどと? 見ての通り俺は頭でっかちのガキだ。期待するような戦力にはなれん。不本意ながら足を引っ張ってしまうこともあるだろう。命がけともならば、貴様ら糞ガキどもに迷惑をかけるわけにはいかない。泣く泣くひとりで動こうと思――」
猫娘がニヤっと笑って、指先で俺の頬をプニプニとつついてきた。
「まぁ~たまたぁ。知ってるよぉ?」
「よせ。頬をつつくな。何をだ?」
俺はその手を払い落とす。
猫目が微かに細められた。
「キミ、実技試験でギーヴリー教官を殺っちゃったんでしょ? それもたったの一撃で?」
「こ、こ、殺してないわ! 人聞きの悪いことを言うなっ!!」
入院したと聞いたが、生きてるんだよな? え? あいつ死んだの?
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