第137話 剣聖に恋文がきた
ネレイドとその娘アテュラの話は共和国の国家機密であると同時に、ホムンクルスの存在を民や一般の騎士に明かせない王国にとっても機密情報扱いだ。
それゆえに、俺たちが真実を知ったところで何もできない。あえて言うならば、国王であるキルプスがその内容を把握できていれば、それでいいのだと思う。
屋上での重々しい会合があった数日後、三度目のダンジョンカリキュラムを目前にして、ようやく高等部一年全員にフアネーレ商会の武具の配布日が決定した。
それに先だって、俺たちは使用していた武具をレアン騎士学校へと返却する。これらのナマクラは一旦磨かれた後、どうやら中等部で再利用されることになるらしい。
レアン騎士学校では初等部の途中から真剣を扱うようになるのだが、初等部のものは真剣であっても刃がひかれている。そういった意味で本当の剣を扱えるのは、中等部以降ということになる。
これまでは中等部と高等部は同じナマクラを扱ってきたが、そもそも実戦のある高等部と試合形式でしか使用しない中等部を一緒くたにするのが間違いだったのだ。
なんにせよだ。次のダンジョンカリキュラムまでに間に合ってよかった。
放課後、俺はリオナと女子寮に向かって校庭を歩いていた。
初夏。青々と茂った植樹が、陽炎の中で揺れている。いつの間にやら季節は移り変わり、校庭をいく生徒らの服装も袖の短い夏服ばかりになっていた。つい先日までの涼しさが嘘のようだ。
いや、そのようなことよりもだ。
「どうにも、剣を挿していない生活というのは落ち着かんな」
「わかるぅ! なんかパンツ穿いてないみたいだよねー」
俺は顎をしゃくってあからさまにため息をくれてやった。
リオナがスカートの前を両手で押さえて言う。楽しそうにだ。
「さてはいまあたしのあられもない姿を想像してるな! エルたんのすけべ!」
「してない」
「ええ、真顔でそんな……。……しなよ……せっかくなんだから……」
何をショックを受けたような顔をしているんだ、こいつは。
ああ、もしや。
「あれか。重い鞘ベルトが腰にないから頼りないという気持ちなら少しわかる」
「違うよ。パンツ穿いてないからすーすーして頼りない感じ」
もういい。まじめに考えた俺が馬鹿だったのだ。
初等部の女の子ふたりが手を繋いで俺たちを追い抜いて走っていく。糞暑い中をよく無意味に走れるものだ。ガキというのはこれだから恐ろしい。
「今日は部活か?」
「ううん、バイトだよ。部活はほとんど顔を出せないな~」
「大丈夫か?」
リオナが赤い髪を額から掻き上げて、白い歯を見せて笑った。
「うんっ。特殊工作部のみんなにはちゃんとあたしがそれぞれトレーニングメニュー書いてるから、それさえまじめにやってくれていたら、それなりに成長できてるはずぅ? だから心配いらないよ」
俺は額を押さえて、逆にうつむく。
「そうではない。おまえ、バイトが終わった後にそんなことまでしていたのか?」
「そりゃあするでしょ。やらなきゃそのうちみんな死んじゃうじゃん?」
何を首を傾げて頓珍漢なことを抜かしているんだ。
「それはそうだが、俺はおまえの負担の話をしているんだ。ヴォイドに餌付けされて食い物だけは食ってるみたいだが、目の下に隈ができている」
「餌付けはされても心まではあげてないからっ。お礼なんてしょせん口先だけだからっ。心配しないで、あたしはエルたんのものよっ」
「いや、だからな……」
どう言えばいいか考えていると、リオナがニィと悪戯な笑みを浮かべた。
「冗談だよぉ。あんがとね、あたしの心配までしてくれて」
「……ふん、勘違いするな。おまえが戦力にならなくなったら、カリキュラムで俺の負担が増えるという話だ。だから別におまえのためではない。俺が困る」
今度は腰を曲げて俺の顔を覗き込んできた。横髪を片手で押さえながらだ。
少し。少し表情が違う。先ほどまでとは。神妙な顔つきをしている。
リオナが微かに口を開く。
「うん。別にいーよ、それで。ううん、その方がいい。エルたんが困るなら、あたしは足を引っ張るような真似はしない。そのための体力はちゃんと残すように気をつけるね」
「……あ、ああ……。……ぜひそうしてくれ」
糞。これではくだらん言い訳などした俺が馬鹿みたいではないか。
女子寮の入り口に入り、受付にいた寮母のホーリィ婆さんに会釈をする。すると珍しくホーリィ婆さんに呼び止められた。
「ああ、ノイちゃん。さっきあなたを可愛らしい子が捜していたわよ」
「ん? 俺を?」
「この寮の子なのだけれど、ごめんなさいね、わたしったら名前をまだ覚えていなくて。あなたの場合、お部屋の番号を教えるわけにはいかないから、郵便受けの番号を教えておいたわ。いまならまだ郵便受けのところにいるんじゃないかしら」
「そうか。ありがとう、ホーリィさん。部屋番号の件は助かる。あと、こっちのベルツハインは俺とイトゥカ教官が同室であることを知っているから、普通に話してくれて大丈夫だ」
人の好い婆さんは、皺だらけの顔にさらに深い皺を刻んで微笑む。
「ええ、わかったわ。ほら、早くいってあげて」
「わかった」
ホーリィ婆さんが女子寮の廊下に通したということは、女性か。
口ぶりからリリではないだろうし、フアネーレならば盲目であることを告げないはずがない。リオナは俺の隣にいる。
……だったら誰だ? まるで身に覚えがない。
「ではな、リオナ。先にいってる。バイトはほどほどにな」
「うん。エルたん、浮気はだめよ」
「阿呆」
俺はその場にリオナを残して郵便受けのある場所まで走った。寮内は氷晶石を搭載した最新の魔導空調システムのおかげか、外ほどの熱気はない。生き返る気分だ。
郵便受けの前には、確かに小さな女の子がひとり立っていた。
レアン騎士学校の制服を着ているが、まるで見覚えがない。襟元の校章の色から察するに初等部か。茶色い髪を短くしたボーイッシュな印象がある。
いまの俺と同世代か、やや下に見える。十歳以下であることは間違いないだろう。
女の子はこちらを向いてぺこりと頭を下げる。俺は眉を曲げて会釈を返した。
「えっと、すまん。誰だ?」
「あ、あのね、こ、これ。ある人からノイさんにって預かったものなの。できれば投函じゃなくって直接渡して欲しいって言われてて」
そう言った彼女の手には、封をされた手紙が一通ある。
俺はそれを受け取った。裏返しても差出人の名は書かれていない。
「ふぅん……?」
「じゃ、じゃあ、わたしはこれで」
「ああ、すまんな。感謝する」
俺の言葉が終わるより先に、彼女は逃げるように走り去っていった。といっても初等部女子なら、この寮内には住んでいるのだろうが。
しかし……。
差出人不明の手紙か。
封を破ると、便せんが出てきた。小さく丸い文字でこう書かれている。
――エレミア・ノイ様。あなたをお慕いしています。日暮れ時、フラワーガーデンにて、いつまでもお待ちしております。
「はぁ?」
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
 




