第132話 剣聖は気を利かす
特訓を始めたセネカとイルガ――庶民と貴族の各リーダーに倣うように、あるいは俺とオウジンの仕合に触発されたかのように、俺たちを取り囲んでいた観衆が散ってそれぞれに木剣を振るい始めた。
互いに限界まで打ち合い、仕合後は反省点を語り合う。己ひとりでは気づかないことでも、相対する敵から見ればわかることは意外と多い。
部活動など遊び半分かと思っていたが、なかなかの熱量だ。ブライズ一派のやり方に似ている。
むろんこの部活動にはリリの作り出す方向性もあるのだろうが、それ以上に異常なまでの状況で行われるダンジョンカリキュラムの危険性が、彼らを突き動かしている気がする。
悪くない。みな少しずつではあるが成長している。
さて、俺は一休みを――……。
「お疲れ様、オウジンさん」
ふと気づくと、オウジンに手ぬぐいを差し出す手があった。長い前髪で目元まで覆ってしまっている一班所属の女子、モニカ・フリクセルだ。
目元より下の部分が、すでに赤く染まってしまっている。いや、差し出す手まで染まっていた。
「ああ、うん。ありが――ひっ!?」
途中まで手ぬぐいを受け取ろうと手を伸ばしていたオウジンだったが、相手がモニカであることに気づくと慌てて手を引っ込めた。
モニカが自信なさそうな声でつぶやく。
「あの……使ってくれると嬉しい……」
俺は知っている。俺でも気づけた。
このモニカ・フリクセルは、オウジンに恋をしている。そしてエロ河童の分際で女人を苦手とするオウジンは、ぐいぐいくるモニカのことをひどく恐れている。
一瞬硬直したオウジンだったが、どうにか我を取り戻し、モニカから視線を逸らした。
「け、結構だ。自分の手ぬぐいがあるからね」
「ああ、すまん。おまえのなら俺が無断で借りたぞ」
俺は壁際に置いてあったオウジンの手ぬぐいを勝手に使ってやった。頭と顔の汗をごしごしと拭う。摩擦でハゲあがりそうなほどに使ってやった。
当然、わざとだ。モニカにそっと親指を立てて見せると、彼女は微かにうなずいた。
心配するな、モニカ。おまえはひとりではない。〝剣聖〟あらため、この〝色恋マスター〟の俺に任せておくがいい。何を隠そう俺はヴォイド先生の指導の下、先日リリの気持ちすら言い当てたのだ。この俺も成長したと言わざるを得まい。
しかしオウジンめ。口下手なのはわかる。だが、いくらなんでもそのような扱いではモニカが気の毒だ。俺がリオナを避けないのと同じように、せめて友人にくらいはなってやればいいと思うのだが、こいつの女嫌いは筋金入りときた。
いや、嫌いなわけではないのだろう。顔を真っ赤に染めている時点で。
オウジンが憮然とした顔で俺に手を伸ばした。
「いいよ。そのまま僕に返してくれ」
手ぬぐいくらい素直に受け取ってやればいいものを。見ろ、モニカが肩を落としているではないか。勇気を出して惚れた男に渡そうとしたというのに。
やむを得ん。もう少々手を貸してやるか。
俺はオウジンの手ぬぐいで、ビーと勢いよく鼻をかんでやった。
「うん? 何か言ったか?」
「エレミアァァ!?」
「ああ、手ぬぐいか。すまんな。洗ってから明日には返す」
俺はモニカに視線をやって、片目をつむる。嬉しそうに胸の前で手を組んでいる。痛いほどに彼女から感謝が伝わってくる。
ここでトドメの一言だ。
「悪いな、モニカ。おまえのをオウジンに貸してやってくれるか」
「う、うん」
モニカが差し出す手ぬぐいを、今度はオウジンも渋々ながら受け取った。彼女から視線を逸らせながらだ。だがそれでも、手ぬぐいを渡すことのできたモニカは嬉しそうにはにかんでいる。
いい顔だ。昔のリリを思い出す。
俺はオウジンに言ってやった。
「照れていないでおまえも礼くらい言えよ。東国の剣士は礼儀に厳しいのだろう」
「う……」
ちらり。横目で一度見てからオウジンはモニカに向き直る。そしてわずかに頭を垂れた。
「――あ、ありがとう……ございます……。……モ――ん、んんぅ。フリクセルさん。ちゃんと洗って明日には返すから……」
「あ、ううん。いいの。わたしの方こそオウジンさんにはいつも部活動で剣の手ほどきをしてもらっているから。そのお礼のつもり。洗わなくっていいから、これからも遠慮しないで使ってくれると嬉しいな」
「う、うん……」
ほほぅ。
なんだかよくわからないが、ふたりを見ていると、胸の中がキュゥと締め付けられる気分だ。
まさかこれは逆流性食道炎の症状か。保険医に相談してみるか。
ふたりとも真っ赤になって地面を見ながら話している。
初々しいな、オイ。やれやれ、年寄りはさっさと退散するか。
俺はオウジンの手ぬぐいを肩にかけたまま、ふたりに背中を向けた。
「ではな、オウジン。先に戻っているぞ」
「待て、エレミア」
「なんだ?」
オウジンが意趣返しだとばかりに、俺の肩にかかった自分の手ぬぐいを指さす。
「ものを借りたら礼を言わなきゃならないんだろ。僕に言うことはないのか」
「なんで気を遣ってやった俺がおまえなどに礼を言わねばならんのだ。笑わせるな、この頓珍漢が」
「え、ええ~……? あの、それはちょっと横暴……ええ~……?」
こき下ろしてやると、オウジンが情けない声を上げた。
俺は鼻を鳴らして修練場から去ってやった。
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