第131話 まだまだ先の長い道のり
修練場はしんと静まりかえっていた。
一組の大半が板敷きのこの間に集まっているのにもかかわらず、みな呼吸すら忘れている。俺とオウジンを遠巻きにぐるりと取り囲んで。
オウジンが両手で持つ木剣の切っ先は、俺の正中に向けられている。
俺が両手で持つ木剣の切っ先は、斜め後方だ。
ようやくだ。ようやっと俺はオウジンと刃を合わせることができた。もちろん真剣とはいかないものの、互いに存分に打ち合うことを考えれば木剣の方が都合がいい。
すでに二十合は打ち合っている。だが互いの肉体に刃が触れることはなかった。
揺るがぬ正中線。それだけで肌が粟立つ。
「……」
「……」
頬を伝った汗が板敷きの間に滴り、微かな音を立てた。
そこに意識を持っていかれたほんの一瞬、オウジンが地を蹴った。
さすがだ。一瞬の隙も見逃さない。こいつは本当に皆伝ではないのか。
だが――。
放たれた鋭い斬撃を、俺は後退しながら木剣で斜め下へと払い除ける。
「~~ッ」
「――っ」
隙はわざと見せたものだ。誘い込むために。
同時に着地した直後、俺は地を蹴り前に出ながらやつのがら空きの胴体へと木剣を振るった。
「おお!」
だがやつは俺の攻撃をもらう瞬間に自ら身を木製刃の動きに合わせて回転させ、俺の横薙ぎを東方の胴着一枚を掠らせて去なす。
「ぬ……!」
あのホムンクルスの拳をも受け流した体捌きだ。
空振った直後、オウジンは空中から回転の力を利用して、俺は地上から強引に木剣を振り上げ、互いの刃をぶつけ合った。
「おおおおっ!」
「ツァ!」
コォンと木剣同士のぶつかり合う音が鳴り響く。
衝撃で互いの汗が玉となって真横に流れた。
だがこれが失策だった。弾かれるのは当然、力の弱い俺だ。おまけにオウジンは去なしの回転力を利用し、俺は強引に振り上げたときている。
あっさりと弾き上げられた瞬間には、オウジンはすでに風のように静かなすり足で踏み込んできていた。
木剣の切っ先が俺の胸部へと迫る。
「~~にぁッ」
どうにか身を逸らせて躱した……が、背中を反らした体勢の俺に、軌道を変えた木剣の刃がトンとのせられた。
「う……」
俺はそのまま尻餅をつく。
「…………ぬぅ……。……参った……」
オウジンは木剣をくるりと取り回すと、まるで鞘でもあるかのように自らの腰へとすっと戻し、距離を取って俺に頭を下げた。
所作が美しい。東国の剣士はみなこうなのだろうか。がさつな俺たちとは大違いだ。騎士とも違う。勝ち誇るではなく、相手に敬意を払っているように見える。
俺は天井を見上げて嘆く。
「糞、情けない。やはりこの肉体では勝てんか」
ぐやじい……! こんな小僧に負けるなんて……! 泣きそう……!
「何を言っているんだ。十歳でそれならとんでもなく驚異的だぞ」
オウジンが俺の手を取って引き起こしてくれた。
何やら苦々しい笑みを俺に向けている。
「むしろ勘弁して欲しいのはこっちの方だよ。これまで磨いてきた技の大半にキミは初見で反応し、さらに的確に返してくる。もしエレミアが同い年で僕と同等以上の肉体だったら、僕はまず勝てそうにない」
否定はしない。
おそらく東方剣術という未知の部分を除けば、純粋な技量や経験では俺の方が勝っている。それでも刃を合わせた際に体勢を崩されたのは、筋力と体重の差があったからだ。
ブライズだった頃と同じことをしていては、もはやどうにもならんということだろう。
正直な話、現時点でも勝つだけであれば方法はなくもない。
木剣を両手に持てばいい。ブライズの記憶には双剣のノウハウもある。オウジンの回転力を遙かに上回る攻撃ができるようになる。
だがそれをしたところで意味がない。いまの俺には双剣での戦いなど、実戦では到底再現できないからだ。
木剣は当然だが真剣より遙かに軽い。だから片手に一本ずつ振り回せるだろう。
だがそれを真剣でやろうとするならば、俺の筋力では脇差し以下の短剣の長さになってしまう。それ以上の長さの武器だと今度は重量のせいで片手では振れないし、振れても斬れない。
まさに痛し痒しだ。
むろん道場から連れ出して森や林などに連れ込めば、他にも方法はなくもない。しかしそうなると今度はヴォイドに勝てなくなるだろう。さらに暗闇ではリオナの独壇場だ。
どのような相手にも、どのような場所でも、どのような武器でも、常勝できねば意味がない。それが〝剣聖〟というものなのだから。
遠い。剣術の果てが見えない。だからこそおもしろい。
「ああ、まったく。肉体の成長がまるで追いついてこん」
「焦るなよ、エレミア。キミは十分に強い」
俺はガシガシと頭を掻いた。
瞬間、拍手が巻き起こった。
イルガが興奮したように口を開く。
「そうだとも! すごいぞ、エレミア! リョウカとまともに打ち合えるだけで驚きだ! 俺など刃を合わせることさえほとんどできないというのに!」
「さすが、ホムンクルスを斬った十歳ね。わたしも負けてらんないわ。――ちょっとイルガ、あんた相手しなさいよ。今日こそその甘ったれたボンボン顔を吠え面にしてやるんだから」
セネカがイルガを挑発的に見上げている。
「ほう、まあいいだろう。この間のように勝てないからと言って泣かないでくれたまえよ。庶民とはいえ女性を泣かせたとあれば、我がフレージス家の名誉に傷がつく」
「ほざいてろっ。女だからって手加減したら殺すからね」
隣に立っていたイルガの腕を引っ張って、セネカは修練場の空いたスペースへと連れていった。最近ではイルガを相手によく特訓している姿を見る。よほどぶっ叩いてやりたいのだろうな。わかる、わかるぞ。イルガは何だか殴りたい顔をしているものな。
剣では騎士剣術を使うイルガの方がまだ優れているが、作戦立案や判断力などの陣頭指揮ではセネカがやはり頭角を現しつつある。仲さえよければおもしろいコンビなのだが。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
※夕方頃にもう一話投稿予定です。




