第130話 リリとエレミア(第12章 完)
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語り終えたリリは、静かにため息をついた。
先ほどまでとは違って、その目に涙はもう浮いてはいなかった。冷たくなったハーブティーを啜り、リリがつぶやく。
「もう少し取り乱すかと思ったけれど、案外冷静に話せたわ。なぜかしら」
「……」
対照的に、俺はとんでもない量の汗を掻いていた。顔から滴る雫が汗なのか涙なのかさえわからないほどにだ。
リリの話で、記憶の断片が次々と蘇ってきていたんだ。いまなら鮮明に思い出せる。自身の死の瞬間を。
リリは青い空が広がっていたと言っていたが、俺が見上げていた空は、燃え盛るような真っ赤なものだった。あれは毒の影響だったのだろう。
「エレミア?」
「…………ああ」
「ちょっと……」
リリが立ち上がり、心配そうに俺の目を覗き込んでくる。
額に手を当て、目を見開いた。
「ひどい熱! いつから!?」
リリの手がひんやりとしていて気持ちいい。
記憶を蘇らせていく際に発生した知恵熱か、あるいは話があまりに衝撃的過ぎたせいか、それとも死の瞬間を思い出してしまったからか。
いずれにせよ病魔の類ではないだろう。放っておいてもすぐに収まるはずだ。
「問題ない。大丈――おおぅ?」
言葉が終わるより先にリリは俺の身体を両腕で抱え上げると、すぐさまベッドに運んで寝かせてくれた。
俺は上体を起こす。
「だから大丈夫だと――」
「だめ!」
リリが俺の額を指先で突いて、俺は再び仰向けに倒れた。
「冷やすものを持ってくるから寝ていなさい。起きてはだめよ」
俺は仕方なくうなずく。
「わかった。おとなしくしている」
「……」
なんだその疑わしそうな目は。前世を思い出すからやめろ。早くいけよ。まだ見てる。少しは師を信じろ。
しばらくじっとりとした目でこちらを見ていたリリだったが、やがてキッチンの方へと歩いていった。
俺は天井を眺めて考える。
いまさらながらに、エレミーがブライズの記憶を持って産まれてきた理由をだ。
――心配するな。どこにいても、探すから。何度でも、俺がおまえを見つけてやる。
まさかまさかだ。ブライズが死の間際、リリに言い放った言葉。
転生の理由など、てっきり剣術への探究心が原因だとばかりに思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。
リリのためだったのか、あるいはその両方か。
いずれにせよ無関係ではあるまい。我ながら呆れるな。どういう執念なら前世の記憶など引き継げるというのか。
リリが戻ってきた。
どうやら先ほどハーブティーを手にこぼした際、冷やすために使用した手ぬぐいを、もう一度冷やしてきてくれたようだ。
俺がおとなしくしていたからか満足げな表情をして、額の上に絞った手ぬぐいをのせてくれた。
そのまま無言でベッドの端に腰を下ろす。
壮絶な告白話をしてしまったせいか、リリは少し気まずそうな顔をしていた。
「……腹が減ったら昼食にいってくれて構わんぞ。ちゃんとおとなしくしている」
「減っていないわ。エレミアは?」
「俺もだ。だが食わなければ育たんからな。一眠りしたあとで山ほど食うつもりだ」
「ふふ。ぜひそうしてちょうだい」
また無言の時間が流れる。
昼食時を過ぎても、窓の外からは楽しげな声が聞こえていた。休校日というのは気楽でいい。
窓から射し込む日射しも心地良い。
「ねえ、エレミア。少し妙なことを言ってもいいかしら」
「ああ」
そう言ったくせに、リリは口をつぐむ。
どうやら口に出すべきか迷っているらしい。
「ブライズは――……」
また口をつぐんだ。
しばらくして、再び開かれる。
「ごめんなさい。やっぱりなし。忘れて」
「約束通り、おまえを見つけにきた。エレミアになって、だろ?」
リリがうつむいた。
否定も肯定もなかった。
エレミアという人間に対して、失礼なことを考えてしまったとでも思っているのだろう。エレミアを通してブライズを見てしまうから、蔑ろにしてしまうようで。
「……ごめんなさい」
「答えはもう出ているだろう。ブライズは死んだ。よしんば俺がやつの生まれ変わりだったとしても、俺はやっぱりエレミアだ」
「そうね」
「まあ、そんなことなどあり得んけどな」
俺がそう言うと、リリは少しだけ笑った。
寂しそうに。けれども、どこか楽しそうにだ。
すっきりとした顔をしている。
「そうよね。本当に妙なことを考えてしまったわ。あなたたち、時々変なところが似ているから」
「変とはなんだっ、俺はいついかなる時もいたってまともだっ」
リリが振り返って苦笑する。
「そういうところだけれど?」
「ぐ……っ」
同時に破顔した。
穏やかな昼下がりだ。何だか日射しが暖かくて眠くなってきた。そんなことを考えた瞬間、睡魔が移ったようにリリが大あくびをする。
「眠そうだな」
「エレミアこそ半眼になってるわよ。わたしも一緒に寝ようかしら。泣いたら少し疲れたみたい」
俺が片手でキルトを持ち上げると、リリがいつものように入ってきた。
暖かさがじんわりと広がっていく。ふたり並んで見上げる天井が、ぼんやりとした闇に包まれていく。
うつらうつらと微睡む頃。
「エレミア」
「……ん、んぁ? 寝かけてた……。なんだ?」
目を開くと、リリが首をこちらに向けていた。
「起こしてごめんなさい。手を握っていてもいいかしら」
すでに眠さの限界まできていた俺はリリに背中を向けた。片手だけ残してな。
「……そのようなことをいちいち聞くな……。……どこでも勝手に好きなところをつかんで寝ろ……」
「だから、そういうところなんだけど?」
そうだったか?
しばらくするとリリがもぞもぞと動いて、俺の背中に張り付くようにくっついてきた。顎が俺の頭頂部にくっついているし、背中には胸の弾力があたっている。
眠気も吹っ飛ぶ大胆さだ。
まったく。こいつは自分が成長していることに気づいていないのか。いつまで子供でいるつもりだ。
「おやすみなさい」
「……ぉ、おう」
ふと気づく。
もしかして昔のリリも、ブライズを相手にこんなふうに異性を感じてしまっていたのだろうか。
「……」
いや、いやいや。そう考えるとだ。
当時のブライズはずいぶんと無神経な男だったが、同時にいまのリリもまた、エレミアに対しては相当な無神経ではないだろうか。
あ~糞、いい匂いだ……。
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