第123話 剣聖は戦姫に問いかける
俺は我が耳を疑い、問い返す。
頭痛を堪えるため、額を押さえながらだ。
「お見合い? それは剣術の間合いで膠着状態に陥っているということではなくか?」
「そんなわけないでしょう。婚約に至るあの顔合わせのことよ」
リリはテーブルに両肘をついて頭を抱えながらそう言った。珍しく浮かべた忌々しそうな表情を、まったく隠そうともせずにだ。
リリとローレンス・ギーヴリーとの密会の直後だ。俺たちはフラワーガーデンのやつから逃れるように女子寮にあるリリの部屋へと戻ってきていた。
俺はハーブティーの入ったポットから、リリのカップと自身のカップへとそれを注ぐ。
「ありがとう」
「ああ」
このハーブティーには気持ちが落ち着く効能があるらしい。
これまた珍しく、リリが俺に煎れるように頼んできたんだ。それは別にいいのだが、会話はティーのように流せる内容ではない。
「あのローレンスとか?」
「そう」
俺はあらためて思い出す。リオナの諜報資料にあったローレンス・ギーヴリーのページの内容を。
王立レアン騎士学校初等部教官。年齢二十二。従軍経験はあるが功績は一切なし。
王都中央で司法に関する国政に従事する名門ギーヴリー伯爵家の長男。とはいえ、公明正大に王国に尽くしてくれている父ライアン・ギーヴリー伯爵とは正反対で七光りの能なし。
さらに性格的には小狡い卑怯者だ。己の矜持を守るためだけに、十歳児を平気で貶める程度には。
リリが食いしばった歯の隙間から声を漏らす。
「何度かギーヴリー教官本人にはお断りしたのだけれど、そのことが後見人になっているギーヴリー伯爵や陛下には通っていないみたいなの」
「あぁ……?」
キルプスが後見人になっているのか。
おそらくキルプス本人は、適齢期を過ぎるまで長年国家に尽くしてくれた戦姫であるリリを見かねて、名門名家との婚姻を勧めているのだろう……が。
ローレンス・ギーヴリーの人となりを、父である人格者のライアン・ギーヴリー伯爵本人と重ねてしまい、見逃してしまっているようだ。
リリが両手で頭を掻き毟っている。
「あ~~~も~~~~!」
さらに悪いことに、リリはブライズとは違って正式な称号である〝剣聖〟をキルプスから賜ってはいない。彼女の〝戦姫〟はあくまでも民によってつけられた渾名に過ぎない。
称号ではない。だがゆえに、身分的には一般的な平民そのもの。
剣聖とは違い、特権で貴族や王族に意見を通すことはできないし、軍部においても騎士団直下の傭兵という扱いになる。
だからこそ、自らギーヴリー伯爵やキルプスに意見をすることができないのだ。向こうから求められない限りは。
俺はため息をついた。
「なんだ、そんなことだったのか……」
「そんなこと!? 他人事だと思って! あなただってギーヴリー教官の内面はよく知っているでしょう!」
剣幕がすごいな。よほど嫌のようだ。
「あ、す、すまない。軽い気持ちで言ったわけではないんだ」
俺がハーブティーで唇を湿らすと、それに倣うようにリリが――いや、一気飲みした。ガン、と砕けんばかりにカップを置く。
こんなリリを見るのは初めてだ。
俺は再びポットからハーブティーを注いだ。リリにな。
「ああ、えっと、その、以前少し言ったことがあるかもしれんが、俺は……一応キルプ――陛下に意見を言える立場にあるんだ」
「……ノイ家は男爵家よね?」
リリが不機嫌そうに目を細める。
睨まれた。つらい。
言わんとすることはわかる。男爵家は下級貴族だ。王に意見どころか、本来であれば公の場以外で王族と直接見えることすらほとんどない。
それこそ、ブライズのような個人的な知り合いでもなければな。
「ああ。だが俺は、なんというか、あ~」
「個人的なお友達?」
「まあ、そんなところだ」
「陛下と? 親子ほども年齢が違うのに?」
疑わしそうな目つきをしている。
「あ~……」
実際に血の繋がった親子だ、とは言えない。前世では親友だったこともだ。
リリが視線を斜め上方へと上げた。
「確か……。エレミー殿下って、エレミアと同じくらいの年齢だったかしら」
「おぅ!?」
カップを持つ手が震えて、ハーブティーがベシャっと手首にかかる。
「あっつぇ~~~~~~えい!」
「大変!」
リリが慌てて濡らした布巾を持ってきて、俺の手を包み込んでくれた。
「大丈夫?」
「お、おお。結構冷めてたから」
ヤバい。やぶ蛇だったか。いや、最悪リリにならば知られても困ることはない……が、リリが俺を殿下と見なしてこれまでとは違う態度に出られるのは正直少し寂しい。
ともにこの部屋で暮らすこともなくなってしまうだろう。おそらくは理事長室あたりを仮住まいにされてしまいそうで。
ふと気づく。いまさらながらにだ。
そうか。俺はリリとこの部屋で暮らしたいと思ってしまっていたのか。かつてのリリがブライズに感じていたように、十歳児の肉体に引き摺られてしまって甘えが出ているのだろうか。
頭を振る。
甘えだと。馬鹿馬鹿しい。相手は己が育てた弟子だぞ。それこそガキの頃からだ。
だが、こいつを見ていると。
「……」
リリは座ったままの俺に合わせるように、床に膝をついて冷たい布巾で俺の手を握ったままだ。俺はほとんど無意識に空いている左手で、かつてのようにその頭を撫でようとして。
「?」
伸ばした手に反応したリリが、ふいに視線を上げて首を傾げた。
触れる直前にだ。
俺は正気に戻り、触れかけていた左手を彼女の前で立てる。
「もう平気だ。自分でできる」
「だめ。あなたたちは、自分の傷にはいつも適当なのだから」
複数形。誰のことかもわかる。ブライズはこんなふうによく叱られていた。幼かった頃のリリにだ。
寂しいな。名乗れないのが寂しい。ブライズであることはもちろん、俺がエレミーであることも。嘘ばかりだ。俺は。
けれども、王家の人間であることが万に一つ外部に漏れた場合、レアン騎士学校そのものが共和国に狙われる恐れがある。それだけは絶対に避けなければならない。
この学校に入学してからまだ間もないが、俺はここが気に入っている。リリとの暮らしも、クラスメイトたちとの関わりもだ。楽しいんだ。
けれども、リリは。
「そう言えばエレミアって、エレミー殿下と年齢も近いし名前も似ているのね」
ひゅっと喉が鳴った。言葉の鋭い刃で裂かれたように。
全身から汗が滲む。
リリが上目遣いで、再び首を傾げた。
「もしかして、殿下とお友達だから、陛下とも仲がよかったの?」
しばらくの硬直の後、安堵の息を吐く。
「ああ、そうなんだ。殿下とは、以前王家主催の夜会にノイ家が呼ばれた際に、名前が似ていたことでな。だから陛下とも本当は顔見知りだったんだ。だが、そういう関係性は隠しておかねば危険だと言われていてな」
「そうだったのね」
嘘を重ねるたびに、きりきりと胃が痛む思いだ。
すまない、弟子よ。
「だから俺なら陛下にリリの言葉を伝えることができる。他に手段がないから、数日かかる手紙でよければだが」
キルプスとヴォイドを行き来している鳥を使えば、もっと早くに伝えられるかもしれないが、その場合はヴォイドにも事情を話さなければならなくなる。
「……このようなことを十歳のあなたに頼るのは申し訳ないのだけれど、状況が状況だから、お願いできる? もちろん手紙はわたしが書くから、エレミア・ノイの名で送ってくれると助かるわ」
「ああ、任せておけ」
とりあえずはこれでローレンスの問題は一件落着だ……が。
俺にはもうひとつ、どうしても確かめておきたいことがあった。だが、問うにしても少々勇気がいる質問だ。強敵と斬り結ぶ方がまだ気楽なくらいにな。
ごくりと、唾液を飲み下す。
リリはなぜ頑なに家族を持とうとしないのか。むろん、今回の破談は相手が相手なせいで、俺自身も望むところだ。ローレンスなどと結ばせてたまるものか。
けれども、ずっとこのままでは、リリの人生が壊れてしまう気がして。
俺は口を開く。
「なあ、リリ」
「ん?」
またリリが俺を上目遣いで見上げた。
ただ単にまだ俺の手を冷やしてくれていたからなのだが、この高さの差は、まるで俺がブライズだった頃のようだ。
懐かしいな。
「……おまえ、もしかしてブライズに恋をしていたのか?」
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