第122話 恋愛ってほんとに面倒ね
糞が! 思い出したぞ、あの貧弱野郎!
初等部教官ローレンス・ギーヴリーだ。
入学試験では自ら肋骨を折って被害者ぶったあげく俺を不合格にさせようと企み、ダンジョンカリキュラム関連ではホムンクルスの出現を知りながらも、俺への私怨で再開させやがった最低の教官だ。
「……」
俺は校庭の植樹やベンチに身を隠しながら、いつものように教官服のスカートを揺らしながら凜と歩くリリの背後をつけていく。
むろん、気取られないギリギリの距離を保ちながらだ。
風が吹いて長い髪を攫われたリリが、教官服のポケットから取り出した紐で髪を縛った。その間も足を止めない。
「く……! そんなに急ぐほど大事な用なのか……!? リリのやつ、ローレンスとの約束など放っておけばよいものを……!」
胸がざわつく。
胸糞悪いとはこのことだ。
思い返せば、ローレンスは入学試験のときからリリに色目を使っていた。
実技試験の際には俺と木剣で相対していてすら、やつのイヤラシい視線はリリにばかり向けられていた。目の前の俺ではなくだ。
結果として肋骨のおよそ半数を砕かれることになりはしたが、そのようなものは自ら折ったも同然の自己責任だと言いたい。
俺はひとり毒づく。
「リリもリリだ。珍しく男に呼び出されたからと言って、何をいそいそと出かけているのか……!」
ふしだらな。俺はおまえをそのような娘に育てた覚えはないぞ。
植え込みに身を隠して、ギチギチと親指を噛む。
許さん。絶対にだ。ローレンスのような卑怯者の無能に、俺の弟子を幸せにしてやれるはずがないのだからな。
ギリィと噛みしめた奥歯が鳴った。
瞬間、リリがふいに振り返る。
「~~っ!?」
俺は慌てて植樹の裏に身を隠した。
く、鋭すぎる。さすがは戦姫だ。俺でなければ身を隠すのすら間に合わなかっただろう。おそらくこれでもリオナほどではないのだろうが。
しばらく振り返ったままこちらを眺めていたリリだったが、一旦首を傾げてから、また背中を向けて歩き出した。
「ふー……」
俺は胸をなで下ろす。
危ないところだった。あまり激情に駆られてはならない。体熱が上がり、呼吸が乱れ、結果として気配を悟られてしまう。
深呼吸だ。落ち着け、俺。
そもそも、何をそれほど苛立つことがある。端から見れば、これではまるで俺が妬いているようではないか。違う。違うだろう。
これは嫉妬ではない。純然たる心配なのだ。喩えるならば娘を見守る父親のようなもの。そうだとも。リリ・イトゥカを育てたのは、この俺なのだから不思議でも何でもない。
でも何かいまは逆に育てられている感じになっているけれども。
「あ……」
見失った。
慌てて走り出す。
レアン騎士学校にはデートスポットがある……と、リオナに誘われたことがある。校庭の一角に造られた、通称フラワーガーデンだ。
その名の通り花壇とベンチがある。それ以外は知らん。興味がない。行ったこともない。
そもそもデートスポットとは言っても、レアン騎士学校は開校されてまだ二月目だ。デートも何も、学生のカップルさえ未だろくにできていないだろう。たぶん。知らんけど。
「まさかこのようなところにはいないだろう……が?」
通り過ぎかけて、視界の隅に入った光景に足を戻す。
「――!」
いた。リリと、そしてゴミ虫――ではなくローレンスだ。
俺は植え込みに身を隠しながら、ふたりの様子を覗き込む。
リリは誘われるままに、フラワーガーデンのベンチに腰を下ろした。当然、隣に座るのはゴミ虫だ。ガーデン内には他に誰もいない。ふたりきりだ。
緩やかな風に、色とりどりの花がその身を揺らしている。
「……」
「……」
何かを話しているが、距離が遠すぎて内容までは聞こえない。気になる。とてつもなく気になる。だがこれ以上近づけば、必ず存在を気取られてしまう。
痛し痒しだ。
ローレンスが穏やかな表情で口を開くたびに、リリは笑いながら首を左右に振っている。
なんだこの込み上げてくる焦りにも似た感情は。いや、焦りそのものか。落ち着け俺。
「糞、リリめ。何を笑っているんだ。そいつは人間の屑だぞ」
そいつが俺に何をしてきたかを知っているくせに。なぜそんな男に笑顔を見せるんだ。
ああ、腹が立つ。ローレンスにもリリにもだ。
いっそここからローレンスに石をぶつけてやろうかとも思ったが、おそらくリリの方が反応して防いでしまうだろう。
何もできることなどない。何という無力か。
いや、まだだ。諦めるにはまだ早い。偶然を装い会ったことにすればいい。
俺は覚悟を決めて立ち上がり、フラワーガーデンに踏み入る。
「――?」
途端にリリの視線がこちらに向けられた。
少し遅れてローレンスがリリの視線を追い、俺を見るや否や、あからさまに顔をしかめた。舌打ちまで聞こえてきそうだ。
なんだ、文句があるのか。もう二、三本イっとくか。
俺は堂々とやつに近づいていく。
「エレミア・ノイ? おまえ、こんなところで何をしている?」
「散歩だ。俺は可愛らしい花を愛でるのが斬り合いの次に好きでな」
「いや、血走った目で何を言っているんだ……」
なんだこの野郎。やはりもう一度へし折っておくか。
そんなことを考えた瞬間、殺気を読んだようにリリがベンチから立ち上がった。
「エレミア。ごめんなさい。もうそんな時間だった?」
「へ? ん? 時間?」
ほんの一瞬、見つめ合い。
リリが小走りでこちらにやってきた。
「すぐに修練場に向かいましょう。部活のみんなを待たせてしまったわね」
「部活――? 今日は修練場も閉鎖――」
「閉鎖中だから清掃ができるのよ。ほら、早くっ」
リリは俺の手を取ると、ローレンスを振り返って軽く会釈をした。
「ごめんなさい、ギーヴリー教官。陛下とギーヴリー伯爵には、わたしの方から近いうちに釈明しておきますので、今日のところはこれで」
陛下? ギーヴリー伯爵?
キルプスやローレンスの父親が何か関係しているのか?
「待ってください、イトゥカ教官! これはあなたにとってもチャンスです! この話を逃せば必ず後悔しますよ! いまならまだ間に合う!」
ローレンスがベンチから立ち上がり、リリの方へと手を伸ばす。だがリリはそこから逃れるように俺の手を引いて、足早に歩き出した。
「申し訳ありません。失礼します」
俺たちはローレンスをその場に残し、フラワーガーデンから出る。しばらく無言で手を繋いだまま歩いていたリリだったが、女子寮の入り口まで戻ってくると、ため息をついて俺の手を放した。
左手を腰に、右手を額にあて、再度のため息とともにうつむく。
「お、おい、リリ?」
「気配がちらつくとは思っていたけれど、わたしを尾行していたのね?」
「う……」
バレていたか。さすがに俺だとまでは知られていなかったようだが。
「あ、その……。違うんだ……おまえのことが心配で……いや、ああ。――すまない!」
リリが手を挙げた。
平手でも貰うのかと身構えた俺だったが、次の瞬間、俺はリリにギュッと抱きしめられていた。
「んえ?」
耳元でため息をつかれてる。
「助かったわ、エレミア」
「ん? え?」
リリが珍しく顔を歪め、疲れたような声で言った。
「……もう嫌。あの人、自信過剰過ぎてまるで話が通じないんだもの……」
「や、と、とにかく、これはまずいのではないか?」
休校日とはいえ、ちらほら学生の姿はある。教官が生徒に抱きつくところを見られては、妙な噂が立ってしまいそうだ。
リリが身体を離す。
「平気よ。一組の子以外は、みんなあなたのことを女の子だと思っているから」
「……おん……な?」
あ。あー。そういうことか。
ヴォイドやオウジンには本気で付き合いを求める女子が山ほどいたが、俺には約一名の変態を除いて、一緒に遊びたい的な要望しかなかった。
俺はそれを自分がまだ十歳だからかと勘違いしていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
大半が俺を女子だと思っているのか。まあ、普段から女子寮を歩いているのだから、普通に考えればそうなのだろうが。しかし、なるほど。エルちゃんなどと腑抜けた呼び方をされるわけだ。
だが俺にとっては都合がいい。恋愛などに時間を割かれずに済む。いや、約一名を変態を除いてだが。あいつめ。
俺とリリが同時に口を開いた。
「恋愛とは何と面倒な」
「恋愛ってほんとに面倒ね」
ん?
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