第121話 何気ない朝の風景(第11章 完)
フアネーレの闇市を訪ねた日、俺が女子寮にあるリリの部屋に戻ったのは、もう明け方近くになってからのことだった。なるべく音を立てないようにドアを開くと、リリはすでに起きて朝食の準備をしていた。
「なんだ、起きていたのか」
「十歳の生徒だけを行かせて眠るわけにはいかないでしょう。その様子だと問題なかったみたいだけれど、食べながら聞かせてくれる?」
「わかった」
パンの皿を運んでテーブルに並べながら、リリが小さなキッチンスペースに戻る。リリはすでに寝間着ではなく、教官服に着替えていた。外から帰ってきたはずの俺は逆に、寝間着にナイトキャップだけどな。
今日は休校日のはずだが、また何か特別な仕事だろうか。
リリが手鍋を持って戻ってきた。蓋の隙間から、温かそうな湯気が漏れている。
「手作りか?」
「ええ。以前、わたしの手作りが食べたいと言っていたでしょう。ちょうど待ってる時間があったから、久しぶりに作ってみたのよ」
言ったか。言ったような気がするな。前世ではよくリリの手料理を食べていたのを思い出して。
レアン騎士学校にきてからの朝食は、いつも前日に買った冷たい購買パンとミルクばかりだったから。
「キッチンは手狭だし、コンロの炎晶石もひとつしかないし、やっぱりここで料理は限界があるわね。素材も手に入りづらいし」
「そうか。すまないな」
リリが大きな胸を張って、得意げに鼻を鳴らした。
「……これでまずいとか言ったら怒るわよ」
「泣かれるよりはマシだ」
「お尻叩くから。覚悟しなさい」
「それは勘弁してくれ」
リリがスープ皿に取り分ける。
クリームシチューだ。ジャガイモと玉ネギ、鶏肉と葉野菜が入っている。いい匂いが湯気にのってふわりと広がった。
これは見ているだけで自然と顔が綻んでしまう。
「うまそうだ」
「エレミアはミルクが好きでしょう。だからこれにしたのよ」
そう言えば、ブライズだった頃は果実酒と肉が好物だったから、ビーフシチューばかりだったな。前世から好みに合わせてくれていたのか。全然気づかなかった。いい嫁になりそうなのに、なぜもらい手がつかないのか。
リリが鍋を置いて、向かいの席につく。
「では、食べましょう」
「おお。いただきます」
木のスプーンでジャガイモをすくって口に運ぶ。
じっくり煮詰めた濃厚なミルクと小麦、そしてバターの風味が口の中に広がった。イモがほくほくだ。
ふと気づくと、リリが肘を立てて俺の様子を見ている。
「……」
「……」
食べづらいな。
俺はもう一口、今度は鶏肉を口に運んだ。柔らかい肉は噛むほどに脂が染み出す。
見てるなあ。ずっと見ている。感想を言うまでそうやって圧力をかけるつもりか。武装していないのになぜか剣圧がすごい。
咳払いをひとつする。
「………………ちゃんとうまいぞ?」
「もう一声」
「すごくうまい。毎朝でもいい」
リリがにんまりと笑った。
「よろしい」
そう言って、自らも口へと運び始める。
「で、ヴォイドの件はどうだったの?」
「ああ、それなのだが――」
俺は途中でヴォイドに見つかり、フアネーレの闇市に連れて行かれ、そこで武器を選ばされたことを伝えた。むろん、キルプスの策謀ありきということも含めてだ。
ちなみにまだ受け取ってはいない。あくまでも武器種の予約をしただけだ。三班だけが先に入手していては、他班からの反感を買うかもしれないからだ。
ただし、別枠ということで俺たちが選んだ武器だけは確保されている。クラスメイトらと被って足りなくなった場合には、後日、特別発注という形になるらしい。
何にせよ、次回のダンジョンカリキュラムまでに間に合えばそれでいい。
「フアネーレって〝諜報将校〟よね。彼女、実在しているの?」
いくら諜報員とはいえ、同時期に活躍していた〝戦姫〟ですら、その存在を知らされていなかったのか。呆れるほどに徹底されているな。
「みたいだな。俺も初耳だったのだが、あれは本物だと思う」
「そうなのね。噂はいくつもあったけれど」
「おそらく本名はミリオラ・スケイル。ヴォイドと同じ孤児院の出身のようだ。年齢はおまえと同じか少し上くらいだ」
フアネーレはあくまでも諜報任務で使用していた名前なのだろう。ブライズやリリ、マルドとは違って、本名を知られるわけにはいかない役割だ。
「だからヴォイドは彼女の実在を知っていて、なおかつ接触を許されたのね」
「初恋の相手らしい」
リリが目を丸くした。
「あら。ヴォイドのそんな話、初めて聞いたわ」
「弄ってやるなよ」
「そこまで子供ではないわ」
リリがため息をつく。
「どうした?」
「陛下はわたしを信頼してくれていないのかしら。教官になってからならともかく、将軍だった頃からフアネーレは動いていたのでしょう。わたしにくらい教えてくれてもいいと思うのだけれど」
確かにな。
リオナの件でもそうだ。キルプスはリリに真実を話さなかった。とはいえあのとき、もしもキルプスが話していたら、リオナはリリの手によって殺されていたかもしれないのだが。
「気にするな。キルプ――陛下の頭は、どうせ常人では理解などできん。あいつは変人や狂人の類だ。ブライズとてやつの友ではあったが、すべてを知っていたわけではない。手足となり、己が何をさせられているかさえ知らなかった……らしい」
もっとも、その謎の命令や行動が、結果的に悪い方に傾いたことは一度もない。結末は必ずよい方へと転がっている。
「花瓶を投げ合って遊ぶお友達のエレミアが言うなら、そうなのかもしれないわね」
俺はシチューを飲みながら、少し笑った。
「俺を変人狂人の同列に並べるな」
「ふふ」
「ははは。ま、陛下のことは信頼して大丈夫だ。俺が保証する」
「十歳の保証にどれだけの意味があるの」
「ぐ……。うまいな、ああうまい。シチューうまい」
笑いながら、俺たちはパンをちぎってシチューにつけ、口に運ぶ。
「そう言えばリリ」
「ん?」
「どうして教官服に着替えているんだ? 今日は休校日だぞ?」
リリがちょっと複雑な表情をして、物憂げなため息をついた。
「人に呼ばれているのよ。待ち合わせがあって」
「教官服ということは学内関係者か?」
「ギーヴリー教官よ。ローレンス・ギーヴリー」
あ~……、誰だっけ……?
う~ん。覚えていないが、なぜか不思議と飯がまずくなる名だ。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




