第118話 痛恨の出歯亀
俺たちは夜の露店街に広げられたシートを避けながら、危なっかしく歩くミリオラ・フアネーレの後をついていく。
オウジンはいつもと変わらないが、リオナの顔色はまるで死刑囚のようだ。よほど〝諜報将校〟が恐ろしいと見える。もっとも、彼女はすべての諜報員・工作員・暗殺者の頂点にいるような人物だ。剣士が戦場で出遭う敵国の〝剣聖〟を恐れるようなものなのだろう。
俺は隣を歩くヴォイドを見上げた。
「ヴォイド」
「あ?」
「結局おまえは何をしに闇市にきていたんだ?」
「アホ。んなもん買い物に決まってんだろ」
シート上に並べられた新旧魔導灯を飛び越えて歩く。
「そもそもおまえ、フアネーレとはどういう関係だ? この国の騎士は彼女が実在していることさえ知らんのだろう?」
一介の、それも騎士ですらない猟兵に過ぎなかったヴォイドが、なぜフアネーレと知り合いなのか。
「エルたん」
振り返ると、青白い顔でリオナが首を左右に振った。
「彼女のことは詮索しない方がいいよぉ……」
「ふふ」
今度は前方から含み笑いのような声が聞こえた。
俺は視線をフアネーレへと戻す。
「お嬢さん、それくらいの詮索なら許してあげる。わたしはブライズ様やマルド様ほど短気ではないから」
失礼な。
「でも諜報員なら、知るときは知られるときでもあることを覚えておいた方がいいわね。知ることですべてを失うことも、暗殺者なら――」
「――ソ、ソデスカ。アタシハキキマセン」
リオナがバチンと自らの耳を塞いだ。
ヴォイドが盛大なため息をつく。
「めんどくせえ。いちいち威すなよ、ミリオラ」
「ふふ。教えてあげているだけよ。かわいらしい後輩に」
俺を見下ろすヴォイドが、軽い調子で口を開いた。
「ミリオラはエルヴァのスラム出身だ。諜報員として生き始めるより先に、スラムでケチな情報屋をやってやがったのさ。観光を牛耳るあの嫌みったらしい貴族どもを相手にな。情報収集能力を買われて騎士団に雇われるまでは、だが」
「あら。汚い貴族たちのお金を、スラムに綺麗に流すためよ。それともヴォイドは、わたしも他の子たちのように別の方法を採った方がよかった?」
ヴォイドが言葉に詰まり、目を閉じて舌打ちをした。
身を売るか、情報を売るか。その選択だ。最終的に彼女が売ったのは、ある意味では俺やリリと同じ武や暴力なのだろうが。
「とにかく俺とこいつの関係は、スケイル孤児院で何年か一緒に生きた。そんだけだ」
「そうそ。ヴォイドにとってわたしは、ただの初恋相手だものね」
――っ!?
「可愛かったなあ、あの頃のヴォイド。クソナマイキだったけれどー」
「~~~~~~~っ」
衝撃が走った。いや、もはや戦慄だ。
息を呑んだヴォイドが天を仰ぎ、両手で目を覆っている。月明かりの下でもわかるほどに、顔が耳まで赤く染まっていた。
初めて見たぞ、こんな様子は。
オウジンも俺も、あんぐりと口を開けていた。ヴォイドを見ながら。そのただならぬ様子にリオナが反応する。
耳を塞いでいた手を離し、いまさら俺たちに尋ねてきた。
「え? 何? いま何かあったの、リョウカちゃん?」
射殺さんばかりの視線で、ヴォイドがオウジンを睨む。
口が裂けてもそいつにだけは言うんじゃねえぞ。そんな心の声が聞こえる。
「え、いや……その……。僕からは……なんとも……。説明は、エレミアに任せるよ……」
「おいっ」
殺気の含まれた視線と、好奇を宿した視線が同時に俺へと向けられた。
「エルたん、教えてよぉ。こいつの弱味なんだよね? ね?」
「てめえ、エレミア。わかってんだろうな」
ヴォイドの殺気ごときを恐れるわけではないが、一匹の男として、これをリオナに教えるのはあまりに酷というもの。
「ヴォイド。食堂で三食だ。それで忘れてやる」
ヴォイドが知っている俺の秘密は国家機密だからおいそれと他者には語れない。だが、俺が知ったヴォイドの秘密は、語ったところで痛くも痒くもない。この差は大きい。
初めて優位に立ってやったぞ。
ヴォイドが片手で顔を押さえたままうなだれる。
「……ぐ、く! てめえ、覚えてやがれ!」
「ゴチ」
しかし、だから年上好きだったのか。それも各国を股にかけた傾国の美女が相手では、リオナのような小娘には反応すらしないわけだ。恐るべしは〝諜報将校〟だ。その瞳が光を失っていなければ、俺自身もどこまで知られていたことやら。
ふと気づけば、彼女の両手には先ほどまでいた子供らがついていた。
危なっかしく歩くフアネーレを、子供たちは正確に導く。
ヴォイドが彼女に尋ねた。
「戦傷者やガキを集めて、孤児院の真似事か?」
「光を失ったいまのわたしには、もうこんなことくらいしかできないからよ」
「……そうかよ」
沈黙する。
すまないことをした。いまになって俺は少し悔いていた。
ついてくるべきではなかったのだ。やはり。俺たちがいては語れないことが、ふたりの間にはあったに違いない。
現にヴォイドに、いつものキレがない。
もしもいまでもまだヴォイドの気持ちがフアネーレに残っているのであれば、闇市商団などという危なっかしい橋など渡っていないで自身とともに生きろと、この瞬間に言えたはずだ。
出歯亀で選択肢を奪ってしまった。すまん。
「こちらへ」
フアネーレの右手を引く男の子がそう言った。
俺と大して歳は変わらないが、やや下くらいだろう。左手を引く少女もだが、戦災孤児だろうか。
俺たちは彼らの導きに従って、露店街の一角にあった建物へと入った。
そこには――
「おお……」
「わあ」
「これは驚いたな」
「クク。助かるぜ、ミリオラ」
月光すら反射する美しく磨き上げられた様々な武具の数々が、山のように積まれていた。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




