第117話 王都で流行りのロマン活劇
学園都市レアンにいかがわしい店などあるわけがない。そう豪語したヴォイドに連れられて俺たちが訪れた場所は、十分にいかがわしい店の建ち並ぶ一角だった。
ただし、俺たちが想像していた酒や女といった方向性とはずいぶんと違うものだ。
店といっても露店とさえ形容することを躊躇われるものばかりだ。粗末なシートに売り物を並べて置いてあるだけ。それ以上に異様なのは売り子たちの姿だった。
年齢は子供から大人まで様々だが、共通している部分はほとんど全員がボロを纏っていて、肉体の一部を欠いていることだ。
「……戦傷者の闇市?」
「あー。ガキの分際で、相変わらず難しいこと知ってやがんな」
俺のぼやきにヴォイドがうなずく。
欠損の多くは腕と足だ。目が少ないのは、片目であってもまだ戦えるからだ。ここまで身をやつす必要はない。
客は疎らだ。活気もない。それに彼らの多くは何も買わずに帰っていく。稀に旧い魔導具や中古の晶石などが売れている程度だ。
ふいに若い女の声がした。
「ヴォイド、来ている?」
その女だけが両目を失っているのか、目隠しをしていた。左右の手それぞれに纏わり付いている子供は、おそらく彼女の杖代わりなのだろう。
ヴォイドがはっきりとした口調で返した。
「ああ。ここだ」
「そっちね」
やはり目は見えていないのか。
見たところリリよりは少々年上か。三十に届くか届かないか。ほつれた髪を一つ結びにして、他の売り子よりは多少マシな姿格好をしている。
どうやらこの一角の看板娘のようだ。あるいはリーダーそのものか、売り子らはみな彼女に道を譲っていた。
彼女は手を引いていた子供らに他の客の相手を命じると、闇を彷徨うようにふらふらとこちらに向けて歩き出した。
オウジンが慌てて駆け寄る。
「待ったっ、危ないっ」
彼女の足下には売り子が広げたシートと、売り物であるいくつかの旧式魔導灯が並べられていて――オウジンが手を差し伸べようとした瞬間、けれども彼女はひょいと跳躍でそれらの商品を飛び越えて着地した。
そのまま歩いてヴォイドと俺、そして、なぜか気配を完全に消しているリオナの前までやってくる。
「……そちらはヴォイドの友達?」
「阿呆。んなわけねーだろ。勝手についてきやがった、た・だ・の、クラスメイトだ」
「うふふ。なら、とっても、た・い・せ・つ・な、級友ということね」
ヴォイドが頸部に手を当てて顔をしかめる。
「なんでそうなる?」
「戦時中に、それと同じことを言っている人がいたからよ。よく似てるわ、あなたたち」
俺だな……。
だが、俺は彼女を知らない。ブライズ時代の遺る記憶をかき集めても、それらしい人物名さえ浮かんでこない。見覚えもなければ声を聞いてピンとくることさえない。
まあ、ブライズは〝剣聖〟だからな。一方的に知られていても不思議ではない。
ヴォイドが笑い飛ばしながら、俺を指さした。
「ヘッ、そうかよ。俺はあんなオヤジに興味はねえや。剣聖を目指すこいつと違ってな」
女が俺に目隠しの視線を向けた。
見えてはいないと思うのだが、先ほどの障害物を飛び越えたあたりからすでに怪しんでいる。物体に気配はないのだから。
だが、彼女の視線は俺の頭上の上だ。さすがに十歳児であることまではわからない。となると気配でつかんだか。
「こんばんは、学生さん」
「ああ」
そう応えた瞬間、視線が下がった。顔が驚愕に満ちている。
「……初等部!? 声変わりもしていない子が、ダメよ、こんなところにきていては! ヴォイド、あなた!」
「心配するな。俺は高等部だ」
ヴォイドとオウジンが同時に笑った。
「え、そうなの?」
「ああ」
嘘ではない。十歳だが。
今度はオウジンの方を振り返り、女が挨拶する。
「そこのあなたも、さっきは手を差し伸べてくれてありがとう。けれど、心配はいらないわ。この商団はわたしがしきっているから、商品につまづくことはないの。露店の場所はすべて記憶しているもの」
「い、いえ、どういたしまして。僕の方こそ、勝手に触れそうになってしまって、その、すみません」
オウジンめ、女だからちょっと緊張しているな。
そういう正直過ぎるところがモテてしまう秘訣なのだと、なぜ気づかない。見ろ。あの女はもう嬉しそうな顔をしているではないか。
「女性扱いされたのなんて、何年ぶりかしら」
「う……。ご、ごめんなさい」
「うふふ。嬉しいということよ。ありがとう、学生さん」
ヴォイドが耳の穴をかっぽじりながら切り出す。
「んで、ミリオラ、さっそく本題に――」
瞬間、女はヴォイドの言葉を遮るように掌を広げて、目隠しされた視線を、あろうことか完全に気配を消していたリオナへと向けた。
「~~っ」
リオナが息を呑む。顔色が真っ青だ。
俺たちでさえ存在を忘れてしまいそうなほどに気配を断っていたというのに、女はまるで最初から知っていたかのように言葉を発した。
それも、とんでもない言葉をだ。
「こんばんは、暗殺者さん。あなた、どこの国からきたの?」
ざわ、と肌が粟立った。
オウジンも固まってしまっている。
こ、れは、また……。
緊張と沈黙が場を支配する。
女は武装していない。殺意も殺気もない。それが余計に恐ろしい。
やがてリオナが声を絞り出すように言った。
「あ、暗殺者じゃ、ない……よ。いまは……だけど」
女が頬に手を当てて、少し首を傾げる。
「じゃあ工作員かしら? それとも諜報員?」
「そ、れも、違うよ……やめた……から」
「ほんとかなぁ~」
今度はヴォイドの方を向いている。
もはや見えているのと遜色のない態度だ。しかもたちの悪いことに、楽しんでいるかのような表情で。
ヴォイドはむしろ呆れ顔だが。
「そういうこった。こいつにゃもう危険はねえ。――こっちのガキが根元から切り離しちまいやがったからな」
ヴォイドが俺の背中を押し出した。
やめろ。なんかこの女は苦手だ。
値踏みするように俺を見下ろしている。目隠しされているのに視線が怖い。
「……それは了承済み?」
「ああ。その場に野郎もいたからな」
「そう。ならいいわ」
了承済み? 何の話だ? まさかキルプスの了承という意味ではないだろうな。
ヴォイドを振り返ると、あからさまに視線を逸らされた。
「勘違いすんなよ、エレミア。俺ぁ喋ってねえ。だが、あきらめろ。この女の前で隠し事は無駄だ。余計なことさえしなけりゃ、こっちの猫と違って悪用されることはねえ」
隠し事など山ほどある。俺自身のことだ。そいつがキルプス関連と繋がっているとなれば、俺がエレミー・オウルディンガムであるということにも……いや、まさか。
しかし最初から白旗を揚げた状態とは、ヴォイドにしては珍しい態度だ。
そんなことを考えた瞬間、リオナが俺の耳元で囁いた。
「エルたん、エルたん、ダメダメ。もうほんとダメ。この人のこと知らない?」
「全然知らん」
ミリオラだったか。やはり聞いたこともない名だ。
「じゃあさ、じゃあさ。〝諜報将校フアネーレの物語〟は知ってる?」
「あたりまえだ。幼少期に母からよく寝物語として聞かされていた。王都民の間でも、何年にもわたって何度も繰り返されてきた観劇によって、かなりの人気作になっている。俺も何度か観に行ったことがあるくらいだ」
若き女諜報員のヒロイック・ロマン活劇だ。
美しく儚い少女のような容姿に、あの〝剣聖〟さえも舌を巻くと銘打たれた剣戟の物語は、王都に住む人々の心を熱狂させたものだ。
主人公の少女は諜報員として他国に入り込み、数ヶ月あるいは数年さえかけて周囲の信頼を築き上げ、敵性国家を丸裸にさせてしまう、のみならず、時には悪の暗殺に、時には高官とのロマンスを、そして必要とあらば自ら剣を手に可憐に戦うシリーズだ。
正直、俺自身も結構嵌まった。
アリナ王妃と一緒に何度かお忍びで観劇にいったくらいだ。もっとも、母ちゃんの目的は皮肉にも〝諜報将校〟ではなく〝剣聖〟の活劇の方だったのだが。ゆえにあの時間は俺にとって天国であり、地獄でもあった。
とはいえ昨今では退役後に作られたらしい新作〝戦姫〟も大人気になりつつある。まだ一度も観たことはなかったのだが、今度リリを観劇に誘ってみようか。どのような顔をするか楽しみだ。
ちなみに〝王壁〟の活劇はない。オルンカイム閣下は筋肉爺だから民衆の人気がないし、あの肉体に嵌まる役者もいない。
「だがそのようなもの、所詮〝諜報将校〟はフィクションだ。戦時中の民衆に希望を持たせるために作られた劇中内人物に過ぎん。あのような完璧な女が実在してたまるか」
肩をちょいちょいと突かれて、俺は視線を上げた。
ヴォイドが指さす先には、ミリオラが立っている。彼女は大きな胸で両腕を組み、むず痒そうな苦笑いを浮かべていた。
「ありゃあよ、実話を元にして作られたもんだ。数多く作られた〝剣聖〟の物語と同じくな。ただこの女の場合、存在自体が国家機密だったせいでフィクションに分類されちまってるってわけよ」
「逆転現象が起きてるんだよ、エルたん。剣聖、王壁、戦姫に並ぶ第四の英雄の存在は、王国内の民よりも、むしろ痛い目を見てきた諸外国の方が信じてるくらい」
え……?
「うふふ、少し照れるわね」
え……?
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