第10話 それ以上は言わないで(第1章 完)
訝しげな表情だ。もしかしたら、俺をブライズだと疑い始めているのかもしれない。
心臓が胸の内側を強く叩く。
けれどもしばらくすると、リリは少し微笑んでつぶやいた。
「ブライズで合っているけれど、どうしてわかったのかしら」
「お、おまえは、あいつの弟子だったのだろう。そこから推測しただけだ。ブライズは、いかにも無骨という感じだしな」
「確かに、無骨で雑で適当だったわね」
そ、そこまで言わんでも……。
「わたしは彼の最後の弟子だった。だから――」
リリが俺の額へと人差し指を押し当てて、トンと軽く押す。
俺は背中からベッドに倒れてしまった。
そのすぐ隣にリリが寝転ぶ。
「わたしは師と同じことをする。逃げられないわよ」
近い距離だ。拳ふたつ分ほどの距離を開けて、目線が合っている。
綺麗になった。あの頃からは考えられないくらいに。
「そのようなわけだから、あなたもあまり気にする必要はないわ。その悩みや不安は、わたしが通ってきた、不思議と安全だった途だから」
人によるんだ、大馬鹿野郎。と言いたいところだが、わかってしまう。今回に限っては、その言葉が正しいということが。
「……リリが言うならそうなんだろうな」
「イトゥカ教官」
「ああ、もうわかってるよっ!! 突発的に言っちまうんだって!」
「ふふ。やはり似ているわ、あなたたち。無骨で雑で適当。違うのは顔つきと年齢くらい」
同一人物だよ。糞ったれ。
リリが目を細める。
「もっとこうしていたかった。何年も、何年も、ずっと」
これもエレミアのことではない。つくづく嫌になる。
「ブライズとか。だが彼は、おまえが剣など捨ててさっさと身でも固めてくれた方が、よほど安心したと思うぞ。ブライズとは親子かそれ以上の年齢差だったのだろう」
ああ、しまった。我ながら十歳の言葉ではないな。
だがリリは疑うことなく。
「形なんてどうだってよかったのよ」
俺は眉の高さを変えた。
「何の形だ? 意味がわからん」
リリが口を開き、だが何かを迷うようにすぐに閉ざした。
一枚のキルトを引き上げて、俺には胸まで掛け、自らは頭から被った。
キルトの中から吐息のような囁き声がする。
「関係性よ。ブライズとわたし。関係が進んで妻になっても、そのままずっと娘のような扱いでも、何だってよかった。だってどうせわたしたちは“型無し”なのだから」
「……っ」
その言葉が、俺の胸を穿った。
リリがそんなふうに考えていたことを、ブライズは知っていたのだろうか。死の寸前、ほんの一瞬でもリリのことを思っただろうか。
俺には死に際の記憶がない。つくづく嫌になる。
リリの息遣いと、夜風が窓を穏やかに揺らす音だけが響いていた。
そうして、しばらく。
「ただもう少し、長く生きていてほしかった。形のない関係でも一緒にいてほしかった。けれどもう、ずっと追いかけてきた背中にわたしの手が届くことはない。あの頃のように走って走って追いかけても、指先で触れることさえ叶わない。……遠い……ずっと遠い……」
リリがキルトを被ってくれてよかった。
それでも俺は彼女に背中を向ける。目頭が急激に熱くなって、わけのわからない涙がこぼれ落ちてしまったせいだ。
ちくしょう。大の大人がみっともない。拭いても拭いてもこぼれ落ちる。
背中からまた囁き声がした。
「……夫も子供もいらない、他の何を捨てても構わない……」
俺にはもう、眠ったふりで寝息を立てることしかできなかった。
わかっている。子供じゃないんだ。
リリの声が揺れていることくらいは気づいている。阿呆の俺にだってわかる。キルトで隠されたこいつがいま、どんな表情で過去を語っているかくらいは。
腹立たしい。ブライズが憎い。だがもう、どうすることもできない。俺はブライズではなく、エレミー・オウルディンガムなのだから。
ブライズは、もう、死んだ。
「……妻でなくても、娘でなくても……」
それでもリリは続けた。俺が必死に寝息を立ててもだ。
きっとそれはもう、俺に聞かせるためではなかったのだろう。
だからこそ、これ以上はだめだ。聞くべきではない。やめてくれ。俺はもうブライズではない。おまえに何もしてやれない。
けれどリリは、その言葉を静かに囁く。
「……わたしはただ……ブライズの家族でいたかった……」
隣で寝息を立てる俺を、リリはすでに眠っていると思ったのだろう。まるで独り言であるかのように、彼女はキルトの中で続けた。
愛憎入り交じる感情のこもった声色で、恨み言を。
「……自分で言ったくせに……ここにいるやつらと俺を家族だと思えって……自分から言ったくせに……。……どうして……」
神よ。もしも本当にあなたが存在するのであれば、どうか俺のことなど、いますぐにでもリリの記憶から消し去ってくれ。
そして、この娘を幸せにしてやってくれよ……。頼むから……。
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