第9話 剣聖の罪と女教師の過去
結局俺はカーペットで眠ることにした。
前世では硬い床どころか岩場で寝ることさえあった。最悪なときは立ったままだ。それに比べればカーペット程度、どうということもない。
……と、そう思ったのだが、今世の王子生活ですっかりなまっていた俺は、なかなか寝付くことができなかった。
けれどもやがて、うつらうつらと意識が混濁し始めた頃。
魔導灯の明かりが消されて、窓から射し込む月明かりのみとなった。どうやらリリも雑用を終えて、そろそろ眠るようだ。
そんなことを夢現で考えていると、俺は上体を抱き起こされて背中と膝の下に腕を入れられ、あっさりと持ち上げられた。
浮遊感に驚き、一気に覚醒する。
「ぬあっ!?」
リリだ。
意外に力がある。いや、意外でもないか。彼女は剣聖級で、俺はいまや見事なまでの子供だ。手足は短く、身長は低く、体重も軽い。
見上げると、近くに彼女の顔があった。前世とは反対で、大人のリリに子供の俺が見下ろされている。
俺は半眼でリリを睨み上げる。
「……おい」
「ごめんなさい。起こしてしまったわね。でも、こんなところで子供を寝させるわけにはいかないわ。風邪を引かせてしまう」
リリはそう言うと、俺を抱いたままベッドの上へと腰を下ろした。持ち上げられては足がつかない俺は、ジタバタする他ない。
「暴れないで。無駄だから。いいから今夜は隣で寝なさい」
「馬鹿なことを言うなっ」
おまえをそんなふしだらな娘に育て上げた覚えはない、と言いかけて、かろうじて押しとどめる。
しばらくジタバタしている俺を眺めていたリリが、微かに苦笑した。
「……ふふ、昔のわたしのよう」
「ああ!? わけのわからんことを言っていないで俺を降ろせ!」
「構わないけれど、逃げてはだめよ」
「おまえ次第だ」
リリが俺をベッドの上に降ろす。
どうせここで逃げたところで根本的解決にはならない。それにエレミアの肉体性能では、すぐに追いつかれる。
俺は両腕を組んで、その場にあぐらを掻く。
リリが目の前に座った。子供でも手を伸ばせば触れられる距離だ。
「昔……」
いつの間にか寝間着用の薄着に着替えている。
髪、伸びたな。背も高くなった。体つきも美しく変わった。
変わらないのは顔つきと捉えどころのない態度だけだ。リリ・イトゥカは昔からずっとこんなだった。概ね、何を考えているかわからない。ぼんやりしているようで。
「わたしはいまのエレミアと同じことを言ったことがある」
「俺と? 同じ?」
リリが視線を逸らした。
「その人がわたしを自分の宿に連れ込んだから」
なんだと!? 聞き捨てならんぞ!
俺は内心の苛立ちを押し隠し、リリを睨む。
「ずいぶんと乱暴なやつだな。だがおまえのことだ。もちろんぶった斬ってやったのだろうな」
馬鹿なやつだ。剣聖級と呼ばれる女に手を出すとは。頭から真っ二つに割られてオークの餌にされていても不思議ではない。
だが、リリはゆっくりと首を左右に振った。
「ふふ、当時はまだ十歳くらいだったから。男の人に抵抗もできないままに服を剥ぎ取られ、頭から水を掛けられて、与えられた薄着にされて、ベッドに放り投げられ――」
「待て待て待て! おまえはガキに何を話すつもりだ!? 俺はまだ十歳だぞ!?」
きょとんとした顔をしている。
おそらくブライズと出逢う前、旅芸人の一座時代の話だろうと思うのだが。
しばらく見つめ合っていると、リリが得心したように「ああ」とつぶやいた。
「そうね。最初に言っておくべきだったわ。変なことはされていない」
「んん?」
「わたしはその人のベッドで眠ってしまったのだけれど、何もされなかった。その人はただ押しつけがましく親切に暖かい場所でわたしを眠らせてくれただけだったわ。有無を言わさずにね」
「あ~……」
わかった。ブライズだ。言われてみれば、そんなことをした記憶がある。
ああ。だんだん思い出してきたぞ。リリは名前すら名乗らん無表情なガキだったし、俺も犬猫程度にしか思っていなかったから、面倒になって強引に剥いて洗い、宿に余分な部屋がなかったから隣で眠らせた。風邪でもひかれたら翌日からの里親捜しもままならない。
そうか。この状況はブライズが招いたのか。恨むぞ、ブライズ。
……俺だよ。
「でも、何もされなかったということはなかったわ」
「ああ……?」
記憶にないぞ。そもそも小娘はもちろんガキに興味はない。
「その人ったら、いびきがうるさくって、結局その日は寝不足にされてしまったから」
「う……」
まあ、当時は毎日のように戦いに明け暮れていたから、疲労が溜まっていたのだろう。いびきくらい許せ。
恥ずかしくて死にそうだ。
「……すまん……」
「ふふ、どうしてエレミアが謝るの?」
「ぬ!?」
「あなたもいびきをかくのかしら?」
そう言えば、初日のリリはずいぶんと抵抗していたか。
冷静になっていま考えれば、当時のリリは旅芸人一座の生き残りだ。彼らの生業は踊りや芸に加えて、踊り子や芸人が夜に客を取るというものもある。
子供だったリリはそのような経験こそなかっただろうが、一座の踊り子が夜な夜な客を取っている姿を知っていても不思議ではない。さぞや不安だったことだろう。
なるほどな。ブライズに欠けていたのはデリカシーだ。
適当にひん剥かれて頭から水を掛けられて洗われ、あげくの果てにベッドに運ばれた少女の不安など考えもしなかった。あンのど阿呆め。
だから俺だって。
「ブライズは戦い以外知らん男だったからな。許してやれ」
「……わたしはブライズとは言っていないわ」
「へあっ!?」
眉を顰めて俺を見ている。
実技試験でローレンスを叩きのめしてしまったときと同じだ。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




