ネコは癒されたい
ネコを舐めんなよのユウのその後です。
「で?その後はどうしてるの?」
マスターが新しいグラスを差し出しながら聞いてくる。
騒動から数ヶ月経ち粗方落ち着いた。
(ほとんど知ってるのにこの人は‥)
「ナニが?」
俺は手元のグラスを手に取るのを躊躇いふぅと息を吐く。
「二人のことととあなたのこと」
ニッコリと微笑んでるけれど目が笑っていない。これは俺の口から報告するまで許してもらえないやつだ。
伴侶だったカイトと弟のマナの情事は社内の上層部を震撼させた。お陰でこの数ヶ月は後始末に追われて仕事が進んでいない。
一旦口を湿らしグラスの氷をカラカラ回しながら
「カイトは諸々の権利剥奪されたのは知ってるだろ?で、持ってた会社の株も親に譲渡って形になってね。今は遠縁の居る島で農業しながらの軟禁。もちろん俺との関係も解消」
「まぁ!!」
と、今初めて聞いたように驚くフリをする。ホントにこの人は食えない。
「マナはカイトの権利が無くなったと知ったらさ剣もほろろ、その態度も含めてもちろん許される訳ないし、もし許したら俺が会社から離れるって言ったしね」
「で、今は何処に居るの?」
「汚部屋掃除してるよ」
「ナニそれ!!」
ブッハツハ!!可笑し過ぎるわと涙を流しながら笑っている。
「マナの根性を治すにはショック療法がいいってクリーン会社の社長が引き受けてくれてさ、全国あちこち引き摺り回されてる」
「で、あなたは?どうなの?」
何か声に出せば未練がましい俺になりそうで直ぐに返事が出来ない。
カイトが居なくなった部屋は、カイトが帰って来なかった日々よりも広くて寂しい・・・。
自分が選択した結果だというのに・・・。
グラスの氷が溶けて薄くなった中身で喉を潤し
「何もやる気が起きない‥‥」
心を占めるのは寂寥。
テーブルに突っ伏すように脱力する。
誰かが寄る気配に顔を上げた。
カランとグラスと氷の音が聞こえる。
「やる気が起きるようにしてあげましょうか?」
後ろから声が掛けられ振り向けば、長めの前髪をサムライのように高めの位置で一つに括った男がスルリと隣のスツールに腰掛けた。
〜彼を初めて見たのは何年前だろう。
偶々入った店のカウンターでマスターと軽快に話していた。誰かを今夜の相手にする様子は無く、只その場の雰囲気を楽しんでいる姿はそこだけ切り取られたように煌めいて見えた。
軽やかな笑い声、落ち着いた声量、あぁ好きだと思う前に恋に堕ちた。
暇がある毎に通ったがなかなか彼に会えない。
時間が違うのか、曜日が違うのか色々変えてみても規則性はなく続けて会えるかと思えば数ヶ月会えないなどザラだった。
会えると言っても一方的に凝視ているだけで話し掛けも出来やしない。傍に寄れない空気が、そこだけ特別な高貴さを醸し出していたから。
こんなに長い片想いは初めてだ。
だけど、今夜なら。
こんなに疲れてる彼ならば俺に絆されてくれないだろうか。
「他の席空いてるよ」
素気無く断られたが最近の彼の様子からフリーだと見当をつけて隣に座る。こんなに近い距離は初めてだ。
彼は暗に迷惑と雰囲気で匂わせるが
「あなたの隣が良いから」
いいよねマスター?と彼ではなくマスターに了解をとる。
緊張でぎこちない動きを悟られただろうか?
「たまにはダレかと話すのもいいんじゃない?」
マスターが彼に意味深な目線を送り丁度店に入ってきた客へ「いらっしゃ〜〜い」とさっさと行ってしまう。
ひとつ空を見て考える。
何を話せば此方を見てくれるだろうか?
その昏い瞳ではなく、前の煌めいた瞳で。
〜男が絡んできた。何時もならマスターが去なしてくれるが、今夜は助けを貰えそうにない。
何か刺激があれば今夜の憂鬱から抜け出せるだろうか。
ついそんな事が脳裏に浮かんだ。
「で、どんな風にやる気を起こしてくれるって?」
意地悪く隣の男に問えば、
「簡単です。恋をすればいい」
——恋はうんざりだ・・・
「マスター、帰るよ。気が削がれた」
後ろ手で手を振り、店を後にする。
「待って、また、声掛けてもいいですか?」
男が掴みたいけど掴めないみたいな指先を、俺の腕の辺りでウロウロさせながら問いかける。
「勝手にすれば?」
喧騒と静寂綯い交ぜの街を歩く。
「ユウ、帰っちゃったのね。なかなかに気紛れでしょ」
マスターが眉を下げて此方に答える。
「あら、上着忘れてるわ、悪いけどまだその辺いるだろうから届けてもらえないかしら?あ、お代はいいわよ、お使いがわりとしてね」
意味深なウインクして追い立てる。
まだ間に合うだろうか。
——ひとり——
空虚感が拭えない。
どれだけカイトが俺を占めて居たのか・・・。
あれだけ俺の事を蔑ろにした二人を制裁すれば、清々しい思いが出来ると思ってたんだ。
・・・なのに・・・現実は・・・
もっと前を向けると思っていた。
もっと切替が出来ると思っていた。
そしてもっと笑えると思っていた。
・・・・・・空いた穴は埋まらない。
恋をすればいい、か…
週末の時間は俺には長すぎる。
サムライヘアの男の顔を思い出し、顔は良かったなと一人ごちる。
・・・帰ろう。
タクシーを掴まえようと顔を上げた時に視界が回った。
【えっ!⠀】
喧騒が頭の奥で銅鑼のように響く。
クラクションの音。
激しいブレーキ音。
キャー!という叫声。
「ユウさん!!」
誰かが俺の腕を捕らえてその胸に引き寄せた。
目の前をトラックが過ぎ去る。
引き寄せられなかったら今頃スプラッタだ。
「ユウさん!!!ケガないですか?!」
誰かの切羽詰まった声がする。
あれは誰だっけ?
ぼんやり思いながら意識を手放した。
目を覚ませば見知らぬ部屋。
掛けられた毛布を捲りソファから身体を起こそうとして、目が回った。
「まだ寝ててください。貧血を起こしたんです」
水のペットボトルを受け取り、ぼんやりと回らぬ頭に言葉が降ってくる。
サムライヘアの男が「トラックと事故にならなくて良かったです」と告げる。
ここは?目線で問えば
「オレの部屋です。ユウさんの家知らないから」
ぐるりと見回せば家具は統一され、柔らかな間接照明がこの部屋を優しい空気感で包み込む。
目の前の男は店で声を掛けてきたと思い出した。
変な事をしそうな様子はないが、何故助けたのだろう?後でも付けられた?
そういえばさっきからオレの名前を呼んでいる。訝しい視線を男に投げ掛ければ
「上着を忘れたでしょ?マスターから渡してくれとお使い頼まれました。その時に名前を聞いて・・・」
と萎れたように俯き、キレイに畳まれたオレの上着に目線をやる。まるで赦しを乞うようなその姿。
その姿が、店で隣に腰掛けた時の不遜な男とのギャップが面白く、くすりと笑みが溢れた。
「クスッ」
そんなオレの様子に男は眼を瞠り、その後泣き笑いの顔を覗かせる。
「何故、泣きそうなんだ?」
男に問い掛ければ
「あなたの笑い顔を久しぶりに見れました」
あなたには、笑い顔が似合いますと今にも溢れそうな涙を瞬きで誤魔化しながら笑顔で答える。
「久しぶりって‥俺たち初対面だろ?」
あなたにとっては初対面かもしれませんが俺は何年も前からあの店で見かけてましたと告げられた。
「一目惚れでした」
〜例えば、グラスを受け取る時の指の所作、気怠そうにグラスを口に運ぶ動作、飲み込んだ時の喉仏の動き、氷を凝視める視線、睫毛に滲んだ涙、軽快に受け答えする声、笑ったら現れる目元のシワ 、そして笑い声、全てが恋しいです〜
すらすらと出てくる言葉はその容姿で言われると満更でもない気にはなるが、それは作り物めいて戯曲の一幕のようで自分が主人公とは思えない。冷静に男を凝視すれば、
「ずっと恋していました」
あの店以外にあなたに会える場所は無くて、と男は頬を掻く。伴侶の方と別れたと知り僕にはチャンスが来たんです。そして
‥ふわりと 笑った…
目が離せなかった。
...また前のような屈託なく笑えるまで僕を練習に使ってみませんか。好きになってとは言いません。
ユウさんが、恋をする気になるまででいいんです。
そうですね…時々ご飯を食べたり、映画を見たり、何もせずに街をぶらついたり、そんな時間を過ごせれば‥
涙の雫がひとつ頬を落ちる。
偽りの無い言葉、偽りの無い瞳
この瞳に凝視められたい。
焦がれる色を纏ったこの男に。
癒されたい。
‥‥今なにを思った?‥
ふとした時に男の言葉が過ぎる。
~ずっと、恋していました~
~一目惚れでした~
耳に繰り返し囁かれているような錯覚を覚える。
~練習に使ってみませんか~
「で、体調は戻ったの?この前はさっさと帰るんだものビックリしたわよ〜」
マスターに心配を掛けた詫びと手土産を渡せば
「色々あったから、仕方ないわ気にしないで」
と言いつつ持参したモノを、じゃあ遠慮なく貰っちゃうわねとアッサリ受け取るところがこの人のいい所だ。
貸し借り無しにしてくれる。
「あの男、よく来るの?サムライヘア」
「そうね、ワンショットで帰ることが多いわね。ダレカが居れば呑んでくれるけど」
あの時介抱してくれた礼をしようにも名前を知らない相手だと気づき、ここに来て礼を言おうか迷っているうちに日が過ぎた。
金を渡すなど湿気た事はしたくない。
代わりに飲み代をとも思ったが長居しないなら埒が明かない。逡巡していると誰かが入って来た。
「ユウさん!」
男は、パッと顔を綻ばせ嬉しさを全開にして俺の隣に腰掛けた。
ドキっとする。
男の匂いを感じる。
顔が熱くなる。
「ユウさん、体調どうですか?会えて良かった。来れるくらい元気になったということが嬉しいです」
眩い笑顔に戸惑う自分を誤魔化すために、マスターに男と自分への飲み物を頼み、
「先日は助かった」
辛うじて礼を言う。
コイツの笑顔が堪らなく居心地を悪くする。只管な好意を向けられるのは眩し過ぎて対処する術がない。ドギマギしている心情を悟られぬよう慎重にグラスを傾ける。
「いい顔するようになったじゃない」
不意にマスターが言うものだから咽せそうになる。
ゴボッ、吐かずにグラスを置いてマスターを睨むがどこ吹く風のように効果無しだ。
「ユウさん、」
「ナニ?」
「俺の事少しは考えてくれました?」
考える処じゃない。今でもドギマギしてしまう。
この感情は懐かしい。
自覚してしまうと呆気ない。ストンと俺も堕ちたようだ。
そういえば、サムライヘアの名前‥知らない。
「オレの名は…」
男が言い切る前に唇の端に自分のそれを押し当てる。
「この前のお礼な、あと今日は俺の奢り好きなの飲ん・・・っ!」
そこまで言って目の前の男が反応しない事に気付いた。
吃驚した表情の男がそのまま固まっている。
視線が合えば、状況が脳に到達したのだろう。震えた声で
「ユ、ウ、さん、キ、、ス‥」
真っ赤な顔と見開いた目。
凛々しい顔に合わないトンチンカンな表情に堪らなくなり腹を抱えて笑う。
「ブハハハハッハッハッハッハハ」
余りに笑い過ぎて腹筋が痛い。
「ユウさん、笑ってる‥」
この男と居ると自然と笑えてると笑いながら考える。
マスターが向こうから慈愛に満ちた顔で親指を、立てる。
そうか、それもありかもな。
一頻り笑って、サムライヘアににこりと笑みながら宣言する。
「お望みの恋の練習、今からしようか」
「!!!」
ガバッと抱き締められたと思った時には唇に触れるだけのキスが降りていた。
チュッ
「おい、練習だろ?行き成りキスはないだろ?」
自分から仕掛けといて何だが、待ての出来ないやつは要らないと言えば
「散々待ちましたから我慢はしません。ユウさん、例え練習でも恋をしているときに余所見はナシですよ」
更にギュッと両腕に力を込め、そして耳に熱の篭った声で俺だけに聞こえるように
「やっと触れられた。これからは俺の横でいつも笑っててください。ユウさん、好きです」
読んで頂きありがとうです。