そういう場所にはよく行くけれど、まだそういう声を聞いたことはない。
絵本に飽きたロフェが発見したのは、セリが早起きして、ボルターに用意したはずの弁当だった。
「しぇり~? これおとーしゃんのおべんと~?」
それを目にしたセリの眼が、冷たく凍てついた光を放つ。本当だったらバレちゃいけない暗殺者モードだ。
「あの野郎……忘れやがったな……。あれっっだけ催促したくせに……」
そんなセリをレキサが、言いづらそうにたしなめる。
「セリ姉って、しゃべり方がお父さんに似てきたね……」
「……なっ!? なに言ってんのレキサ! そんなことあるわけないよ!」
思わず口をついてしまった言葉が、よりにもよってボルターに似ているなどと言われてしまい、セリは激しく反省した。
(似たくない……! 断じてボルターには似たくない……っ!)
しかし、ボルターが忘れていった弁当というのは、ボルターが前日の夜から大人げなく駄々をこねてリクエストしてきたオムライスだった。
そしてケチャップでハートマークも描いてくれと言われたが、こっそりどくろマークを描いてやったセリの自信作だ。
(まさかあいつ……ドクロが嫌で、わざと置いていったとか……?)
セリの疑惑が深まる。
「お父さんに届ける?」
レキサが訊きながら、早くも絵本を片づけ始めているので、届けに行くのは決定なのだろう。
さすがにどくろマークのオムライスを子供たちに食べさせるのは気が引けたので、セリはため息をついて立ち上がった。
「しょうがない……届けに行こっか」
・・・・・
「あれ? セリリ〜ン! どうしたの〜? 珍しいね、ボルターに用?」
エヌセッズの酒場に入ると、レヴァーミがにこにこと声をかけてきた。
レヴァーミのテーブルの上にはブランチなのだろうか、どこかの屋台で買ってきたパンケーキが載っている。
ロフェが案の定、レヴァーミのパンケーキに吸い寄せられるように近づいていく。
「こら、ダメだってロフェ! それレヴァーミのだから!」
セリが止めるが、レヴァーミは一口大のパンケーキをフォークにさして、ロフェを寛大に迎え入れる。
「あ、いいよ~。ロフェちゃん一口食べる~? レキサくんもいかが~?」
そんなで一息ついていると、杖を突きながら、腰の曲がった老齢のご婦人がよろよろと酒場に入ってきた。
「ボルちゃ〜ん、また頼むよ~」
そう言いながら老婆は、酒場の奥の部屋に入って行った。ボルターが仕事でこもるときに使っている個室だ。
「常連のおばあちゃんだね」
不思議な顔をしているセリに、レヴァーミが親切に教えてくれる。
慢性的な腰痛持ちのおばあちゃんで、ボルターがこの町に来てからずっと『手当て』のお得意様なのだという。
「ボルターって『手当て』だけじゃなくて、ちゃんと体の不調とかも治してくれる手技も持っててね。これが結構効くんだってさ」
へえ~とセリは感心する。
お客さんがいるのであれば邪魔もしたくないし、お弁当を置いてそのまま帰ろうかなと思ったそのとき、その「声」は響き渡った。
「あぁんっ! ボルちゃん……っ、あぁあ……もう……! やめておくれよぉ……っ!
そんなに焦らしていじめないでおくれぇ! 早く、ボルちゃんの太いのを早くぅう!」
セリは自分の耳を疑った。
さすがにこんな昼前の酒場で聴こえるようなセリフではない。
きっと幻聴だ。そうに違いない。
しかしそのあと、低く甘い声が続いた。
散々セリをからかう時にボルターが使うキメ声だ。
「ばあちゃん、急かすなよ。
前戯もなしに本番なんかしちまったら、ばあちゃん、すぐに壊れちまうだろ……?」
奥の部屋から聞こえる不穏な会話に、セリは背中に寒気が走り、思わず立ち上がった。
ものすごく、ものすごく嫌な予感がする……!
「レキサ、ロフェ、耳ふさいで! 私がいいって言うまで手を離しちゃダメ!! 早く!!」
セリの悲鳴にも似た指示に従い、レキサとロフェが耳を塞ぐとすぐに――、
「待ってろよ? すぐに俺のゴッドフィンガーをばあちゃんの欲しがるところにイれてやっからよ。
すぐイかせてやるから、覚悟しろよばあちゃん」
「……っあ! ああああ~ん! ボルちゃん! そこ! もっとぉぉおお! あああダメ~! ひぃぃい!」
「ばあちゃんここか? ここがいいのか?」
「あっ! あっ! ボルちゃん! ああああ! そんなにしたら~! おかしくなるぅぅうう!!」
(いったいナニゴトなのっ!?)
セリは声なき悲鳴をあげ、のんきに笑っているレヴァーミを振り返った。
「レヴァーミ!? おばあちゃんがっ!! おばあちゃんが変態エロ大魔王の毒牙にっ!! 早く助けないと大変なことにっ!」
「あはは~、セリリンってば、なに想像してるの~? あ〜、もしかして〜、エッチなこと~?」
いつもと変わらない笑顔でパンケーキを頬張りながらレヴァーミが笑う。
そんな話をしている間も、老婆の激しい喘ぎ声が酒場中に響き渡る。
もちろん、ボルターが老婆を激しく責め立て、煽る声も。
酒場内にいる客の誰もが全く動揺していないことにセリは激しく動揺した。
(え!? どうしてっ!?
なんで誰も気にしてないのっ!? こんなに異常事態なのに!? 絶対に普通じゃないよコレ!)
「アヘぇぇえ!!」
セリが一度も聞いたことのないような謎の悲鳴が響く。
「レヴァーミ!? おばあちゃんが変な声出してるけどっ!? このままじゃ死んじゃうよお!! レヴァーミ! レヴァーミ!!」
セリはレヴァーミの襟をつかんで激しく揺さぶるが、レヴァーミはまったく腰を上げる様子はない。
首がおかしな音をたてながらカックンカックンしている。
「あはは~、大丈夫死なない死なない。イクかもだけど〜。
ゴッドフィンガーで極楽にイッてるだけだから~心配しなくて大丈夫〜。
まあまあセリリン、パンケーキでも食べて落ち着きなよ~。ほらあ~んして~」
涙目になりながら右往左往していたセリは、喘ぎ声に耐え切れずついにキレたのか、顔つきが変わり、レヴァーミを振り返った。
本当はバレちゃいけない暗殺者モードだ。
「……レヴァーミ、その剣貸して。レンタル料は魔王の首でどう? 速攻で狩って返すから。
首は晒すなり、飾るなり好きにしていいから……」
「おー! すご~い、セリリンの顔、どこかの暗殺者集団の女エージェントの顔みたいだね~」
殺気全開のセリを見ても、レヴァーミは表情も変わらず、全く取り合おうとはしない。
「う~ん、でもな〜、たぶん今のセリリンのレベルであの【魔王の間】に踏み込んでも、向こうの【首】を落とす前に、逆にセリリンの【●首】を舐め回されて、そのまま【餌食】になるのがオチだと思うな~」
「……レヴァーミ!?」
重要単語だけ強調した形式で、とんでもない返しをしてくるレヴァーミに、セリの【最強・暗殺者モード】が一瞬にして無効化する。
むしろ弱体化した【恥じらう少女モード】になってしまったセリへ、いつの間にか背後にいたメフェナがさらに追い討ちをかけてきた。
「あー! セリちゃん、もしかしておっぱい弱いんだぁ? 私と一緒じゃーん♪
いいよねぇ、Ti首責め♡
私もボルターに責められたぁい♡ 一緒に乱入しにイこっか♡」
「メ……メフェナさんっ!? なに言ってんですか!?」
驚愕の表情で振り返るセリ。
今度は何をしているのか、パァン! パァン! 景気のいい音が奥の部屋から響いてきた。
「あひぃぃいいぃ、いいぃ……っ、いいよぉぉぉ……っ!!」
おばあちゃんの喘ぎ声に、再びセリはうろたえる。
「ねえ!? 今度は何の音? おばあちゃん、ヒドイことされてるんじゃないのっ!?」
しかしあいかわらず、レヴァーミもメフェナもマイペースである。
「ああ、あれはたぶんスパ……じゃなくて、腰をトントンしてもらってる音じゃないかな~?」
「いいなぁ、私もボルターに激しくぶってほしいなぁ♡ セリちゃん、早く乱入しようよぉ♡」
「メフェナさん!? なに言ってんですか!?」
メフェナに絡みつかれたセリが抵抗しているうちに、奥の部屋では早くもクライマックスを迎えた。
「ボルちゃん! もうダメぇ! いくぅ! いくぅうう!」
「……ばあちゃんっっ!!」
「~~っ、ボルちゃんっっ!!」
「……あ、イッたみたいだよ~」
「そうね、いつもより早かったわね。残念、乱入しそこなっちゃった♡」
どこまでも淡々とレヴァーミとメフェナが応じる横で、セリが「おばあちゃん、ごめん。助けられなかった……」とガックリ膝をつく。
そんなセリを見ながらレヴァーミが笑った。
「も~、そんなリアクションしてるけど、実はセリリンだってボルターに手当てしてもらうと、そんな声出してんじゃないの~?」
「んなわけない!!」
セリは真っ赤な顔で涙目になりながらレヴァーミに言い返した。
しかし、本当にそうだろうかと自問する。
もしかして実は知らないうちにそんな声を出してしまっていたりするのだろうか……。
どうしよう……。
たしかにボルターに手当てされるのは気持ちいい。
いやだがしかし、いくら気持ちがいいからってあんなあられもない声……。
……出して……ないよね? 大丈夫だよね私!?
いやいやいや、そんなことあってなるものか。そんなこと……っ。
……絶対にあってはならないことだ……!
真紅から蒼白へと顔色を変化させ、頭を抱えてしゃがみ込んだセリの横を老婆が横切っていく。
「やっぱりボルちゃんの手当てが一番だわあ。生き返った生き返った! また頼むよ~」
背筋をピンと伸ばし、軽快に酒場を出ていく老婆の姿をセリは呆然と見送った。
「おーい! ばあちゃん! 杖、忘れてっぞ!」
杖を持って奥の部屋から出てきたボルターを見て、セリの顔は今度は瞬時に、これ以上ないくらい赤くなった。
「お? セリじゃねえか。レキサとロフェも連れてどうした? あ、弁当忘れちまってたのか? 悪いな、届けさしちまって。
……あ。そういえばセリ、お前昨日、足がだるいって言ってたよな。
ちょうどいいや、弁当届けてくれた礼に足揉んでやろうか?
ベッドも空いたし奥の部屋来いよ」
セリの頭から沸騰したように蒸気が吹き出した。
「ふっ、ふふふふざけないで! そんなこと言って私に変な声出させようとしてるんでしょっ!?
そ……っ、そそそ、その手には乗らないんだからね!!
私、絶対……あ、あんな声出さないんだから!!
あんなエッチな声、絶対出さないんだからぁぁぁぁぁぁっ!!!」
半泣きになったセリは、ダッシュで酒場から逃げ出した。
「なんだよ、おい粘液、お前またセリになんかしたのか?」
ボルターに睨まれるが、レヴァーミはにこにこと笑いながらパンケーキの最後の一口を口に入れた。
「ぜ~んぜん! 僕はここでパンケーキ食べて、セリリンに解説してただけ~。あと僕の名前、粘液じゃないから~」
「……? お前ら、ずっと耳塞いで何やってんだ?」
そこには律儀にセリの言いつけを守って、耳をふさぎ続けている兄妹がいた。
この兄妹だけがこの場で唯一、穢れのない眼の光を宿していたのであった。
おしまい。