ITN.9 推しを出したくなってみた
馬車に揺られながら、新しい仕事場のことを考えていた。
森と湖に囲まれた小さな町、グレイスメイア――。
まったく聞いたことのない名前の町だった。きっと相当な田舎町なのだろう。
しかしその土地で自分の新しい上司となる人物は、ギルドで知らないものはいないほどの有名人だった。
ディマーズの女帝と呼ばれた最恐の女を口説き落とし、あまつさえ捨てた男――。
国王直属の治療士、騎士団の団長、様々な勧誘をすべて断り、今は二人の子供と静かに暮らしているという男。
どうせ伝説ばかりが独り歩きをして、実際見てみたらしょぼくれたオヤジだという可能性もある。期待はしていない。ただ、名声があるだけ以前の上司よりもマシだろう。凡人には自分の能力が理解できず使いこなせないのだ。それとも、有能すぎる自分に嫉妬するあまり、正当な評価を下せないだけか。
次の上司はどうだろう。ダメだったとしても、その男の下で働いたという実績は手に入る――。
せいぜい私の踏み台になってもらうわ……。
イブは深く被ったフードの下で薄く笑った。
・・・・・・
イブが町を歩いていると、巨大な塔の近くまで来た。
この町のシンボルタワーと思われる建造物も、つい最近ボルターが建てたものらしい。ほとんどの私財をつぎ込み、町の発展に尽くしたいという奉仕の気持ちで取り組んだ慈善事業だそうだ。
偽善者、ってところかしら……。
イブはまだ見ぬボルターという男の人物像を推察した。
「えーん、痛いよお! ママ!! ママのとこいくう!!」
「大変! ポンタくん! 怪我しちゃったね! お母さんところ、行く?」
塔の中から小さな子供を背負った少女が飛び出てきた。
「ごめん!! ちょっとすぐ戻るから!! 絶対! ぜ~~~~ったい2階より上には行っちゃだめだからね!! 死ぬからね!! 嘘じゃないんだから!!」
まだ塔の中に子供が残っているのだろう。この少女は、下にたくさん兄弟がいる長女といったところか。
「私で良ければ『手当て』するけど?」
突然声をかけられ驚いた少女は、イブの腰に下がっている手斧を見て合点がいったようだ。
「あ、エヌセッズの人ですか? 良かった……。この子、足をひねっちゃったみたいなんです」
イブは少女の背中で激しく泣いている子供の足に手をかざし、すぐに『手当て』を終える。
「もう治ったから」
「……ポンタくん? もう痛くないみたいだよ?」
まだ泣いている子供は、少女の声かけで恐る恐る足を動かした。
「……ほんとだ。いたく、ない?」
ほんと、子供って大げさ。たいした痛みも、怪我もないくせに大声で泣きわめく。
イブはお礼を言われる前に踵を返し、さっさとその場から離れた。もともと子供は好きではない。
後ろから少女が声をかけようと、自分を追ってくる気配に気づいたが、イブは無視をしてその場を早足で去った。
・・・・
エヌセッズの看板を下げた酒場の奥の部屋で、イブはボルターと面会した。
――まあ、想像してたより悪くない男ね。
自分を値踏みするように見る男の視線には慣れている。だからこっちも値踏みしてやって何が悪い。
イブはフード越しにボルターを採点する。偉そうな態度を差し引いても、合格点をあげてもいいくらいのレベルだろう。
「その仕様は通常バージョンなのか? 顔に自信がなくて出せねえとかいうパターンか?」
ボルターはイブの顔を隠すように被ったフードに言及する。
「いえ、無用のトラブルを防止するために着用してます。依頼人の前でのみ、信頼関係を作るために顔を見せるように決めています」
仲間から顔で仕事をとったと、面倒なことを言われても面白くない。そして、自分の美貌は日常的にさらしていいほど安いものではないと思っている。顔を見せる相手は自分と契約を結ぶにふさわしい相手と決めている。
「トラブル? もったいぶらずに見せてみろよ」
ほら。食いついた。さっそく私の美貌の虜になってもらおうかしら。
イブはフードを外し、ボルターをまっすぐに見た。
さあ、私の魅惑を食らいなさい。あなたはもう私の言いなりよ。
「ふーん。予想してたより案外普通だな。他になんかネタねえの?」
――私の魅惑が効かないですって!?
予想外の反応にイブは驚愕した。今まで男相手に魅惑が効かなかったことなど一度もなかったのに。
「ん? どうした? まさか顔がちょっと綺麗だからって、それだけで仕事が取れるとか勘違いしてたクチか?」
嘲笑され、悔しさで震えそうになるのをイブは必死でこらえた。
初日で使うことになるなんて想定外だったけれど、ここでナメられるわけにはいかない。
「いえ、緊張で……。実力が十分に出せなかっただけです」
ほんの少しはにかみを混ぜて、微笑を浮かべる。普段笑わない美女があなただけに微笑む、その優越感に酔いしれるがいいわ。
「……まさかとは思うけど、お前のネタってそれだけか? おいおいアヤナミ・ブームはもうとっくに終わってんだぜ? 今は笑顔出現率0.001%の女よりもな、完全射程距離にいるローリスク・ローコストの女の方がモテるんだぜ? 言うだろ? クラスで1番の女子じゃなくて、2番とか3番の安パイの方が狙いやすくて推したくなるってよ」
私の微笑みを目にしても、まったく顔色を変えないですって!?
この男、絶対おかしい……っ!!
「……資料に書いてある通りのキャラみてえだな。総合評価★☆☆☆☆。
キャラが薄い。愛想がない。売れたいオーラ全開のわりにサービスが悪い。もういい、次は頼まない。お高くとまっててムカつく。ただ見た目だけ。
……な? 高嶺の花ってのは一般の男には受けが悪いんだよ。キャラ変しようぜ?
よし! OJTでいくか! お前を売れキャラにしてくれる先輩に心当たりがあるぜ!」
ボルターは勝手に決めるとイブの返事を待たずに外へと連れだした。
・・・・
先ほどの塔へと到着する。塔の中をうかがうと、やはり先ほどの少女が子供たちと鬼ごっこをして遊んでいた。
「私に子守をしろと?」
「いや、アイツにお前の指導をさせようと思っている。セリって言うんだ」
あの子が私の指導を? そもそもエヌセッズのメンバーだったの? 『手当て』もろくにできないような半人前のくせに?
「系統は似てなくもねえだろ。クール系、キレイ系だ。ちょっと闇がある系のとこも近いか?
さ、アイツのツンデレを伝授されて来い。そしたらお前は今より客が取れる。いけ」
「え? いきなりそんな……どうしろと」
「ちっ、しょうがねえな。ちゃんと見てろよ」
ボルターは塔の中へと入る。
「おい、セリ。聞いてほしいことがある」
「何ボルター、今忙しいんだけど」
セリと呼ばれた少女は、子供たちと遊んでいたときの優し気な表情を一変させ、心底迷惑そうにボルターを一瞥した。
ツンデレが売りということらしいが、しょせんテクニックだ。1回見ればすぐに体得できるだろう。
イブはこのあとセリがどう反応するのかを、見逃すまいと集中した。
ボルターはすうっと大きく息を吸いこんだ。
「お前の煮込み料理作ってる時の真剣な顔、すっげえかわいいぞー!!」
「……っ!?」
セリは突如叫んだボルターの声に、一瞬びくっと体をすくませた。その後、みるみる顔が真っ赤に染まっていった。
「ときどき鍋をのぞき込むときに唇とがらしてる時の顔とか、めっちゃかわいいしー!! マジチューしたくなるからー!!」
「ちょ……っ!! ボルター!? なにっ!? どうしたのっ!?」
周りの子供たちも一緒になってヒューヒューとかかーわーいーいーと騒ぎ始める。
「ちゅーだって! マジチューだって!!」
「こら! やめなさい! そんな言葉覚えちゃダメだって!! ボルター!! もう黙って!!」
「そんなお前がじっくり煮込んだハンバーグが食べたい!! 今夜は~煮込みハンバーグが~! 食べたい~!!」
劇団のような発声で、ボルターが大音量で歌い出す。
「わかった!! わかったってば!! もう!! 夕ご飯のリクエストくらい普通に言ってよね!! そんな大げさに騒がなくったっていつも食べたいっていうやつ作ってあげてるでしょ!! もう!! バカ!! 次にこんな大騒ぎしたら許さないんだから!!」
ボルターは何事もなかったかのようにスッと塔の外へと出た。
「……どうだ? 分かったか」
先ほどの茶番など、まるでなかったかのような真顔でボルターがイブに確認する。
「え? あなたが大声で今夜の献立をリクエストしただけでは? そしてあれはデレではなく普通にあなたの大声が恥ずかしかっただけでは?」
「ちっ、最初にフラグたてといただろ。アイツの『もう!!』からの口をとがらして膨れるとこがいいんじゃねえか! 精いっぱい大人っぽく強がってるやつが時々油断して出しちまう子供っぽい癖に萌えるだろ!! もう♡ しょうがないんだから♡ って文句言いながらもちゃんと俺の好物を用意してくれるとこなんか、クるだろ!」
「……はあ。それを私にやれと」
「お前が唇とがらせても、なんかあざとい気がするな。ま、セリにはお前の世話するように伝えとくからよ。盗めるだけアイツの技、盗んでみろよ。素質はありそうだし、期待してんぜイブ」
「はあ」
返事はしたが、イブは乗り気ではなかった。あんな自分より年下の少女に世話を焼かれるなんてご免だった。
――しかし。
「ボルターから聞いたよ! 前の仕事場の人やお客さんから愛想がないって言われたって!」
翌日、イブの泊っている宿屋に、セリの方から接触してきた。まだイブは朝食すら食べていないような時間だった。ボルターに何を吹き込まれたのか知らないが、異様に張りきっている様子だ。
「え? あ、まあ。セリ……先輩、その手に持っているのは何ですか?」
「先輩なんてやめて! 私もね、ここに来る前のところで愛想がないって言われ続けてたからイブさんの気持ち分かるの!」
しゅぱん! しゅぱんっ!
「はあ……」
「でもね! 大丈夫! 愛想って要は表情筋がどれだけ可動するかっていうことなんだよね! たくさん動かせるようになれば、にっこり笑ったりすることも簡単にできるようになるから!」
しゅぱんっっ! しゅぱんっっっ!
「……セリ先輩? なんでさっきから縄をしならせているんですか?」
「イブさんに、むかし私が兄さまに特訓された『へい、お愛想! お客様は神様ですトレーニング』をしてあげようと思って!」
「……え?」
しゅぱぱぱぱっ! きゅっきゅっ。
「え!? セリ先輩!? え!? この縛り方はいったい!?」
「先輩はやめてって言ってるでしょ? イブさんの方が姉さまのくせに……」
妙に陶酔したような微笑みを浮かべ、セリが拘束されて動けないイブの上にのしかかる。
「セリさん!? 顔が! 顔がなんか!」
イブは未だかつて感じたことのない恐怖に、声が震えた。
「大丈夫。痛くしないから。大丈夫、私に任せて……」
「怖いです。怖いですって……!」
「じゃあ怖くないように目を隠してあげるね? あと、もし大きい声を出して人が来ちゃうと恥ずかしいから、口もふさいでおこっか?」
「……っ!? んぐっ!! んんーっ!! んんん~っ!!!」
「大丈夫……、こわくな~い。こわくな~い……」
「んんん――――――っっ!!!!!!!」
・・・・・・・・・・・・・
「ボルターさん、最近入ったあのイブって子、いいね!」
手当ての予約をしにきた客が上機嫌でイブを指名した。
「あ、そうですか。それは良かったです」
「ぱっと見、いかにも美人って感じの冷たい、隙のない感じなんだけどさ、セリちゃんの話を出すとテキメンに動揺したり、妙に艶っぽくなったり、あのキャラ変は新しいね! かみさんとペアで手当てお願いするから、次はセリちゃんとセットでお願いしたいなあ」
「あー、すいません。セリの方は子守の予約でいっぱいで、『手当て』組には回せないんですよね。
たしか……奥さんは膝でしたっけ? ペアでご希望ならロキあたりに行かせましょうか? ご希望の予約日ならまだこの町にいますよ」
「あ。ホント? それなら次はイブちゃんとロキくんでお願いしようかな。実はうちの孫がロキくんのことカッコいいって言ってるんだよね、ははは」
「お孫さんがお困りの時は是非ロキのご指名お願いします」
予約の追加を帳簿に書き込み、ボルターは今月のイブの指名数をチェックした。
まったく申し分ない数字だ。もともと実力については心配していなかった。一度、固定客さえつかめばあとは問題ないと思っていた。
正直、性格の方の矯正は長期戦だと覚悟していたのだが、たった一日でイブはキャラ変した。
セリ専用、ドМキャラに――。
「くそ、新入りのくせに俺より先に女王様の手ほどきを受けやがって。どんなことされたか絶対教えてくれねえし。
くそ! うらやましいやつめ!! 俺だって、俺だって……っ!」
ボルターは誰もいない個室で、一人悔し涙を流すのであった。




