最北の土地にて(2016/9)
相澤と本田がただ旅行しているだけの話。
山もなければ落ちもない。
「という訳でやってきました! 北海道旭川――‼」
「やかましい」
旭川駅前の広場で叫ぶ相澤の頭を、本田は容赦なく叩いた。
大学生となった本田と相澤は、夏季休暇を利用した旅行に来ていた。目的地は北海道旭川市。前日に札幌で一泊した後、約一時間半電車に揺られ、二人はつい先程旭川に着いたところだった。
「公衆の面前で叫ぶなよ、相澤」
本田の呆れ顔を横目に、相澤は本田に叩かれた部分をさする。
「だからって、女子の頭を容赦なく叩くのはどうなのよ。いや、流石にはしゃぎすぎたし、悪かったとは思うけど」
「なら反省してくれ。周りの目が痛い。
――しっかし、まさかお前と旅行することになるとはな」
それぞれ別の大学へと進学した本田と相澤だったが、大学間の距離が近いこともあり、二人の交友は高校時代からいまだに続いていた。しかし、二人の関係はあくまで浅いものであり、二人して旅行に行くなどということはまずありえないことだった。
「ごめんね、急に誘っちゃって。一緒に行く予定だった子が風邪引いちゃってさ。他に誘えそうな人が、本田クンしかいなかったんだよね」
「暇してたから別に構わなかったけど……。夏川は誘わなかったのか? 女子同士だし、あいつの方がいいだろ」
「夏川ちゃんはね、親がけっこう厳しいんだよ。いきなり三泊四日の北海道旅行に誘っても、親の許可がまず下りないと思う」
「夏川も色々大変だな。しかしだからといって、男の僕を誘わなくてもよかったんじゃないか? お前、自分の性別ちゃんと自覚してる?」
「してるわ、失礼な。というか何? 私と本田クンの間に限って、間違いが起こるとでも思ってんの? ハッ、君は私に恋愛感情を抱いてもいなければ、邪な考えを持ってもいないでしょ。そのへんの心配なんて、するだけ無駄無駄」
「うわなんか腹立つ。言ってること間違ってないけどなんか腹立つ」
「ま、無駄話はこれくらいにしておいて。――どうですか本田クン、初旭川の感想は」
相澤の強引な話題の転換に、本田は呆れながらも律儀に言葉を返す。
「多分、お前と同じこと思ってるよ」
「あ、やっぱり?」
そうして二人で顔を見合わせた後、駅へと向かい、
「駅でけえ‼」
声をそろえて叫んだ。
「駅めっちゃ広いんだけど! しかもめっちゃ綺麗なんだけど! 何だこの木を活かした温かみのある建物は‼」
「ごめん、僕ぶっちゃけ旭川なめてた……。廃れてるとまで思ってなかったけど、ここまで発展してるとも思ってなかった……」
「そして何だこの駅前の広場! 超広い! その割に全然人いねえ! やばいな旭川‼」
ひとしきり騒いだ後、二人は息を整える。
「なんか……同じ日本なのに、感じざるをえない地域の差っていえば分かるか、相澤」
「あー分かる分かる。しかも持ち前の北海道知識から推測するに、これからもっと感じるんじゃないかな、カルチャーショックってやつをさ」
これからの旅行の先行きを想像し、二人は同時に息を吐く。
とりあえず、と相澤は前置きし、
「ホテルのチェックインまでまだ時間あるし、色々見てまわってもいい? キャリーケースは駅のロッカーに入れてあるし」
「いいぞ。どこか行きたいとこでもあるのか?」
相澤は、鞄から観光情報誌を取り出し、付箋が貼ってあるページを本田に見せる。
「この雪の美術館ってのに行きたいのよね。ただ、行き方がよく分からなくて。いや、バスで行けばいいっていうのは分かるんだけど……」
本田は、雪の美術館までの交通手段を情報誌で確認しようとするが、そこには「旭川市街発着の無料送迎バスあり(要予約)」としか書かれていなかった。
「成程。役に立たない情報誌だな」
「いや、ていうかごめん。私がこのバス予約しとけばよかった……」
「別にいいよ。他にも交通手段はあるだろうし。当てはあるのか?」
「一応。ここのサイトでアクセス調べたら、旭川一条通七丁目ってバス停から乗るみたいよ?」
「そうか。――ま、問題は」
「それがどこにあるか、だよね……」
二人が目を向けた先、駅前の広場の一角には、バスターミナルがあった。だが、その中に「旭川市一条通七丁目」という名前のバス停は見当たらない。
「ここじゃない……よね」
「……大人しく地元の人に聞くか」
本田の提案に、相澤は頷くしかなかった。
***
二人を乗せたバスは、駅前のにぎやかな通りを抜け、住宅街の中を進んでいく。しばらくして、二人は上り坂の途中のバス停で降り、そのまま坂を上っていくと、旭川市内を一望できる高台に、北海道伝統美術工芸村と呼ばれる土地があった。北海道伝統美術工芸村とは、雪の美術館の他に、優佳良織工芸館と国際染織美術館の計三館を有する観光施設である。
「なかでも雪の美術館は、某ディズニー映画の雪の城に似てるってことで、最近有名らしいよ」
「ふーん。興味ないな」
「だよね。雪が滅多に降らない県民からすれば、雪の美術館って名前だけで興味そそられるもんだよ」
入館料金を払い、美術館の中へと二人は足を踏み入れる。入り口を抜けると、六角形状の螺旋階段が地下へと続いていた。
「外からだと小さく見えたけど、下に続いてるのか。随分変わった造りの建物だな」
「結構下まで行くねー。――びびんないでよ?」
「誰がびびるか」
そんなことを話しながら階段を降りきると、
「さっむ‼」
予期せぬ冷気が二人を襲った。階段の先には、人工的に作られた、幾重にも重なる氷の壁が続いていた。ガラス越しであっても、氷壁はその冷たさを相澤たちに伝え、薄着の二人はその寒さに身を震わせた。
「これは――圧巻だな」
寒さに耐えながら 本田が思わず言葉を漏らす。
雪が滅多に降らない土地に住む二人にとって、目の前に広がる光景は初めて目にするものであり、心を揺さぶられるものだった。それが人工物であるにしろ、否、むしろ人工物であるからこそ、二人は大きな感動を覚えていた。
寒さに耐えられる範囲で氷壁を堪能し、氷の道から出ると、二人は進路に従って進んでいく。途中、雪の結晶があしらわれたステンドグラスの部屋や資料スペース通り、開いたスペースに出ると、そこは、円形のホールとなっていた。半分は木製の椅子で埋められ、もう半分はステージとなっており、ピアノやハープといった楽器が置かれていた。ホールの出入り口を通る際、相澤は、モニターに結婚式の様子を撮った映像が流れていることに気付く。
「お、ここで結婚式挙げられるんだ」
結婚、という単語で相澤が思い浮かべるのは、高校の時から付き合いのある二人組。というかカップル。悪くいえばリア充。やはりいつかは結婚するのだろうかと、相澤と同じ大学に通う二人の今後を勝手に考える。
「結婚といえば、うちのところのリア充は、いつ結婚するのかねえ」
「四年後か五年後くらいには結婚してそうだけどな。――賭けるか」
「よし乗った」
***
「いやー、結構良かったね。雪の美術館」
「僕たちには一生無縁な世界だよな。冬に一回雪が降るか降らないかの土地だし」
「かといって、雪が降るのが良いって訳でもないしね。この時期でここまで寒いんなら、地元に住んでてよかったーって思う」
「そうだな。――うん、まあそれはそれとして、やっぱりこっちでも二人一部屋なんだな……」
雪の美術館から旭川駅へと戻った二人は、チェックインを済ませたホテルの部屋でくつろいでいた。前日の札幌と同様、同室であることに本田は溜息を吐くも、旭川に到着して早々の会話を思い出し、仕方がないと思いなおす。
そして、そんな本田に構いもせず、相澤は先程キヨスクで買ったジュンドッグを食していた。
「待ってこれめっちゃうまい。え、すっごく美味しいんだけど。ちょっと、本田クンも早く自分の食べなよ」
相澤にせかされ、本田もジュンドッグの包みを開ける。途端に溢れだす、温められたばかりの白米の匂いに、本田は空腹のあまりそれにかぶりついた。すると、白米の中に包まれていたチキンカツの味が口の中いっぱいに広がり、うまさのコンボにいっそう食欲が刺激される。二人はあっという間にジュンドッグを食べ終わると、満足感の中、座敷に横になった。
「米は正義……」
「……これが地元に売ってないのが恨めしい」
相澤は悔し気にそう言うと、近くにあった座布団を抱え込み、スマートフォンをいじり始めた。本田はそれを横目でみながら、身体を起こすと、相澤に疑問をぶつける。
「そういや相澤、今まで聞きそびれてたけど、お前なんで北海道に行こうと思ったんだ?」
「ん? んー、私に理由聞かれてもなー。この旅行を計画したの、私じゃなくて、来れなかった友人の方だし」
「あ、そうなのか? てっきりお前が言い出したのかと。ふぅん、そうか。友人なのか。じゃあ理由なんて分かんないよな」
「いや、理由は知ってるよ? ただ、ちょっとそれが不純というか、人によっては不快感覚えるというか……」
「言っておくけど、人を誘った以上、旅行の目的をきちんと説明するのは道理だと思うぞ。ていうか、僕に遠慮するなよ気持ち悪い」
「あー……、じゃあ言うけど、骨」
「……は? 骨?」
「うん、骨」
「なんで骨?」
「友人が法医学に興味ある子でさ。動物の骨格標本とか、趣味で作ってるんだって。で、旭山動物園に動物の骨がたくさん展示されてるから、それが見たいがために……ってことらしいよ。……ね? 本田クン以外誘いづらいでしょ?」
「………………うん、それは、なあ……」
「という訳で、明日は問答無用で旭山動物園行きだからね。骨の写真撮るように頼まれてるし」
そうして夜は更けていき、新しい一日が始まる。相澤と本田の二人の旅行がどう続いたのかは、また別のお話。