8.幻聴と蜃気楼
【同盟軍】の歩兵らは、前列から1列ずつ突撃していく戦法をとっているようだ――それがなぜわかったかといえば、俺が必死でファルジオン王国騎馬軍の攻撃を捌き続ける間に、横に並んでいたはずの兵士がいつの間にか別の人になっていて、目の前でその兵士が馬に踏み砕かれたかと思えば後ろから次の兵士が突っ込んでいったからである。
「――怯めば死ぬ」
凄まじい勢いで突撃槍が突き込まれる。俺は鉄の剣の腹でそれを受け流す。馬上の兵士の喉首、冑の下めがけて突きを放ち、引き抜いて構え直す。息が上がっているが、次のファルジオン兵はすぐに来る。休憩している暇はない……だから、さっき聞こえた幻聴のような声には、全く気が付かなかった。
「――怯まなくても、死ぬことはある」
ああ、何回、「横の兵士」が交代したのか。俺の後ろにはいくつもの屍が横たわり、それよりかなり数が少ない、持ち主のいない突撃槍が輝いている。
「――ただし、それは運が悪かっただけ」
「うあああああ!」
目の前の馬によじ登り、すでに刃こぼれが激しく使い物にならない鉄の剣――悪いな、さすがに寿命を縮めすぎたか――を騎馬兵の冑のスリットの隙間に突き立て、その腰から剣を抜き、奪い取った。
(なに、横で【同盟軍】の兵士がやって見せたことじゃないか)
と良心を黙らせ、新しい剣で再び戦いを始める。
「――戦いとはそういうもの」
何人倒したか、最初から数えようとしていなくて、本当によかったと思う。鋼の突撃槍が何度もかすめたことで、身につけた兵士の鎧はひしゃげ、あるところは破れていた。その下の、孤児院を出た時から着ている麻のシャツには、血が滲んでいる。体力ももう限界のようだ。ただ頭だけが冷静になっている。半ば、放心状態ではあるけれども。
「――けれど、そうではないことだって、稀には起きる」
「……何だ、さっきから?どこかでひそひそしゃべるなら、早く出てくればいい」
すべての音が消えた中、俺は幻聴に返事をした。答えなど期待していない……。
しかし、答えは思ったよりすぐに返ってきた。
「こっちよ」
(後ろ?)
振り返ると、どこかで見たような銀髪の少女がいる。
「……誰だ? 確かに、どこかでは見たことがあるはずだ。あるはずなのに、思い出せない……これは一体、何だ?」
少女はは首を横に振った。
「答えてくれ。お前は誰で――ここは、どこだ?」
※ ※ ※
「はっ!?」
「目が覚めたかな、リカルド殿」
見ると、60歳は超えていそうな、白髪を生やし背の低い丸眼鏡のお爺さんがいた。ともあれベッドに腰掛けた俺に言う。
「私がヘリプス軍医長のポロトルだ。リカルド殿は全身に裂傷、刺傷があったが、私が手当てをしておいたので、しばらく安静にしていれば治るだろう」
ポロトルと名乗ったお爺さんは、長い白衣のポケットから何やら袋を引っ張り出して俺に押し付けてくる。
「これが報酬だ。そして、貴殿は傭兵として、兵士を遥かに凌ぐ健闘を見せた。そのことで、報酬に加えてこの勲章を贈りたいと、行政府長官が仰っておる。いかがするか?」
そう言ってポロトルがポケットから取り出したものを見て、俺は何か、そら恐ろしいものを感じた。
「……これは?」
「うむ。まさしく、【黄金四つ角星勲章】。その地位にかかわらず、大きな武勲を立てた者に贈られることになっているが――元帥以外でこれを贈られたのは、貴殿が初めてだという」
「それはどうも」
俺はあいまいに笑って、そのまま勲章を授与されてしまった。
「それでは、私はここで退出する。さらばだ」
ポロトルは、風のように去った。
それから少しして。
「……そこにいるんだろう? フリーダ」
俺は声を抑え、あの不思議な感覚の中で思い出せなかった名前を呼んでみる。何となくそんな気はしているし、何より、外は晴れているのに、不自然に肌寒い。
「……」
冷たい風が、後ろの窓(壁に四角く空いた穴)から入り込んできた。
「私がいることが、なんで分かったの?」
俺はベッドの反対側に腰掛けた。
「それより、なぜ後ろにいるんだ?」
俺は1つ呼吸を置く。
「そう言えば、あの迷路みたいな町から俺が出る時もそうだった。いきなり後ろから来て、落ち着き払ってしゃべり始めるんだ」
フリーダは首を横に振った。
「なら、あえて聞こう。フリーダ、君は――何者なんだ?」
フリーダは沈黙している。俺の質問に答えるつもりなど無いかのようだ。確かに、名前でさえ、俺が聞こうとしたときは無視されたのに、突然向こうから教えてきたのだし。
思ったより早く、その沈黙は破られた。いきなり、しかし静かに、フリーダが口を開いたのだ。
ただし、彼女が言ったのはたったこれだけ。
「……それは、言えない」
「は?」
俺は、混乱すると同時に拍子抜けした。フリーダの目には、さぞおかしな具合にゆがんだ顔が映っていることだろう。彼女の表情には、全く変化がないが。
「言えない。きっと、これからもずっと言わない。いつでも、誰にも、言わないと思う」
その意志は決然としていて、絶対に曲げられないような気がした。あまりに突然、そのことを突き付けられて、気が滅入るどころか逆に呆然とさせられるようである。だから、俺は何も言わずにフリーダから目を逸らした。