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十番勝負 その九

第十五章 おまあさまとのこと


 二年ほど過ぎ、元亀元年(千五百七十年)となった。

 三郎は時々、おまあさまから呼ばれ、お屋敷に参上し、いろいろと昔の武勇談をお話し申し上げ、おまあさまの無聊をお慰めしていた。おまあさまは生来蒲柳の質で体が弱く、数多く持ち込まれた縁談を全て断っていた薄幸の乙女であった。父である岩城重隆が生きておれば、或いは、南郷三郎に嫁ぐといったこともあったかも知れない。おそらく、おまあさまも、三郎殿ならば、と微かに面を伏せるようにして頷いたかも知れない。

 しかし、重隆は前年の永禄十二年に亡くなっており、重隆の側室の末娘であったおまあさまは最近ではもう忘れられた存在となっていた。

 三郎は四季折々に、京から取り寄せた珍奇な品々をおまあさまに贈ることを無上の喜びとしていた。西陣織の反物、手鏡、白粉おしろいべに、櫛、こうがいといった婦人が喜びそうな品々を取り寄せては贈ったのである。

 「おまあさまの喜ぶ顔がただ見たいのじゃ。吾平よ、求めた品々の費えを気に病んではいかぬぞ」

 矍鑠かくしゃくとしていた小浜老人も天寿を全うし、春先にこの世を去っており、訪れる人もこのところめっきりと減った閑散とした屋敷の中で、おまあさまはこのような三郎から届けられる心からの贈り物の品々を都度愛しげに眺めておられたとのことであった。


第十六章 元亀元年の第二回目の武者修行のこと


 季節は初夏を迎え、爽やかな風に吹かれながら、三郎は馬に揺られていた。

 おまあさまのお屋敷に向かう道すがらであった。この間は、三本穂先での槍の試合のことをおまあさまに語った。おまあさまは可笑し気に、口元を押えながら、あからさまな笑いを堪えておられるご様子であった。傍に控える侍女はそれがしの話に笑い転げていたが、さすがに、おまあさまは慎み深いお方よ。

 このたびは、その慎み深いおまあさまを何としてでも、ほほほ、ははは、と笑わせてみたいものじゃ。

 はて、どんな話が良かろうぞ。

 あの狐侍との試合の話、熊侍との試合の話、京侍との試合の話、いろいろあるが、今日の話はどれんしようかのう。馬上で揺られながら、三郎はおまあさまを喜ばせる話をあれこれと思案していた。

 初夏の風が薫る中、楽しいひと時であった。


 立夏が過ぎ、小満の節気となっていた。

 三郎は三十三歳になった。

 「こら、弥兵衛よ。この、みだぐなし、が。大あくびをして、鼻めどをほじくってばかりいるのではない。そろそろ、武者修行の旅に出るぞ。それがしの退屈虫が十匹ほどこのところ騒がしく動き始めているのじゃ」

 「あいよ、だんなさま。弥兵衛はこのように首をながくして、だんなさまのことばをまっていただよ。いぐっぺ、いぐっぺ。第二回目のむしゃしゅぎょうのたびだっぺよ」

 弥兵衛はにこにこして言った。

 「んで、こんどは、どこだっぺか? どこさ、行ぐだ?」

 三郎は少し考えていたが、思い当たったように言った。

 「二本松、安達が原のほうがよがっぺ。いや、いいだろう。少し、足を伸ばして、少し北のほうにも行ってくるか」

 「んじゃ。はなしはきまったっぺ。ちょっくら、おっかあにもはなしてくっから、まっていておくんなんしょ」

 と、言うが早いか、弥兵衛は脱兎のごとく、おっかあ、おっかあ、とカラスのように叫びながら走り去った。気が早いやつめ、と思いながらも、三郎もどこか浮き浮きとしていた。

 おまきがこのところ、何やら、一生懸命こしらえている。三郎や弥兵衛にも隠して、何かこしらえているようであった。吾平も三郎に隠れ、何かこしらえているようであった。

 「おまきも早いものじゃ。十五の娘になった」

 三郎は弥兵衛の妻のおかめがこしらえたかき餅を弥兵衛と喰いながら、旅の支度を整えていた。

 「へぇ、だんなさま。おまきさんも好いむすめになってござるよ。ここへ来た当初はやせっぽちの女の子だったけど、どうしてどうして、いまじゃ、りっぱなむすめになったもんだなや。もう、よめに行ってもおかしくはないっぺ」

 「おう、弥兵衛もそう思うか。いずれにせよ、おまきは南郷家の娘として恥ずかしくない支度をさせた上で、しかるべきところに嫁に出すつもりじゃ」

 三郎はおまきのことを齢の離れた妹として扱い、自分のことも兄さまと呼ばせていた。

 

 「兄さま。ご無事をお祈りしております」

 と、言いながら、おまきが三郎に手渡したものがあった。見ると、綺麗な布を縫い合わせて作ったお守りであった。触ってみて、気が付いた。中に、何か固いものが入っている。

 開けて見るぞ、と断ってそのお守り袋を開けると、中には木彫りの小さな仏と紙が入っていた。木彫りの小さな仏は吾平が作り、紙は近所の八幡神社から戴いた護符であると云う。

 おまきの傍らに、家宰の吾平が微笑みを浮かべて立っていた。

 大事にする、と言いながら、正清は弥兵衛と共に南郷屋敷を立った。

 「おまあさま、これからしばらくの間、武者修行の旅に出かけて来ます。旅先での話を一杯仕入れて来ますので、どうかつつがなく、いらして下さい」

 正清は弥兵衛を連れて、おまあさまのお屋敷に立ち寄った。

 おまあさまは正清たちの旅姿を眺めて、ころころと笑いながら、言った。

 「はい、分かりました。旅先での愉快なお話を楽しみに待つことと致します。南郷さまのご無事をお祈りしておりましょう」

 少し、淋しげな笑顔であった。

 「弥兵衛よ。吾平にも話したのじゃが、わしはおまあさまさえ良ければ、南郷家の嫁御寮としておまあさまを迎えたいと考えているのじゃ」

 「ああ、だんなさま、よくぞ決心されたない。おいらの見るところでは、おまあさまもだんなさまを好いているようにおもわれっぺしよ。にあいのふうふになっぺよ」

 「この旅から無事に戻った暁には、誰か人を立てて、おまあさまのところに申し入れをするつもりじゃ」

 二人は岩城郡から険しい山道が続く御斎所街道に入った。

 一番の難所である御斎所峠で足をとめ、道端の岩に腰をかけ、遠くの山々を眺めた。

 遠くの山々が青白く霞んで見えた。これからは下りとなり、白河に入ることとなる。


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