今までとこれから
バイトをしていない高校生の貯金を全部使うぐらいの移動。県を跨いだ移動になる為、電車を乗り継いだ。
私が世界樹の根本付近に到達する頃には終電のない時間になってしまった。少しばかり肌寒さを感じる。
世界樹は根が地表に露出している。根も幹もとてつもなく大きい。樹に近づくには根をよじ登らないとダメそうだ。
それ以前に世界樹に近づこうにも世界樹を囲む様にぐるっと3m程の金網が並んでいる。これをどうにかして突破せねばならない。
「『危険。この先日本憲法通用せず』、ね」
金網に付いている銀色の板に書かれた文字を口にする。世界樹に関するあの噂も真実味を帯びてきた気がしなくもない。
世界樹を見上げる。ここに来るまでに全財産を使い果たしてしまった。これでもう後戻りは出来ない。ここで骨を埋めるしかないのだ。
侵入方法はどうしようか。金網の上部には有刺鉄線が設置されているため、上から攻めるのは難しそうだ。
何も思いつかないので金網に沿って移動する。最悪有刺鉄線を乗り越して入ろう。そう結論を出す頃、一か所だけ金網が破れている部分を見つけた。人が一人通れるぐらいの穴がぽっかりと空いていた。なんで空いているのかは知らないが、この穴から容易く中に入ることが出来た。
根に触れてみる。なんとなく匂いも嗅いでみる。別段変わった匂いがする訳でもない、普通の樹としか思えない。やっぱり噂は噂でしかないのか。人の気配なんて感じない。無駄足だとしても戻るつもりはない、そもそも金銭的にも無理だし。
「よいしょ」
自分の身長より高い根をなんとかよじ登る。なんとなく樹の幹まで行ってみようとは思ったものの、根を登って進むのは疲れる。一回よじ登っただけなのに疲れた。
ごろんと仰向けに寝転んでは両腕を伸ばして伸びをする。ここまで来るのに案外疲労が溜まっていたのかもしれない。遅い時間も相まってかこのまま寝れてしまいそうだ。
重たくなる瞼。多少空腹ではあるが、寝てしまえばそれも忘れる。
「あっ――」
空から落ちてくる、いや樹から落ちてきたピンク色の何かを目撃すると同時にべちゃりと音を立ててソレが自分の体を覆った。
一瞬にして呼吸が出来なくなり、頭が真っ白になる。危機感を感じる頃にはもう遅く、全身の皮膚が焼けるような感覚がしたかと思うと次の瞬間には意識が飛んだ。
★★★
朝、眠りから覚めた時と似た感じで目が覚めた。
白い蛍光灯に照らされた部屋の中、自分は白い簡易的なベッドに寝ていたみたいだ。
本や紙束等が乱雑に詰められた棚や大きな机が目につく。机の上も瓶や小物がごちゃっと置かれている。
上半身を起こすと大きな机の向こう側に白衣を着た人の後姿があった。その人は椅子に座って目の前の机で何か作業をしているみたいだった。
私の視線に気づいたのか、彼は後ろに振り返った。その際に生じた椅子が床と擦れる音を聞いて、耳がピクリと動いた気がした。
「ああ、起きたの」
疲れている様な、徹夜明けの様な、そんなくたびれた感じの声音。その人の目の下には大きなくまが出来ていた事から、ずーっと何かをしていたのだろうと思わされる。
ここはどこなのか。自分は根の上で寝ていたはずで……。そういえば上から何か降ってきてた様な覚えが……。
起きる前の事が走馬灯の様に思い浮かぶ。聞きたいことがありすぎてうまく纏まらない。
「お、おはようございます?」
返事を返さないのは失礼だろうと思い、とりあえず挨拶をしてみる。
「おはよう。ええと、慌てないで聞いてほしい」
白衣を着た男性は、頭をわしわしと掻きながら椅子から立ち上がった。痩せてて意外と身長が高い。
「君は一回死ん――」
言葉を遮る様に、男性が座っていた机の近くのドアが勢いよく開けられた。
「せんせー! 様子はどうだ!!」
勢いよく部屋に入ってきたのは猫を人型にしたようなものだった。毛が全身に生えており、耳や尻尾も付いている。明るい茶色で縞模様の毛を見ていると触ってみたくなってくる。
猫っぽい人はチューブトップを着ているが、隠れているのは胸部のみ。下は丈の短いズボンを履いている。
「だから入ってくる時はだね……」
「おっ! 起きてるね! 良かった良かった!!」
猫っぽい人はそのまま先生と呼んだ白衣の男性に抱きついた。だがすぐに先生は猫っぽい人を引っぺがしてはワザとらしく咳ばらいをした。
「コホン、えーステラさん。当人が置いてけぼりになってますから落ち着いてください」
ステラと呼ばれた猫っぽい人は、もじもじと身じろぎしながらその場で動かない様にしている。
「そして君だ。ステラは起きたと言ったが勘違いしないで欲しい。君はここに運ばれた段階でもう死んでいた」
「ちょっと何を言っているのか分からない……ん?」
先生の言葉を聞いて軽い眩暈を感じた。額を手で押さえようと手を持ち上げたところ、自分の体の変化に気づく。
手、腕は明るい茶色の毛が覆っており、手のひらと指の腹には肉球らしきものが……。
「な、なんじゃこりゃ!!」
ベッドの上に立ち上がって全身を調べる。立ち上がった時点で何も衣類を着ていないことに気づいたが、全身を毛が覆っているのであんまり全裸感がしない。
頭上に手を伸ばせば三角形の耳らしきものが、お尻の方に手をやれば尻尾らしきものが……。
「おぉ、すっかり元気だ!!」
「まだ大人しくしていてくださいね」
バンザイしたステラに先生は釘を刺した。
ステラはしゅんと頭を下げてしまう。耳も前にぱたんと倒れている。上にピンと伸びた尻尾もへにゃんと垂れ下がった。
「君がここに運ばれた時には外見で個人を判別できる要素は何もなかった。そんな君をここまで運んだのがこのステラだ」
自分の名前が出て顔を上げたが、また大人しくしていろと言われると思ったのか、ステラはまた俯いてしまった。
「いやぁステラが泣きながら『私のせいで死んじゃった! 治してくれ』とせがむから頑張って再生してはみたんだよ」
「ななな泣いてないぞ私は!!」
両手をぶんぶん振って否定していたものの、顔がほのかに赤くなっている。
「後は体が出来上がるのを待つだけって時に少し席を外していてね。それから戻ってきたらステラに似た姿になっていた、と。おそらくステラの毛でも混じっていたのだろうね」
「私とお揃いだし、無事でよかったね!」
「無事? でよかった。その点においては同意するよ。でも君はここに、世界樹に何をしに着たの? 死にに来たのなら余計なことをしてしまったかな」
先生の口ぶりからして、自殺を企てる人が多いのだろう。自分のことを尋ねられ焦ってしまう。頭の中では考えが纏まらない。
「私は……。」
今一度自分の手のひらを見つめる。かつての面影は何も残っていない。
「もし死にたいのなら楽にさせてあげよう。生きたいのなら好きにすればいい、前の姿に戻りたいと言うのならなんとかしよう。かなり大変だけどそこは目を瞑ろう」
前の姿に戻ったとして私にどうしろというの? 帰宅したとしても待っているのはあの地獄だけ。
帰るという選択肢はない。
「私はこのままでいいです。た、助けてくれてありがとうございました」
今まで決められた道の上を歩かされていた。学校に行かされ虐められ、家に帰れば親の機嫌を窺う生活で自分に自由はなかった。
それが今初めて自分で物事を考え自分で決断し実行した。と思う。だからだろうか普段通りにしているつもりが、お礼の言葉がたどたどしくなってしまった。
「ふむ。僕はエンジだ、見ての通りの研究者だ」
「私はステラだよ! よろしくね」
口角を吊り上げぎこちない笑顔を浮かべるエンジと名乗った白衣の男性。ステラという猫っぽい人も元気よく片手を上げて自己紹介をしてきた。
「それで、君は?」
「……私?」
少しの沈黙。二人とも会話を止めて私の方をじーっと見てくる。それでもぼーっとしていると、待ちきれなかったのか、エンジが私に自己紹介をする様促してきた。学校でも人とあまり関わってこなかったから、流れというか空気が分からなかった。
「私は長谷――」
本名を言ってしまいそうになり、焦って口を閉じる。今までの私は死んだんだ。あの私ではない。人間の私じゃない。私の嫌いな私じゃない。
名乗る名前を考えたが、何も思いつかない。あだ名なんか私に付けられたことはないし、それらしいものは全部悪口だけだったし……。
涙が零れそうになり、二人から顔を逸らす。
耐えられない程の悲しい気持ちで心が一杯になる。流れる涙を堪える事が出来なくなる。
頭の中でごちゃごちゃと考えていたことが涙と一緒に流れ出ていった気がする。
多少頭の中がスッキリしたからか、ふと私が小学生の頃に飼っていた小鳥のことを思い出した。
思い返せばあの小鳥を飼いたいと願ったのが、自分の母親にした最初で最後の意思表示だった。
自分の部屋だけで飼う事を許された小鳥。母は動物が嫌いだったみたいで、小鳥のことも好ましく思っていなかった。私が小学校から帰ると小鳥を入れていた籠が開けられており、小鳥の姿もなくなっていた。自分の部屋の開けっ放しになっている窓を見て察してしまった……。
「私はミーシャです……」
涙を拭って二人に顔を向けて自分の名前を名乗る。
ミーシャはその小鳥に付けていた名前だ。自分で考え自分で名付けた名前。
なんで忘れてたのだろう。大事にしていた小鳥のことも嫌な記憶として忘れてしまったのだろうか。
「ミーシャ、可愛い名前だね!」
そう言いながら勢いよくステラは私に抱きついてきた。そのままベッドの上に二人して倒れてしまう。私はそっとステラのことを抱き返した。ふかふかで心地良い。もやもやとした暗い気持ちも吹き飛んだ気がした。
「あっ、先生いやらしい目してる!」
目頭がまた熱くなってきた。涙が出そうになり、ステラから手を放すとステラは体を捻って先生の方を見てそんなことを言う。いやまぁ確かに女子二人がベッドの上でくんずほぐれつ。今更感あるが私なんか何も着てはいないしね。
「いやっ! 断じて違うね! 僕は『あぁ、なんか良いなぁ』って思ってさぁ!」
「良いって何? ベッドの上で若い子が抱き合ってるのがそんなに良いって!?」
「あぁそうじゃないって!! ほら、こういうのってユウジョウだと思ってだよ! そんなつもりで見ていた訳じゃないよ」
上ずった声で早口で否定をする先生。それに対してグイグイと突っ込んでいくステラ。
「ふふ、あははは――」
そんな二人が可笑しくてつい笑ってしまった。
「先生先生! ミーシャが笑いながら泣いてるよ! 面白いの悲しいのどっち!?」
私の笑い声に釣られてこちらをみたステラが慌てた。そんな様子も面白く思えた。
「ああ、別におかしくはないよ。彼女も色々と吹っ切れたんじゃないかな」
うんうんと頷くエンジを余所に私は笑い、泣き続けた。生まれて初めて心の底から笑った気がした。